そのメイクはあかりを灯す。「イガリシノブ展 人は街のあかりである」
イガリシノブ展。1人のヘアメイクアップアーティストの名を冠した展覧会が16日間、ラフォーレ原宿で開催された。
その中で連日行われたグループメイクレッスンに参加できたので、レッスンを中心に振り返ってみたい。
グループレッスンは1回あたり90分、10名ほどの人数で行われる。まずはスキンケアからスタート。日焼け止めや化粧下地を塗る前に、スキンケアでの土台づくりが大事だという。WHOMEEのオイル美容液を3滴手のひらに伸ばして、顔全体に塗る。1、2、3滴。落としたところでアシスタントさんに声をかけられる。「もっとです」。どうやらこの1滴とは、ぽとんと落ちる雫ではなく、スポイトで1回ずるずるっと吸った全量を指すようだ。その数え方での3滴は小さじ2くらい、手のひらからこぼれそうな量である。顔面べとべとになり不安だったが、周りの受講者を見ると、ツヤツヤと輝いて見える。これがいわゆる、内側から発光するようなツヤか。美容雑誌などでよく見かける字面ではあるが、感覚として腑に落ちたのは初めてだ。
続いて日焼け止め。メーカー推奨の規定量は無視して、パール粒たっぷり3粒ほどの量を手のひらに伸ばし、顔全体にべたべたと塗る。まるで、ジェッソで絵画の下地を作っているようだと思った。
その上に、ハイライト、シェーディング、ハイライトと層を重ねていく。ここからは、骨格を意識して、骨格に従ってコスメを塗っていく。1行程ずつ骨に触れて確認しながら、1つコスメを持ったら、その色で塗りたい場所は全部塗る。さながら油絵のようだ。
シェーディングは、おでこの外側、鼻の始まり、鼻の先、ほうれい線の始まりに点でのせていく。「鼻の始まりの骨を、横からつまんだ位置にシェーディングをのせる」と指示があった。イガリさんも周りの受講者も、目と目の間あたりを押さえている。私もそこにそっと触れてみる。骨を感じられるように、皮膚を指でつまみ上げてみる。「自分の鼻も、人と同じような位置から生えていてほしい」という無意識の祈りが表れたように思う。
「ちがうよ、もっと下」。イガリさんから声が飛ぶ。イガリさんと目が合う。わ、私ですか。バレましたか。イガリさんと私、3メートルほど離れてるんですが。
慌てて1センチほど下げてみる。「もうちょっと下げる下げる」。骨ないんだよなあと思いながら、指が2センチ下でやっと、面らしきものに辿り着いた。「そこ」。この人、私の皮膚を透かして骨まで見えてる? この距離で?
結果、目と鼻翼の中間の高さに、グレーのシェーディングをのせることになった。周りの人と比べるとずいぶん下の方だ。大丈夫なのかと心配していたが、自分の顔にたしかに存在する立体感に言葉が出ない。え、魔法? 思わず鏡から目を逸らしたくなる。のっぺりとした顔面が立体感を持つのは、こんなにも照れくさい気持ちになるものなのか。
イガリさんはご自身の顔でメイク1つひとつの行程を実演して見せながら指導していたが、その行程でほとんど鏡を見ることがなかった。(だからずっとイガリさんの顔が隠れることなく全部見えていて、とてもわかりやすかった。)目で見ず、骨に触れる感覚と、ヘアメイクとして鍛錬した指先の感覚だけでコスメの剤を塗っていた。「骨格を意識してメイクする」を体現されていたのだ。
レッスン中、イガリさんは1人ずつに声をかけ続けた。全員が同じ工程で進めるメイクレッスンではあるが、みんな顔が違うので、それぞれ意識すべきポイントが違う。グループレッスンなのに1人ひとりに寄り添ってメイクを教えてくれている特別感があった。
「顔がギュイーンとちっちゃくなったね!」レッスン終了後、声をかけていただいた。顔面にちょっとずつ立体感を出していたのは、ひとつずつのパーツをただ整えるためだけではなく、顔の印象を小さく見せるためだったのだと、この時初めてわかった。細かいコンプレックスをつぶすのではなく、引きで見た時の雰囲気をよくするメイク。悪いところをましにするのではなく、よいところを伸ばすメイク。初めて見る自分の顔を、小躍りしたくなるくらい気に入っていた。
レッスン後、浮かれた気分でようやく展示を見た。会場の設備むきだしの黒い天井に吊られた、鮮やかなメイクの森絵梨佳さんの写真が圧巻である。過去にイガリさんが生んだ沢山の名メイクを、生みだされた当時の写真を使うのではなく、この展示のために2024年の今再現したもの。たとえ12年ほど前に生み出されたメイクであっても、これが最新だと言われてもなんら違和感はない。ふと、イガリさんがメイクレッスン中に「今は、展示にあるような『おフェロチーク』の塗り方はしない。」と言っていたのを思い出す。個人の存在を大きく見せたい時代だったからあの塗り方だったけど、今は存在やいろんなものを小さく見せる時代だから、おフェロチークみたいに大きな色をどんっとのせるのではなくて、顔の要素であるパーツとパーツの距離や配置のバランスを見て細かく塗り分け、錯視の力を使って全体が小さく見えるような塗り方をしていく、というようなことを早口でつぶやくように仰っていた。イガリさんの頭の中には今はどんな時代なのか、その時代を生きる人はどうありたいと思っているのか、それをメイクではどうアプローチすべきか、と考え尽くされた意図があるのだろう。でも全てを言葉にはせず、メイクで表現している。
延べ来場人数は7,000名、会期中のグループメイクレッスン参加人数は310名だったという(最終日、会場撤収直後のイガリシノブさんインスタライブより)。展覧会の副題は『人は街のあかりである』。はじめ見た時はピンと来なかったが、今はその意味がわかる。人はあかりで、イガリさんはメイクでそのあかりを1つひとつ灯してきたのだ。芸能人、モデルはもちろん、たくさんの一般の人まで。理論と芸術をたっぷりちりばめた、魔法のようなメイクで。「私はただのヘアメイクなのに、沢山の人が展覧会に来てくれて、レッスンを受けてくれて嬉しい」。そうイガリさんが仰っていて驚いた。こんなにも有名で人気のあるイガリさん自身が、今でもそんなふうに思っているなんて。イガリさんがよく表に出る人なので忘れてしまいそうになるが、ヘアメイクさんというのは本来、影の存在なのだ。謙虚で、理論派で、芸術肌。ふとした言葉から、イガリさんのすごさを感じてしまう。
「6千円のレッスン、6千円で終わるか、10万円の価値にするかは、受けた人次第だからね」。私は、あのレッスンを何円ぶんにしていけるだろうか。受けて終わりではない、始まりなのである。レッスンから1週間が経ち、鼻の始まりを無意識のうちに上の方に置いてしまう度に笑ってしまう。「骨、骨」とつぶやきながら自分のものにしていこうと思う。
文/渡辺 智子
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