
糸井さんからの(勝手に)アンサーソング【今日もコレカラ/第804回】
昨年末『神時間術』を読んだこともあって、今年は仕事の仕方をガラッと変えた。体感で1.6倍くらいの集中力で、1.6倍くらいの量の仕事ができているイメージ。今年、めちゃくちゃ仕事が増えているので、ほんと、よかった。
その話はまたいつか書くとして、その流れで今年は久しぶりにほぼ日手帳を買った。
何を思ったのか英語版を買ったので、日本語版と違って毎日の言葉の部分が全然目に入ってこない(老眼にはきつい)。
で、今日読んだ部分がたまたま1月2日の糸井さんの文章だった。「今日のダーリン」の文章。
When you have a reader, you can write. So why not make that reader your future self? It doesn’t matter if it’s you in a year, or in a month. It might surprise you to see how much next year’s you will enjoy reading what you wrote about today. No doubt that you will then pick up the rest of the story.
うわわわわわわ、となった。
まさに、昨日書いた「誰も読んでくれなくても、文章を書くか」(文末にアーカイブあります)のアンサーソングのようで、ぞわっとした。
未来の自分という読者のために書く。
糸井さんの、これはひとつのアンサー。
そしてもうひとつ。これは昨日の時点で私が考えていたことだけれど、書くこと自体に意味がある場合。
例えば、書くことで自分の脳をまさぐっている場合。考えをまとめている場合、思考を飛躍させている場合。
こういう時は、誰が見てくれる見てくれないにかかわらず、もう、書いただけでモトが取れている。
モトを取ろうという根性がそもそも浅ましいが、書いていること自体がご褒美なのだよな。
以下はさとゆみ訳。
読み手がいれば、人は書くことができる。だったら、その読み手を「未来の自分」にしてみたらどうだろう。それが一年後の自分でも、一か月後の自分でいい。今日書いたことを、来年の自分がどれほど楽しんで読むか――きっと、あなた自身が驚くはずだ。そして間違いなく、あなたはその物語の続きに目をこらしたくなるだろう。
ほしいときにほしい文章が目に入るものだなあ。
(そういえば。今年の「日本語版」のほぼ日手帳には、われらが(?)ハンケイ500mの円城新子さんの言葉が載っているそうですぞ!!)
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