
人の文章は「読みやすく」修正してよいのか問題【今日もコレカラ/第609回】
先日、著者さんと話をしている時、「ある本を出すときに、ライターの原稿を修正し続けて、ほとほと心が折れたことがある」と聞いた。
修正「し続けて」という言い方が気になったので詳しく尋ねると、「文章のニュアンスを修正して戻すと、そこに新たなライターのニュアンスが追加されて戻ってくる。また修正しなきゃいけなくなる」とおっしゃる。
ああ、なるほどそういうことかと思う。
私はライターなので、そのライターさんがどういう理由で、「修正」ではなく「加筆修正」したのか、わかる気がする。
私自身も、著者さんから修正が入ったら、その部分だけ文章のテイストが変わらないように、前後左右も修正することがある。
句読点の打ち方ひとつでわかりにくくなったり、主語が省略されていて読みにくいなどもあるので、そのあたりは変更させてもらったりもする。それは、文章のプロとして「やらねばならぬこと」のように思っていた。
でも、著者さんからしてみれば「赤字をそのまま反映してくれればいいだけなのに。ライターに加筆修正されると、その部分にもまた赤字を入れなきゃいけない。いつまで経っても修正が終わらず、心が折れる」となるそうだ。
なるほど、論理展開の順番や、句読点の位置、語尾のリズムは、著者の生命線だ。
とくに、ご本人のブログや発信にファンがいるタイプの著者さんだと、句読点の位置が一つ違うだけで、違和感があるだろう。読みやすくなることで失われる何かもある。それが致命傷になることもある。
よくよく考えてみると、インタビュー原稿では、基本的に先方の修正をそのまま反映する。
とくに「 」の中の文章は本人の発言なので「そんなことは言っていない」とか「意図と違った書かれ方をしている」となったら、修正するのが筋だと思う。
その上で、先方から入ってきた修正に加筆したり、修正を反映しない方が良いと感じたときは、必ず一報を入れる。「こう修正されていましたが、ちょっと読者にわかりにくかと思うので、代替案としてこう書くのはいかがでしょう」のようなコメントを入れて(もしくは連絡をして)、別の修正を提案したりする。
少なくとも、相手に許可をとらずに勝手に修正を変更することはない。インタビュー原稿に関しては、「 」の中の句読点ひとつ変更するのでも、私は先方に連絡をとる。
そこまで考えて、はたと気づく。
書籍は、最初の1行目から最後の1行まで、全部著者の一人語りだ。つまり、全部が著者さんの「 」の中の言葉なのである。
インタビュー原稿の「 」の中の言葉のように、著者さん自身の発言とみなされるのである。
著者さんの修正提案を変更するのであれば、インタビューの時のように、一字一句相談すべきではないだろうか。私はすべてのケースで、ちゃんとそれをやってきただろうか。
みゅーん。
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