被災地から始める新しい集落のあり方ー珠洲市真浦町「現代集落」【連載・能登のいま/第20回】
能登半島地震から1年が経ちました。CORECOLORは、今年も継続して、私たちの仲間が住む「能登のいま」をリレー連載でお届けしたいと思っています。
ライターの那須あさみです。2024年7月に、能登半島地震で特に大きな被害を受けた地域の1つ、珠洲市の西端に位置する真浦という町を訪れました。家々の目の前には眩しく光る日本海が、そして背後には青々とした山が迫る小さな町です。ここで震災前から進められていたあるプロジェクトに、今改めて注目が集まっています。それは「100年後の豊かな暮らし」を目指して限界集落を持続可能な地域に変える試み、「現代集落」。
プロジェクトを牽引する株式会社ゲンダイシュウラク代表取締役の林俊伍さん(トップ写真)に、震災前後での変化や、プロジェクトのこれからについて伺いました。7月に真浦町で行われたフィールドワークに参加し、豪雨ののち再び現地の様子を聞かせていただいた私がお届けします。(執筆/那須 あさみ サムネイル画像提供/林俊伍さん)
珠洲の美しさに惹かれて
「夕日、見ましたか? あそこの水平線に沈む夕日が、めちゃくちゃきれいなんですよ!」
珠洲のどこにいちばん惹かれたかという問いへの林さんの答えは、「美しさ」。豊かな自然に囲まれた真浦町で見た夕日が、この地で「現代集落」のプロジェクトを始める決め手になったという。
(画像提供:「現代集落」公式Facebook)
プロジェクトが行われる真浦町を自分の目でも見てみたいと思った私は、現地で行われるフィールドワークに参加することにした。2024年7月のことである。金沢駅から、約半年ぶりに全線で対面通行ができるようになったばかりの「のと里山海道」を車で走ること2時間半。北上するにつれ道路の陥没や隆起が増える中、何十個もの土のうが積み上げられた横を速度をぐっと落として慎重に進む。地震で傾いた標識に従い一般道に降りると、屋根にブルーシートのかかった家や、1階部分が潰れてしまった建物が点在する。いよいよ震災の報道でよく見聞きするエリアに入ったのだと、ハンドルを握る手にも力が入る。
海沿いの道を進み、トンネルを抜けると黒い瓦屋根の家々が並ぶ小さな集落が見えてきた。そのうちの1軒の古民家が、「現代集落」の「アジト」だ。ここを拠点に、2020年からDIYによるリノベーション、自家発電装置の設置、耕作放棄地の開墾などを進めてきた。建築家やランドスケープデザイナー、大学の先生、そして地元・珠洲の人など多様なバックグラウンドを持ったメンバーが、それぞれの専門性や知識・情報を持ち寄って活動している。
食料だけでなく、水やエネルギーなど生活インフラのすべてを自給自足する。とはいっても原始的で不便な生活をするのではなく、最新の技術を用いて自然と共生する豊かな生活を営む。それが「現代集落」が目指す姿だ。そのコンセプトに共鳴し、当初10人だったオンライン会員は年々増え、50人に。そんな矢先、能登半島地震が発生した。
プロジェクトを加速させた震災
真浦町に行くには、珠洲市側と輪島市側から続くどちらかのトンネルを通る2つのルートがある。しかし地震による土砂崩れで2つのトンネルの入口がふさがれ、集落は震災後、一時孤立。
山の斜面にある棚田へ続く道も、崩れて農機が通れなくなってしまった。7月に行われたフィールドワークでは、まずその裏山の状況を確認することに。参加者は、それぞれが植生や水源、道路など今日の着目点を決め、地図を片手に出発する。
人の手が入らなくなったことで米作りをしていた棚田はすっかり荒れ、山へ続く道は途中大人の背丈ほどの雑草が生い茂り、地図と照らし合わせるのが難しいところもあった。これまで棚田の草を抜き、道を開拓して整えてきたメンバーからは、あまりの変わりように驚きの声が漏れる。
フィールドワーク当時、真浦町では震災から6ヶ月経ってもなお断水が続いていた。そんな厳しい状況下でも全22世帯のうち、3世帯7人が町に戻って暮らしていた。私が現地を訪れたときには、「〇〇さんのお父さん、水道が使えないから垂水の滝をシャワー代わりにしたらしいよ!」との話も飛び交っていた。自分が同じ立場だったらできるだろうかと考えると、尊敬してしまう。でも、能登の人は元々何でも自分たちで調達してしまう、と林さんはいう。
「以前、能登の友人と話していたら『お肉以外ほとんど買わないよ』というんです。野菜も魚も、知り合いや親戚とおすそ分けし合うから、と。当時僕は就職して名古屋に住んでいたので、高い生活費を払う自分の暮らしがばかばかしく思えちゃったんですよね」
そんな能登の暮らしぶりが、「現代集落」の「100年後の持続的な暮らし」のヒントになった。林さんは東京、愛知での会社員生活を経て出身地の金沢市にUターン後、妻の佳奈さんと起業し宿泊業をメインとする事業を展開。「100年後も家族で暮らしたい金沢」をテーマに、地元の人の暮らしに触れるような宿泊体験の提供と、地域の活性化を目指してきた。そして金沢で事業を営むうちに、金沢は能登の存在なくしては成り立たないことに気がつく。
「たとえば金沢で売られている海産物や農産物、さらには人材も、多くは能登から来ています。同時に、金沢で需要があるから能登も成り立っている、互いになくてはならない存在なんだと気づいたんです」
だからこそ、金沢だけでなく能登もまた「100年後も暮らしたい」地域であってほしい。そしてずっと受け継いでいきたい暮らしが能登にはある、と林さんは考えるようになる。それが「現代集落」の始まりだ。2021年には住民票を真浦町に移し、金沢との2拠点生活を送ってきた。
