
有限の春【さとゆみの今日もコレカラ/第525回】
深夜に帰国したら、まだ東京は桜が残っていた。今年は桜を見られないと思っていたので、なんだか得した気持ちだ。
昨年は徳島でしだれを見たなあ。その前は京都で夜桜を見た、などと思い出す。桜の記憶はそのまま、その年の春の記憶だ。
桜ほど人の死生観と密着した花はないと言われる。
たとえば病に付したとき「来年の桜が見られるかどうか」などと表現したりするけれど、これがチューリップやタンポポになることはない。梅でも、ない。
マンションの前に、わりと大きな桜の木があるのだけれど、昨夜「まだ残っていて嬉しいね」と話し、母としばらく見上げていた。
今回、久しぶりの海外だった母は、期限切れのパスポートを取り直していたのだけれど、それが5年パスポートだったからちょっとドキっとした。
春は有限なのだ。
「今日もコレカラ」は、毎朝7時に更新して、24時間で消える文章です。今日もコレカラ、良い一日を。
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