検索
SHARE

書くと減る。書くは残念。だけど。だから。【さとゆみの今日もコレカラ/第 344 回】

昨夜、徳島県神山町の居酒屋「どちらいか」で、後藤くんにこんなことを聞かれた。

「目の前に川が流れているとしますよね。その川のことを文章で書こうとすると、川の流れを一本の線で書くような感じになっちゃうんです。その川幅や、深さや水の綺麗さなんかは、どうすれば表現できるんですか?」

うわ、これはものすごいことを聞かれているなと思った。

書くという行為は、基本的に「減らす」行為だ。

書くと、減る。

書くことは、根本的に残念な行為なのだ。

たとえば、目の前を流れる川について書こうとすると、目や耳や鼻や体の皮膚が全身で受け取った情報を、ほとんど捨てることになる。だから、それについて書くとき、私は、なるべく豊かに減らせる方法はないかと考える。

川の上流から下流まで全てを書くのではなく、この目の前の1メートルだけをつぶさに観察して書こうとか、目で見えるものではなく触れたときの水の冷たさについて書こうとか、この川の歴史を調べて書こうとか、この川を見て思い出した昔の光景を書こうとか。

どの方法が、この川の「本質」みたいなところを射抜けるかを考える。もちろん正解はないから、自分が書いた文章がほんとうに「本質」に迫っているかどうかはわからないけれど、でも「なるべく豊かに減らそう」と呪文のように唱えながら、何を書くかを選ぶ。

AIに書かせたら、その川のことは詳しくわかるかもしれない。水質や水温までわかるかもしれない。周囲に生えている草や石の種類もわかるかもしれない。だけどそれは、その川のデータだ。

データじゃないことを書きたい。だって、人間だもの。

だけどデータじゃないことっていったい何だ?

ーーーーーーーーーーーー

【この記事をおすすめ】

ちひろさんの絵本には “へいわ”という言葉が直接書き残されているわけではありません。しかし、この展示では彼女の絵の隣にそっと平仮名の “へいわ”が置いてありました。

writer