とはいえ、大きな被害を受けた場所でのプロジェクト。計画を変更せざるを得ない部分も多く、立ち止まることも増えたのではないだろうか。しかし「震災前に比べ関わってくれる人の数も増えて、プロジェクトはむしろ前進している」と林さん。
たとえば東日本大震災の経験者が、自身の体験や震災後のまちづくりで得た知見を共有し、協力してくれている。林さんも各地の人と連携したり、実際に足を運んだりしながら、「現代集落」に生かせることはないか常に模索中だ。私が話を聞いたのも、ちょうど林さんが宮城県石巻市から帰ってきた翌日だった。
「石巻のモリウミアスとはまぐり堂というところが、すごく参考になりました。地元の人と地元ではない人、両方がみんなで一緒に作っていく過程が、とてもうまくいっていると感じたんです」
この言葉には、地元の人の理解を得ながらプロジェクトを進める難しさに対する実感が込められているように感じた。
地元の人たちとの対話
真浦町での取り組みでは、地元の方に「お前のやっていることはよくわからん」と言われることもあったという。でも震災が起こり集落の孤立を実際に経験してから、地元の人たちに変化が現れ始める。「『現代集落』がやろうとしていることって必要なんやね」と理解を示してくれる人が徐々に増えたのだ。
今では、自身あるいは親が真浦町に住んでいる65歳以下の若手の方々を中心に、「現代集落」のメンバーと定期的に話し合いの場が持たれている。話し合いの内容は、町の現状や避難生活に関する情報の共有、プロジェクトについてのアイデアなどさまざま。もちろん町に住むすべての人が好意的なわけではなく、依然として「現代集落」に対して否定的な考えの人もいる。でも「全員に歓迎されるまで何もしないのは違う」と林さんは考える。
「一人ひとりの考え方まで無理やり変えようとはまったく思っていません。でも、こちらから手は差し出し続けていきたいですね。相手が差し出してくれたときに、握ることができるように」
支援する・されるではなく、「一緒に作っていく」
今回のフィールドワークには、主要メンバーの他に、学生や普段はオンラインで参加している東京在住のメンバーもいた。実際に参加してみていちばん感じたのは、みなさんの真剣さだ。地元でも何でもない土地の未来について、そこに住んでいる人と同じかそれ以上の熱量を持って考えてくれる人がいることは、地元の人にとってどんなに心強いだろうか。
「被災した方々は、今目の前の生活について考えることで精一杯で、10年20年先の地域のことまでなかなか考えられないんじゃないでしょうか。だから、外部の人がたくさん関わってくれている『現代集落』が、これから培っていく技術や知恵をどんどん広げていけたらと思っています」
まずは、奥能登の他の地域が必要としてくれたときには連携していきたいという。甚大な被害を受けた奥能登では、復旧と再建に向けた人手が圧倒的に不足しているのが現状だ。しかし逆に言えば、民間である自分たちの手でできる範囲がたくさん残っていると意気込む。
「被災地での取り組みというと、どうしても“支援する・される”という文脈で語られがちですが、僕はその考え方に違和感を覚えるんです。そうではなくて、一緒に作っていく方が健全じゃないでしょうか」
再び豪雨に襲われた真浦町
公開前の原稿チェックの段取りを整えていた9月半ば、今度は豪雨が真浦町を襲った。やっと開通したトンネルは土砂に埋もれ、集落は再び一時孤立状態になった。豪雨の影響で再度電気は止まり、震災以来断水が続く水道とともに復旧のめどが立たないまま年明けを迎えようとしている。町に戻って暮らしていた数世帯も、今は全員珠洲市内に二次避難をしているという。
豪雨の数日後、現地に足を運んだという林さんに改めて話を聞いた。
「『現代集落』の建物は無事でしたが、思っていたよりも町の被害がひどかった。でも淡々と、自分たちができることをひとつずつやるしかないです」
林さんはじめメンバーが震災時に行っていたボランティアの受け入れなどは、今回はNPOや行政に任せて、「現代集落」の取り組みに集中することに決めた。11月の現地でのイベントも予定通り実施した。プロジェクトの計画も大きな変更はなく、震災、水害を受けて、ますます「現代集落」のやろうとしていることの必要性が明確になったと感じているそうだ。
「メンバーも最初の1週間ぐらいはショックを受けていたけど、現地を見たり、話を聞いたりしたことで『何としても実現しないと』と気持ちを切り替えています」
今はアジトを、水・電気・熱を自給できるモデルハウス化することに取り組んでいる。今年は同様のモデルハウスを5棟に増やし、集落内でのエネルギー自給を目指す。
今回は能登が地震と豪雨に続けて見舞われたが、このような災害は日本中、世界中の人にも起こりうる。でもいざ自分がその立場になったとき必要なことや備えておくべきことは、現地に来て、見て、体験しないとわからない部分も多い。
「自分の大切な人や地域を守るためにできることって何だろうと考えるためにも、一度能登に来て、一緒に考えてほしい。そして今度は能登で感じたり考えたりしたことを自分の暮らす地域に持ち帰って、また次の行動に繋げてくれたらと思います」
海と山に囲まれた真浦町は、自分の地元の風景と重なった。大切なふるさとが100年後も続いていくために、自分にできることはあるだろうか。「現代集落」の取り組みは、私に大きな宿題を投げかけてくれたように思う。
文/那須 あさみ
「現代集落」では1〜3月に実施予定の「アジト」のモデルハウス化のため、一緒にDIYに参加してくれるボランティアを募集しています。詳細はこちらから
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