能登にボランティアに行ってきました【能登のいま/第5回】
『能登のいま』執筆者である二角さんのライティングゼミ仲間、上田です。二角さんの記事で「被災地に暮らしている人に会いに来てください」という言葉がありました。いま能登に行くならボランティアだよなと思い、能登のボランティアはどうなっているのだろう? 僕にできるボランティアはあるのだろうか? と検索し、石川県災害ボランティアに参加してきました。ボランティアに行こうか悩んでいる人やボランティアって何をするの? を知りたい方に僕の体験をお届けします。(執筆/上田 修司)
石川県災害ボランティアに申し込んだきっかけ
二角さんの記事をきっかけに、ゼミ仲間で能登に取材に行くことになりました。僕はボランティアをしてそれを記事にしようと思ったのですが、半日のボランティアが見つかりませんでした。公募されている能登のボランティアは最低でも1日から。ボランティアの現場に入るには金沢駅、早朝出発のボランティアバスに乗るか、車で現地まで行く必要がありました。早朝出発ですから前泊も必要です。能登空港に9時50分に到着するゼミ仲間との取材日程では、その日のボランティアができないことがわかりました。そこで、たまたま別日に空きがあった石川県災害ボランティアの能登町のボランティアに参加して、ボランティアを体験することにしました。
朝5時50分、金沢駅集合のボランティア用のバスに乗り込みます。バスは能登空港近くの日本航空学園にあるベースキャンプからボランティアに参加する人を8時30分にピックアップし、およそ3時間30分。9時30分に能登町災害ボランティアセンター(内浦)に到着。距離にして130kmほどの移動でした。移動途中の休憩は2回ありました。
ボランティアセンターは全国各地の社会福祉協議会から派遣されたスタッフさんが4名。テキパキと指示をしてくれます。事前に配られた注意事項の紙にあるQRコードを読み込んで当日のボランティア登録は完了。現場には2名乗りの軽トラで向かいます。6人チームなら3台で、8人チームなら4台で行きます。その軽トラのほとんどがマニュアル車なので、マニュアル車を運転できる人は重宝されます。
この日は20名のボランティアが8名、6名、6名の3チームに分けられました。参加者は僕(56歳)と同じか、少し年配の男性が多く、女性は僕より少し下の年齢の人が多いのかな? とお見受けしました。30歳くらいの若い人もいましたが、20代と思われる人はお一人、男女比は7対3くらいでした。ボランティアというと力仕事を思い起こすかも知れません。しかしボランティアで扱う家財は重いものは多くなく、小さなものの仕分け、片付けが多く、力がないとできないということはありません。むしろ、依頼者の方との現場でのコミュニケーションなどは、物腰柔らかく丁寧な対応が重宝される場面もあります。
依頼主の所へ向かう
僕は男性5名、女性1名のチームに入り、数少ないオートマ車を運転することになりました。
1日だけのチームなので、同じチームになった人とは特に名を名乗ることもなく、どこから来たか? といった話とこれまでのボランティア経験の話をしていました。関東の人が多く、中国地方、九州地方の方もいらっしゃいました。みんな自己主張することもなく、協力しあって淡々と作業をして、すごく雰囲気のいいチームでした。
1つめの現場は、使えなくなった本棚、食器棚、テーブル、ベッドなどを捨てたいとのご依頼でした。2階にある家具を5人の男性で運び出し、1階の家具も皆で運び出します。女性の方は、一緒に家財を運びつつ、丁寧なやり取りで依頼主の方とのコミュニケーションを取ってくれます。優しくて丁寧な言葉遣い、柔らかな表情。被災して色々な感情を抱いているだろう依頼者に対して、安心感を与える素晴らしい対応だなぁと思いました。
震災後ごみの収集状況が変わったようで、やり場に困ったごみも一緒に持っていって欲しいと言われました。ボランティアセンターからごみ集積場に持っていってよいごみについて指示があった範囲内で搬出しました。
途中10分くらいの休憩を2回取りながら、3台の軽トラいっぱいにごみを積み込みます。それを車で片道20分くらいかかる能登町の藤波運動公園に設置されたごみ収集場所に持っていきます。道路は補修してあるので見た目はきれいに見えたのですが、走ってみるとあちこちに段差がありました。安全運転のつもりで運転していましたがそれでも、何度か段差の衝撃を受けながら、運転をしました。
それほど家屋が密集した所は走ってないからか、もう見てられないと言うほどの光景はあまりありません。それだからこそ、お伺いさせて頂いたお家で感じた色々な心労と、家の中の外からは見えない破損や被害が、それぞれの家にあるのだろうと思います。
ついつい、その外から見た情報だけで勝手に被災状況を判断しがちなのですが、その中にあるであろう状況、例えば水が来なくて住めなかったり、全壊、半壊認定を受けられないばかりに、補助金が少なかったり、家は大丈夫でも家財道具が壊れたり。その中では一体何が起こっているのだろう? と想像をしないと本当に被災者の方々が直面している事実にはなかなか近づけないのだろうと思いました。
ごみ集積場では、係の人が荷台にあるごみの内容を見ながら「鉄くずに持って行ってください」「家電ごみに持って行ってください」と、ごみの内容によって細かく分かれたごみ捨て場に行くように指示します。ごみを見分ける人も、ゴミの種類の判断に迷ったり、袋に色々なごみが混ざっていてどの様に対応するかと悩んだりしていました。分別はしっかりするようにとボランティアセンターからも指示されていたのですが、袋にまとめられたごみはやはりいくつかのごみが混在していました。
誰でも参加できるか?
