
それでも、どうしても【さとゆみの今日もコレカラ/第558回】
(本人の許可を得て書いています)
先日、あるライターさんが、CORECOLORに書籍のレビューを寄せてくれた。そして、その本をきっかけに想起した、お母様との最期の時間について書いてくれた。
書き終えた彼女は、仲間に向けて、こんなメッセージを送ってくれた。
憧れだったライターになって、いつかは母のことが書きたいと思っていました。
でも『書く仕事がしたい』のあとがきで、さとゆみさんが、亡くなったお父さまとの思い出を言語化することで、書かなかった方の記憶は急速に失われていった、と書かれていて、忘れるくらいなら書きたくない!と思い、一度はライターになるのを諦めました。
それでも、書く仕事がしたい夢を諦められず、さとゆみゼミを受講したんです。
さとゆみさんに「母のことが書きたいけど書けない」と話すと「でも、書かないと忘れてしまうよ」と言ってもらって、やっぱりライターになろうと決意しました。
一方で、今日もコレカラの「書くことの不純(起)」には、「書き終えたら、もう、覚えていなくても良いと思う。もう、忘れてもいいんだと思えることは、救いだ」とあって、書くことで、母のことを忘れる恐怖からやっと解放されたのかもな、とも思いました。
今回、えずさんのZINE講座を受けたことと、CORECOLOR のZINE本に母のことを載せたい気持ちで、2年越しでようやく書くことができました。この流れがなかったらきっと書けなかったです。本当に感謝しています。ありがとうございました。
記事が公開されたあと、彼女からもう一度メッセージが届いた。
公開された文章は、まだ一度しか読めていないということ。書いたあともまだ、記憶が固定されることに抗っている自分がいること。そして、一番大切だと思った言葉については、今回書かなかったこと。それはまだ言葉にはせず握りしめておこうと思っていること。
そして、最後にこう書かれていた。
「もう、忘れてもいいんだと思えることは、救いだ」の言葉に今は支えられています。
どうしても書きたかったこと。書いてよいのか躊躇したこと。書いたら思ってもいない場所にたどり着いたこと。書かなければ味わうこともなかったであろう感情があることを、私たちは書くことで経験している。
AIでも文章が書ける時代に、それでもどうしても自分が書かなきゃいけない時があって、多分、今日の文学フリマにはそんな文章がたくさん集まっているのだろうと想像しています。
南3−4ホール。「さー86」でお待ちしています。さとゆみハローと覚えてね。
今日紹介した原稿も収録した『推し本。推し映。』を販売しています。さとゆみのZINEもサイン本+手書きメッセージをつけて、お渡ししますね。


