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初読は再読のためにある(かもしれない)【今日もコレカラ/第990回】

昨日は編集者のりり子さんとの読書会、第1回。朝まで準備して臨んだので、終わったあとは全身から力が抜けた。ちょっと仮眠を取ろうと思ったのだけれど、みなさんからの感想が続々届くので、アドレナリンが出ずっぱり笑。興奮をおさえるために、昨夜はさとゆみおかーちゃんに付き合ってもらって、飲み屋を3軒はしごした。

さて、今回読書会で読んだのは『読書からはじまる』という本だったのだけれど、平易な語彙で書かれていながら、抽象度が高かったり、哲学的だったりして、なかなか手強く感じた人も多かったようだ。私ももちろん、すらっすらと読めたわけではなく、行きつ戻りつ読んだ。

「わからない」本は、いい。

逆に言うと、すらすら読めるわかりやすい本は、すでに自分が「知っていること」だけが書かれた本かもしれない。「わからない」に宝がある。

「共感できない」本はいい。

それは、自分と著者の間に距離があるということ。その距離を作っている要素は何だろう。それを考えると、今自分がいる座標軸が見えたりする。

「最後まで読めなかった」本はいい。

それはいつか、再読できる本だ。またいつか挑める本だ。それだけ、強度がある本だったのかもしれない。一年後に開いたとき、その本が面白く感じるかもしれないし、もっと「読めない」と感じるかもしれない。
一年前の自分と比べることができるのは、再読だからこそだ。

再読こそ読書の醍醐味のひとつで
初読は再読のためにある(かもしれない)。

楽しかったな。
来月は、朝井リョウさんの、『何者』。私にとっては、30代で読んだ本を再読することになる。今は何を思うだろう。30代の自分に会いにいくのが、いまから楽しみ。

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わかるようになると、「というか、最初からそう書かれていたじゃないか。3読目までは、どうしてわからなかったのだろう」と、不思議に思う。

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