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ちゃんめい

「でもにわかだから!」と好きに厳しい人へ贈りたい『銀太郎さんお頼み申す』【連載・あちらのお客さまからマンガです/第16回】

「行きつけの飲み屋でマンガを熱読し、声をかけてきた人にはもれなく激アツでマンガを勧めてしまう」という、ちゃんめい。そんなちゃんめいが、今一番読んでほしい! と激推しするマンガをお届け。今回は、大の着物好きとして知られる東村アキコ先生が描く、渾身の着物マンガ『銀太郎さんお頼み申す』について語ります。

早いものでもう6月。ついこの前まで「初めまして」なんて自己紹介が日常茶飯事な4月だったのに……。そんな時の流れの速さにビビりながらも、自己紹介という言葉で思い出したことがあるんです。それは、みんな自分の“好き”に厳し過ぎじゃないですか? ということ。

例えば、「私は〇〇が好きです」と自分の趣味嗜好をみんなに共有するのは自己紹介の定番。でも、その後「〇〇が好きなんだよね? 私もハマっててさ〜」なんて改めて話を振ると「でも、そんなに語れるほどではないです! にわかです!」とやんわり謙遜される率の高さよ!?  にわかだろうか何だろうが、シンプルに好きなものは好きと言っておけば良いじゃんと思う一方で、そう答えたくなる理由もちょっとわかるのです。

例えば、護廷十三隊のメンバー全員の名も空で言えないくせに、久保帯人先生の『BLEACH』好きとして語るのはちょっと憚られる。高尾山の一号路を登っただけなのに登山好きみたいな顔はしづらいし、友達に誘われて謎解きイベントに1回行ったくらいで謎解き好きとは言いにくいみたいな。全部確かに好きではあるんだけど!

つまり、周囲と比較して勝手に自分が定めた知識や経験値……そういったラインみたいなものを超えていないと胸を張って好きと言えない。その想いを開示できない。その世界へ飛び込めない。そんな好きへの厳しさみたいなものを、誰しもがふんわりと抱えているんじゃないのかなと思ったのです。

TikTokが趣味の現代っ子が着物に開眼!

そういったある種のストイックさを胸に、好きなものへの知見を深めていくのは楽しいけれど、いやいやもっと肩の力を抜いて好きなものを好きだと言っていい。その世界に飛び込んでいい。むしろ、その方が好きなものの真髄に触れられるのかもしれない、と。そう思わせてくれた作品があります。それが、東村アキコ先生の『銀太郎さんお頼み申す』という作品です。

主人公はカフェでアルバイトをしている岩下さとり、25歳。趣味はTikTokを見ること。そんな彼女は、ある日バイト先に客として現れた謎の着物美人・銀太郎さんと出会ったことをきっかけに着物に開眼。その後、さとりは銀太郎さんの仕事を手伝う代わりに着物を着させてもらうようになり、さらに着物の世界に没頭していくのです。

紗(しゃ)を「シャア」、たとう紙を「タトゥー」。着物用語に対して、ユニークな聞き間違えをするほどさとりは無知なので、成人式からずっと着物はご無沙汰なんて読者も(私もそうです)一緒に着物文化についての知識が深められる本作。でも、決して着物のマナーや用語を説明するだけの教科書みたいな内容ではなく。例えば、さとりが着物を纏うたびに明らかになるのは、着物の織や柄に秘められた歴史、そして銀太郎さんの切ない過去のお話……。まるで梅雨の静かな雨を見つめているかのように静かなロマンを感じる作品でもあります。

ですが、そんな『銀太郎さんお頼み申す』を読んで私が一番心に刺さったのは実は着物でも、銀太郎さんでもなく。さとりの好き(着物)への心持ちというか、関わり方なのです。

知らないことと知っていること、奇跡の化学反応がもたらすもの

先ほども話した通りさとりは全くの着物初心者。まるで運命的な恋をしたように着物に魅了され、着物の世界に足を踏み入れていくのですが、彼女の驚くべき点は着物に対して良くも悪くも本当に無知なところ。

例えば、もしも私が着物の世界に足を踏み入れるのなら、最初に着物の入門書的な本を一冊読むか、YouTubeで解説動画を見るくらいのことはすると思うんです。でも、彼女は何もしない。後に自分なりに調べたり復習したりするシーンはありますが、理屈抜きで「とにかく着物を着たい!」という気持ちが先行して突き進んでいくのです。

無知ゆえに粗相をしでかすこともしばしば。そして、どんなに素敵なお着物を纏っても「めっちゃステキ!」くらいの言葉しか出てこない……。好きなものを語る知識や経験、言語化能力も何もかも持ち合わせていないけれど、彼女はいつも楽しそうだし、何だか輝いてみえるのです。

あぁ、好きなものへの心持ちや関わり方って、誰かに評価されるものでも、試験で合否が決まるものでもないのだから、実は彼女の姿はとてもヘルシーで理想的なのでは? だから輝いてみえるのかもしれないと思いつつ、痺れたのはこちらのセリフ。

“着物の世界に足を踏み入れると 知らないことだらけなのは分かっていたけど 知っていることも別の意味をもって私の中にインストールされる それが楽しい”

これは、着物を知っていくうちに和文化への造詣を深めていくさとりが心の中でつぶやいた一言。例えば、見慣れた富士山の景色も、着物と和文化に触れることでまた違う富士山の姿が見えてくる。その瞬間が楽しいのだと彼女は語るのですが、これこそがたとえ詳しくなかったとしても、好きなものの世界に飛び込むことの価値だなと思うのです。

自分の知識や経験が浅いと胸を張って好きだと言いづらい。でも、知らないなりに自分の好きを開示してその世界に飛び込んでいくことで、知らないことと知っていることが奇跡的な化学反応を起こして素晴らしい体験に変わる瞬間がある。『銀太郎さんお頼み申す』を読んでいると、当たり前のことのようで実はちょっと難しい……好きなものを好きだという勇気とその先にある奇跡を見せられる気がするのです。

そんなことを思いながら改めて本作を読み直していたら、3巻の帯にこんな言葉が大きく書かれていました。

「好きを、楽しもう」。

文/ちゃんめい

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