ネタバレとか、関係ない【今日もコレカラ/第1018回】
昨日の「さとりり読書会」。朝井リョウさんの『何者』をみんなで読んだのだけれど、面白かったのは、りり子さんの、「ネタバレとか、気にしない」というか、「ネタバレとか、関係ない」という話だった。
あ、これは、読書エッセイを書くときにネタバレして良いという意味ではない(私もネタバレ原稿に関しては一定のマナーは必要だと思う)。
りり子さん自身がネタバレしてようがしてまいが、本の面白さには関係ないと思って読んでいるという話だ。
ストーリーだけを楽しんでいるのならば、ネタバレは致命的だ。
でも、自分はストーリーを楽しんでいるのではなく、その作者がどのようにこの物語を書いたのか、その動機や文章表現や構造を面白がっているので、ネタバレしてようがしてまいが関係ない。なんなら概要を読んでから読み進めることさえある。
ネタバレしてたら楽しめないというのであれば、古典なんて完全にネタバレした状態で読んでるし、原作があるドラマや映画もネタバレしている。それでも楽しめるかどうかは、ストーリーだけを追っているか、それ以外でも楽しめているかの差だと思うという話だった。
そもそも古典とは、おおいなるネタバレの状態で、何十年何百年も読み継がれるだけの「強度」があるから古典なのだ。
この「ストーリー(だけ)で読まない」については、最近ときどき考えてきた。
先日、オーディブルで失われる体験は何か(目で読むのと耳で聞くのは何が違うか)について書いたけれど、オーディブルだとストーリーだけを享受することになりやすいなと思う。
りり子さんのラブレター理論も同じく。
というわけで、次回はスタッズ・ターケルの『死について!』を読みます。
これまた楽しみなりよ。
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- Writer
- #佐藤 友美
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