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『どうすればよかったか?』を観て、どうすればよかったか考えた  

精神科病棟に入院している人のお見舞いに行ったことがある。看護師さんに病棟の入口を開けてもらって中に入ると、入院している人たちが思い思いの時間を過ごす広くて明るいリビングのような場所があった。私が会いに行ったその人は、そこに“気をつけ”の姿勢で待っていてくれた。「こんにちは」と軽く挨拶をしてから、その人が過ごす病室に一緒に入った。一人部屋で、ベッドがあり、テレビはなかった。

久しぶりに会うので緊張したが、その人は、自宅にいたときよりも明らかに表情が明るくなっていて、目を合わせて会話することができた。私は、ああ、入院して治療すれば回復するんだな、と思った。

『どうすればよかったか?』は、ドキュメンタリー監督の藤野知明さんが、統合失調症の症状が現れた姉と、彼女を精神科の受診から遠ざけた両親の姿を20年にわたって自ら記録したドキュメンタリー映画だ。

面倒見がよく、絵がうまくて優秀な8歳ちがいの姉。両親の影響から医師を志し、医学部に進学した彼女が、ある日突然、事実とは思えないことを叫びだした。統合失調症が疑われたが、医師であり研究者でもある父と母は、その可能性を認めず、精神科の受診を避けた。弟の藤野監督は、両親の判断に疑問を感じるも、自ら姉を病院に連れて行くことはせず、わだかまりを抱えながら実家を離れる。

姉の発症から18年後、映像制作を学んだ藤野監督は、帰省するたびに家族の姿を記録しはじめる。一家そろっての外出や食卓の風景にカメラを向けながら両親の話に耳を傾け、姉に声をかけ続ける。しかし、状況はますます悪化。母には認知症の症状が出はじめ、ついに両親は玄関に鎖と南京錠をかけて姉を閉じ込める。

監督がご自身でパンフレットに書かれているので言ってしまっていいと思うが、この映画は「技術的には画も音もホームビデオ並み」(藤野監督)だ。音楽もないので、余計にそう感じる。ただし「伝えるべきものが映っている」と。

パンフレットには、こんなことも書かれていた。

「編集を考えて撮影をしてこなかった」

「画が足りないので、まとめるのは無理(と何度も言った)」

「(編集を始めてから)どうやって終わらせるか決めていなかった(ことに気づいた)」

こうした言葉から、この映像が、伝えたい何かの“ため”に撮られたのではなく、家族の姿を記録し続けた結果、生まれたものだとわかる。

また、映画の冒頭とパンフレットの冒頭には、この映画は「姉が統合失調症を発症した理由を究明することを目的にしていない」「統合失調症がどんな病気なのかを説明することも目的ではない」とも書かれている。この映画にあるのは、タイトルどおり、「どうすればよかったか?」の問いだけだ。

藤野監督は、北海道大学を卒業した後、一旦は横浜の住宅メーカーに勤務。その後、日本映画学校に入学して映画制作について学び、CGやTVアニメの制作会社とPS2用ソフトの開発会社に勤務しながら、映像制作を続けてきたという。家族の介護のため北海道へ戻った後は、動画工房を立ち上げ、複数のドキュメンタリー作品を発表してきた映像制作のプロである。

『どうすればよかったか?』では、藤野監督は取材者であり、取材対象者の息子であり、弟であり、家族の一員である。当事者の一人なのだ。撮影を終えても「おつかれさまでした」と去ることはできないし、距離をおいて遠くから家族を評することもできない。作品にするかどうかも決めないまま、20年間、ただただカメラで家族を撮り続けてきた。  

撮影を始めた初期の映像に、カメラを回しながら藤野監督がお姉さんに質問するシーンがある。お姉さんは今の状況をどう思っているのか。お父さんにもお母さんにも言わないから、僕にだけ本当のことを教えてほしい……。病気のお姉さんが混乱してしまうのではないかと心配になるような強めの問いかけだと感じた。

ただ、このシーンでは、お姉さんはまだ医療につながっておらず、病名もついていない。監督自身、撮影を始めた当初は、お姉さんは統合失調症ではないかとの疑いを持ちながらも、そうではないと主張する両親の説をとって接していたのだと、これもパンフレットに書かれていた。医師による診断がつくのは、このインタビューシーンから、もっともっとずっとずっと先のことだ。

藤野監督は、撮影と並行して、医師のアドバイスを得ていたそうだ。それでもお姉さんが精神科を受診するまでには、長い時間がかかった。その分、お姉さんの“正気の時間”が短くなったと思うと、苦しくなる。

どうすればよかったのだろうか。たとえば私がお姉さんの立場にあったなら。お母さんの立場にあったなら。お父さんの立場にあったなら。弟の立場にあったなら。

10年以上前のことを思い出した。私自身のことだ。仕事と子育てとうまくいかない人間関係と体調不良と、いろんなことに思い悩んで眠れなくなった時期があった。眠れない時間が長くなると、それだけで人はちょっとおかしくなる。

ある晩、真夜中2時だったか3時だったかにワーッとなって、私は弟のケータイに電話した。真夜中にちょっとおかしくなっている中年の姉から電話がかかってくるなんて、ホラーだ。でも、そのとき私が電話をかけていい相手(迷惑をかけていい相手)として頭に浮かんだのは弟だけだった。

弟は電話に出てくれて、私が言い募るおかしなことを聞いて、「おかしいよ」と言ってくれた。それで、そうだよね、ごめん、私がおかしいよね、となって、ワーッを鎮めることができた。ありがとう、あのとき電話に出てくれた弟。

『どうすればよかったか?』のお姉さんは、弟(藤野監督)に電話をかけなかった。お姉さん自身、病識はなかったというから、助けてほしいという思いもなかったのかもしれない。お父さんとお母さんは、自分たちで何とかしようと思っていたから、誰にも電話をかけなかった。お姉さんのおかしさに気づいていた藤野監督が、カメラを回すことで家族にかかわりはじめたのは、発症から18年が経った後のことだった。

まるで野球の、ショートが取りこぼしたボールを、カバーに入ったサードが取りこぼし、下がっていたレフトが手にしたときには、ファーストへの送球は間に合わず、そうこうしているうちにランナーはサードを回っている、みたいだと思った。レフトが前に出てきてくれてよかった。サードもショートも、言っちゃなんだけど、下手だった。でも、チームのメンバーだ。ボールがとれないなら、頼む!  と言わなくちゃ。レフトがなんとかしてくれたなら、サンキュー!  と伝えなくちゃ。お互いに、ドンマイと言い合いながら、次のプレーに備えるんだ。

でも、それができないメンバーだったなら……。

2025年1月20日、映画『どうすればよかったか?』の公式X(旧Twitter)に、4館から公開した作品が全国100館以上での拡大上映が決定した、とポストされた。2024年12月7日公開の本作は4カ月が過ぎた今もなお上映が続いていて、アンコール上映をする映画館もあるようだ。

多くの人がこの映画を観て、どうすればよかったかを考えるだろう。私もまだ考えている。どうすればよかったか、ではなく、どうすれば、いま、少しでもよくなれるのかを。答えはないかもしれない。でも、手を伸ばすことを諦めないことならできるのではないか。いまはそう思っている。

映画 『どうすればよかったか?』公式サイト https://dosureba.com/

文/津田  麻紀子

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