午前中一旦終わったらボランティアセンターに帰り1時間ほどお休みを取ります。個人的には特に疲れもなかったです。バスに乗っている途中から午前中いっぱいは雨が降っていましたが、中止になることもなく、皆持参した雨具を着ての作業。雨予報だったので、僕も雨具、タオル、着替え、防水の靴を準備していました。雨具を持っていない方にも、ボランティアセンターで雨除け用のポンチョが用意されていました。ただ、これが寒い時期だとちょっと堪えるかもしれないなとも思いました。
午後は2つ目の現場に向かいます。少し大きめの建物の現場での作業となりました。作業範囲は広かったのですが、あまり時間がありません。倉庫のものを全て廃棄したいというご希望だったので、一部を仕分けし、分担して軽トラに積んでいきました。
軽トラがいっぱいになった所で、午前中に行ったごみ集積場に再びごみを持っていき、そのままボランティアセンターに帰還。これで15時過ぎ。金沢駅に戻るボランティア用のバスは15時45分には出発するので、そこで作業は終了。持ってきた服に着替え、雨に濡れた洋服を持参した大きなビニール袋に詰めて、またバスに乗って帰ってきました。
この日、このボランティアセンターに集まったボランティアは20名。作業完了した現場が2件。継続となった少し大きめの現場が1件。
作業自体は多くの人ができる作業だと思いました。どれくらい疲れるのかなと思っていたのですが、行き帰りの移動の時間が長いものの、作業時間は適度です。家具を運び出すとはいえ、人数が十分にいるので体力面ではあまり問題ではないなと思いました。もちろん現場にもよるとは思います。
能登町にはこの他に2カ所のボランティアセンターがあり、合計3カ所。輪島市には2カ所、珠洲市、穴水町、志賀町、七尾市にそれぞれ1カ所。現在、石川県の災害ボランティアで募集しているボランティアは合計9カ所あります。それぞれのボランティアセンターによって10名〜60名のボランティアの募集があります。
最近はあたたかくなったからか、どこのボランティアセンターも申し込みがほぼ満杯だそうです。珠洲市のみ、日本航空学園ベースキャンプからの出発と少し行きづらいので、空きが若干ある程度です。
YouTubeで能登半島のことを検索すると「まだ全然復興されていません」とマイナスな表現で伝えるメディアが多いと感じます。でも実際に能登半島の復興に携わっている方のお話を聞くと、復興支援はきちんと進んでいる。ただ、能登半島という地形の特殊性だったり、その広さだったり、いろんな要件で今の状態となっているといったお話を聞きました。多角的に情報を得ないと、情報が偏るなと感じます。
能登を忘れない
今回のボランティア前後の滞在は金沢でした。金沢の町には震災の影響を感じる雰囲気はありません。金沢と能登町の距離は130km。能登半島の形や、今回の地震の特性も相まって、能登の震災は報道も減っていき、ともすると僕の気持ちの中からも忘れ去られてしまいそうな雰囲気です。
能登でも色々なことが起こっていますが、報道が無ければその情報は自分に届きませんし、情報が継続して報道されなければやがて忘れられてしまいます。今後も、能登に関わって情報発信ができたらと思っています。
ボランティアというのは誰しもが参加できるものでもないと思います。時間もかかりますし、お金もかかります。ただ、どんな人でも「能登のことを忘れない」ことはできるのかなと思います。そして「ボランティアって、どうなっているのかな?」と思った人にこの記事が届いたら嬉しいなと思います。
今後も、時間ある時にそして、気持ちと時間のタイミングが合う時に無理ない範囲内でまた参加して、継続的に関わりたいです。またこれ以外にも色々なボランティアがあると思うので、違う形のボランティアにも参加したいと思いました。
文/上田 修司