おしゃれは依存? それとも自己肯定? 『1000枚の服を捨てたら、人生がすごい勢いで動き出した話』
私は毎日好きな服が着たくてスタイリストになった。
39歳のとき、毎月仕事をさせてもらっていたファッション雑誌から連絡がなくなり、2カ月3カ月と経って、仕事を失ったのだと知った。フリーランスで働く人の間には「ファッション雑誌40歳定年説」という言葉があるくらいだから、当たり前のことと考えればよかったのだけど、私は自分を責めた。あのときあの人にあんな口をきいたから仕事が来なくなったんだと何年も前の出来事を掘り返した。パソコンが使えない。数字にも弱い。法律とか政治とか経済とか難しい話はわからない。会社に勤めたこともない。スタイリスト以外に何もできないじゃないか。どれも頭の悪い自分のせいだと思った。情けなくて誰にも相談できなかった。
そうしたら娘が保育園の給食を食べなくなった。保育園では原因不明と言われたけれど、私にはわかっていた。私が心ここにあらずだったから、不安で娘は給食を食べなくなったんだ。落ち込みながら育児をするのは無理だった。だから私は、平気な振りをすることにした。そこから6年間、私は自分を嫌いながら、平気な振りをして生きてきたのだと思う。
42歳のときに、知り合いの編集者から40代向けのWEB媒体でファッションの記事を書いてみないかと連絡をもらった。週末に2本書いて、このくらいしか書けませんがと返信したら、いいですねとタイトルを付けてくれて、その週に1本目の記事が掲載になった。何もできないと思っていた自分に、スタイリスト以外のことができたのが嬉しかった。向いているとは思えなかったけれど、大好きな服や靴の話を書くのは楽しかったし、何かにつながるはずだと思った。44歳のときに連載が2本になり、少しだけ自分を認めることができた。もっと書けるようになりたいと思った。
『1000枚の服を捨てたら、人生がすごい勢いで動き出した話』はファッションエディターの昼田祥子さんがWEBメディア『mi-mollet(ミモレ)』で綴った連載を書籍化した本だ。連載は読んでいたので筆者の昼田さんが1000枚持っていた服を50着まで減らしたのは知っていたけれど、書かれていたのは「捨てたら必要なものが入ってくる法則」だけではなかった。興味を引かれたのは、昼田さん自身の「自己の肯定と服への依存」についてのほうだ。
昼田さんは「はじめに」にこう書いている。
「おしゃれになりたい」の裏側にあった、自信のない私。欠けている意識が強く、足りない何かを洋服で埋めることに必死だった自分。
私のことだ。
「はじめに」を読んだだけで、その日は電車の移動中、歩きながら、信号待ちをしながら「欠けてないよ」と自分に言い聞かせてはぽろぽろと泣いた。このタイミングで、やりたかったインタビューをやってみませんかと連絡をもらった。それまで私はほとんどの記事を、私物紹介など自分自身のことを中心に書いていて、そのやり方に限界を感じていたから、インタビュー記事が書けるのは嬉しかった。「捨てたら必要なものが入ってくる法則」はこんなに即効性があるのか。「はじめに」を読んだだけでまだ服は捨てていないけど。
その後、1カ月で服46枚、靴2足、バッグ2つ、靴下12足、帽子1つを捨てた。この頃、インタビューの練習のつもりで人の話を聞くようになったら、人見知りしなくなった自分に気が付いた。イベントで向かいに座っていた女性に話しかけ、知らない人が集まるような場でも発言できるようになった。ためらいがなくなって、新しい友達もできた。何もできない、自信がないと思い込んでいた自分はもういなくて、大丈夫だと思えるようになっていた。ライター募集に応募していた媒体から連絡があり、新しい場所で記事を書かせてもらえることになった。「捨てたら必要なものが入ってくる法則」は物質的に服を捨てる行為だけでなく、思い込みを捨てるときのような、目に見えない行為でも効果があるらしい。
それからさらに1カ月が経った頃、取材で依存症の話を聞く機会があった。依存症というのはてっきり「脳が快楽を覚えて、それを繰り返してしまう」のだと思っていた。でも専門医の間では、依存症は「生きづらさを抱える人が、生きていくための自己治療として、薬物やアルコールなどの力を借りている状態」と捉えられているそうだ。 依存症は自分からは遠い話だと思っていたけれど、取材原稿を書いているうちに、私は「頭の悪い自分」が許せなくて服に依存してきたのだ、と気が付いた。
小さい頃、母が縫ってくれた服や編んでくれたセーターを着るのが誇らしかった。母は私を可愛いと褒め、育ててくれた。でも、母は頭のいい人が好きなのだと思う。自分よりも優秀な兄のほうが愛されていると感じていた。私は「自分は頭が悪い」という言葉をうっかり抱きしめたまま大人になってしまった。
服を捨てたり、取材したり、原稿を書いたりするうちに、こう思えるようになった。頭が悪いわりには、ここまでよく頑張ってきたじゃないかと。
私が私を嫌っていた6年の間、夫婦の間に会話はほとんどなかった。口をきかなくても一緒に暮らしていけるのかと逆に感心したくらいだ。夫婦とは不思議なもので、私が自分のことが許せるようになったのと、夫婦の会話が増えたのはほぼ同時だった。
今年たくさんの服を捨てたけれど、ちょこちょこ買っているので、私のクローゼットはパンパンのままだ。自分のことが許せたらもう服はいらないのか?服を減らすのは正しいことに思えるけれど、果たして自分にとってもそうだろうか?考えていたとき、この『CORECOLOR』でさとゆみさんが毎朝更新するコラムに「自立とは、依存先を増やすこと」とあった。だったら、これからいっぱい好きを増やすような生き方をしていけばいいじゃないか。昼田さんは自己対話を通じて服への依存を減らす選択をした。私が出した答えは、昼田さんが出したのとは違うものだ。私が毎日の服を制服化したら自分が台無しだと思った。おしゃれは自分の弱さの表れであると同時に、自分の強みでもある。もしまた人生につまずいたら、思い込みを捨てて、好きを増やしていけばいいのだ。
文/大日方 理子
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