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能登は何が特殊だったか? 各地の被災地を知る震災復興コーディネーター藤沢烈さんに聞く【能登のいま/第4回】

「能登のいま」を連載しているWebメディアCORECOLOR(コレカラ)では、能登で起こっていることを記事にしてお伝えしています。月日が経つにつれて報道が減る中、能登の現状を発信できることは、被災地に住む私にとって本当にうれしいことです。
さらに大きな動きがあります。7月20日にCORECOLORのライター約20名が能登に入って、記事を書きます。取材内容は調整中ですが、ボランティアや医療・子どもの環境などさまざまなテーマでそれぞれが書く予定です。

先日、現地入りを計画しているライター陣を対象に、復興支援を全国各地でコーディネートしている藤沢烈さんを講師にお招きして勉強会が開かれました。「能登に関わることが、自分の人生にとって意味があるものになりますように」と、能登の現状と今後についてお話された内容が大変興味深かったので紹介します。

藤沢さんは、非営利組織「一般社団法人RCF」の代表理事で、災害の復興に関する取り組みを中心に、東日本大震災から十数年活動を続けています。その後も熊本地震や西日本豪雨、熊本県球磨村、人吉市を中心とした豪雨災害の災害復興に関わってこられました。石川県では復興計画の策定等に関わる、石川県令和6年能登半島地震復旧・復興アドバイザリーボードのメンバーを務めています。RCFの活動と東日本大震災での取り組みは、『社会のために働く 未来の仕事とリーダーが生まれる現場』(講談社)に詳しいです。

復興には3つの段階がある

最初に能登の現状について伺うと、復興にかかる時間について説明されました。

「復興というのは非常に時間がかかる取り組みです。今回も十年単位でかかると思います」と藤沢さん。

復興には大きく3段階あって、「初期の緊急支援」(3ヶ月以内ぐらいで、緊急的な支援をする段階)と、「復旧」(元に戻していく段階)、「復興」(街をもう1回再建していく段階)という3段階に分かれているそうです。能登はまだ「復旧」の段階にあるといいます。

「確かに復興が遅れている面はありますが、誰かがさぼっているわけではありません。復興はとても時間がかかる取り組みだということを理解してもらえたら」とのこと。

能登半島地震の被害で他の被災地と大きく違ったのは、水の問題だと指摘します。水があれば、復興関係者が宿泊できる場所が確保されたのに、水がなかったため、金沢から往復7〜8時間かけて現地へ移動しなければならない時期がありました。
最近は、大きな拠点では水も確保されるようになり道路も非常に良くなっています。7月17日にはのと里山海道がほぼ全域で対面通行できるようになるため、スピードアップが望めそうだと教えてくれました。

人口流出と孤立の問題

また、子どもたちをはじめとする人口流出が続いていることについても質問しました。
使える水がなく住み続ける環境が劣悪だったので、早い段階でもとの住居のある地域を離れて、金沢、あるいは石川県外に避難する方が相当多かったそうです。こういった避難を2次避難といいます。
水が供給されない状況ではやむを得なかったとしつつも、2次避難が進んだことで新たな問題も起こっているといいます。

「本当は災害関連死を防ぐために、お年寄りを中心に一回避難してほしいという趣旨でしたが、結果的にお子さんをお持ちの世代を中心に能登を離れてしまいました。小学生が4割ぐらい転校してしまった場所もあり、若い世代の流出を相当早めてしまいました」。

2次避難には別の問題もあるそうです。

「もとの居住地を離れることで、被災地の情報が入りにくくなったり、知り合いがいなくなって孤立感を深めたりする方が多くなりました。福島では、県外に離れた方ほど精神疾患になりやすい傾向が報告されています。能登でもそのような状況になることを懸念しています」。

今後どうすれば、能登に人が戻ってくると考えていらっしゃるかについても聞きました。いまは、戻ってきた人が住むための仮設住宅を建設中。想定よりも少し早く進んでおり、8月中ぐらいには概ねめどが立ちそうとのこと。ただし、仮設住宅においても、今後は孤立の問題をケアしていかなくてはいけないそうです。

「仮設住宅では近所に住んでいる人が必ずしも知り合いばかりではないので、引きこもりがちになってしまう場合があります。例えば料理教室をやるとか、誰かが外へお連れするとか、家を出てみようと思うイベントをやるとか、そういうボランティアが今後は必要ですね」。

人が戻ってくるには生業と雇用の問題も大きいそうです。

「被災地の事業者にヒアリングすると、従業員が泊まれる場所がないという声をよく聞きます。新しく雇用しても住居が全くないのが、地域の事業者にとって一番大きい課題なのです。新聞でも報道があった通り、令和6年5月時点での能登の有効求人倍率は0.6ぐらいで、そもそも仕事ができなくなっているのです」。

教育の問題も浮上しています。

「特に現役世代は、仕事がないともとの居住地に戻れない。仮設住宅ができて家はあっても仕事を再開できないという悪循環になっている。これを早くなんとかしないといけません。学校も同じで、まだ校舎が復旧のめどが立っていない場所もあります。再開している学校もありますが、校舎の中には一部傾いて不安定な状況になっているところもあります」。

教育の問題と従業員の住まいの問題。働く世代が現地に戻れる環境整備が急務であると話してくれました。

今、私たちができること


今(2024年7月)の段階でボランティアの人たちができることについても話が及びます。現在、ボランティアが一番必要とされているのは、家の片付けの作業だそうです。

「公費解体といって半壊以上の建物を行政が解体する作業を急ピッチで行っています。公費解体をするときには、家の中の片付けをしなければなりません。高齢の方や遠くに避難された方が戻って作業するのはなかなか大変なので、ボランティアの方の力を借りて、片付けの作業をしてもらうわけです」。

災害の多い日本で、今回の能登半島地震での教訓を生かすとしたらどんなことがあげられるかも聞きました。

「私は発災2日目の段階で、『72時間は、被災地のリソースを妨げてはならない』とX(旧Twitter)に書きました。その投稿では『災害から72時間が経過すると、人の生存率が下がることが知られています。従って、警察・消防・自衛隊は72時間は人命救助のために全力を尽くします。その間、通信や道路などを塞ぐことをすべきでなく、直接の身内を除けば、被災地に連絡をすべきではありません。物資の支援やボランティアに向かうこともいましばらく待つ必要があります』と発信しました。非常に大きな反響があり、当時50万回以上も読まれました。

ところが、その投稿がそのあともずっと拡散され続け(現在は83.6万インプレッションとなっています)、これが「72時間を過ぎた後も能登に行ってはいけない」というメッセージにとらえられてしまったことは非常に反省しています。今思えば、『3日経ったら来てください』という発信をすればよかったと思います。SNSの特性も踏まえて、災害が起きた時にはどういう発信を最初にすべきなのか、教訓になりました」。

最後に、私たちライターが今、能登に対してできることを聞きました。

「まず、ボランティアを含め、一般の方が能登に対してやれることがあることを多角的に伝えてほしいです。メディアではボランティア数が少ないと強調しますが、ボランティア数は、7月末には熊本地震の際のボランティア人数を抜きそうです。ただし、この先はどんどん減っていくと危惧されていますので、今の時点でボランティアを募集していること、ボランティア以外でも支援できる方法があることを届けていただけるとありがたいです。能登の方々の中には、自分たちは見捨てられているのではないかと不安になっている方もいます。そんなことはないということを伝えていただきたいですし、能登以外の人たちに対してはまだまだ『関わりしろ』があるということを、ぜひ発信していただきたいですね」。

事前勉強会で心に残った言葉がありました。

「被災地では大変な話もたくさん聞くと思います。でも、能登の復興に関わると何か自分の人生にとっても意味があるかもなあ、というようなことを感じてもらえたらうれしいです。東日本大震災のときには、そういうポジティブなメッセージがずいぶん出ていて、それでボランティアに行ってみようと思った人が多かったんです」。藤沢さんの言葉で、発信が暗いトーンに偏りすぎないこと、多様な視点で発信していくことも大事なのだと学びました。

能登には楽しい人も多いし、風景も綺麗です。藤沢さんもおっしゃっていましたが、やりがいを持って復興に関わっている人も多くいます。CORECOLORでは、今後、能登の人の魅力についてもお伝えできればと思います。

文/二角貴博

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