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嘘だらけでも恋愛コラムを信じたい理由が『ぼくらは嘘でつながっている。』でわかった(リレー連載1日目)

日々言葉と向き合っている書き手の4人が、浅生鴨氏の最新作『ぼくらは嘘でつながっている。』(ダイヤモンド社)を読みました。言葉を大切にしたい「書き手」だからこそ、この本を読んで、モヤったこと、疑問に思ったこと、発見したことを、4日連続でお届けします。(本日は1日目です) 

恋愛コラムを読まなくなった理由

恋愛に悩んだとき、夜な夜な恋愛コラムを読んでしまうクセがあった。

ここで言う恋愛コラムとは、「男性が本気で好きな人に見せるサイン〇つ」とか「彼氏に飽きられやすい女性の行動〇選」といったWEB記事だ。

スマートフォンを手にした大学生のころからだったろうか。「男性 LINE 脈あり」などのキーワードで検索し、自分に都合の良い内容が書かれたコラムを見つけるまで画面をスクロールする。

これだ!という記事が見つかったら、気に入った部分を何度も読み返し「やっぱり好かれてるっぽい」と納得して安心し、気持ちよく眠る。相談という体で友人に話をし、肯定的な意見をもらって安心したい心理と似ている気がする。

一時期は恋愛コラムにドはまりしていた私だが、大人になるにつれ、徐々に距離を置くようになった。大学3年生のとき、こういったコラムを妄信して大失敗している友人を見て、自分も気を付けようと思ったあたりから自然と遠ざかっていた。

それから数年、社会人になってライター講座に通い、とある大手SEOメディアの編集者と親しくなった。SEOメディアとは、Googleなどの検索エンジンからの集客を目的としたSEO記事を集めたWEBサイトのこと。恋愛コラムの多くがこのSEO記事にあたる。

その人からSEOメディアの内情を聞いたり、仕事をふってもらったりするようになり、恋愛コラムをはじめとするSEO記事がどのように作られているかを知った。

紙媒体の出版社に勤めていた私は、取材などの一次情報をもとに記事を書くのが当たり前だと思っていた。一方で、SEO記事は、他のWEBサイトや書籍などの二次情報だけで記事を書くのが一般的で、これには大きな違和感を覚えたのだ。

そして、恋愛コラムだからといって、恋愛の専門家や恋愛経験豊富な人が執筆するわけではなく、SEO記事の執筆を専門とするWEBライターが書くケースが多いことも知った。

結構テキトーに書かれていることも多いんだな…とガッカリしたのだ。そのころの私は、恋愛に悩んでも、恋愛コラムを読むことはほとんど無くなっていた。

しょーもないとわかっていてもやめられない恋愛コラム

私は、もともと、嘘やインチキが嫌いである。自分自身もなるべく嘘を付かないようにしているのはもちろん、好きな男性のタイプを聞かれて、「嘘をつけないくらい不器用で正直な人」と答えるくらい。だから、恋愛コラムもイヤになった。

なぜイヤになったのか。コラム制作の裏側を知ったことで、そこに書かれている内容は、まるで信ぴょう性がなく、嘘のように感じたからだと思う。そして、嘘ならば、真面目に読んだり、参考にしたりするべきものではないと思ったからだ。

例えば、「男が離したくないと思う女の特徴〇つ」を、恋愛経験ゼロのWEBライターが、ネットや本の情報だけをもとに書いているとしたら、真に受けてはいけない気がする。

しかし、コロナ禍で友人と気軽に会えなくなり、相談相手が欲しくなった私は、またちょこちょこ恋愛コラムを読むようになった。どうせ嘘だらけだし、嘘だから鵜呑みにしてはいけないのはわかっている。ある種の後ろめたさに悩まされながらも、なぜか読んでしまうのだ。

恋愛コラムは “信じたい嘘”だった

そんな自分の行動を説明し、肯定してくれた気がしたのは『ぼくらは嘘でつながっている。 』だ。元NHKディレクターで作家の浅生鴨氏が、嘘とは何か、本当に忌むべきものなのか、嘘が人間関係にもたらす影響を分析する。

この本に、嘘だとわかっていてもつい恋愛コラムを読んでしまう理由をズバリと言い当てられたのだ。

「僕たちは嘘を通じて社会だけでなく自分自身をも安定させているのだ。望んでいるときに与えられる嘘や信じたいと願う嘘は強い希望になる。」(160頁)

“信じたい嘘”は希望になる。恋愛コラムの中毒性は、まさにこの一説に集約されているだろう。内容が嘘か真実かが重要ではなく、希望を得るために私は恋愛コラムを読んでいたのだ。

嘘だとしても、読んでハッピーな気持ちになれたり、自分に自信が付いたりするなら、それでいいのではないだろうか。それに、恋愛コラムから知識や自信を得て、行動を起こせたことで、理想のパートナーを振り向かせられた人もいるはずだ。

一方で、浅生氏はこうも言う。

「信じたい嘘は希望になるが、信じすぎるとその希望は新たな苦難を呼び込んでしまう。それが嘘の良さであり、恐ろしさでもあるのだ。」(161頁)

大学時代の私の友人のように、恋愛コラムは、時には人を間違った方向に導いてしまうこともある。だけど、それは受け取り手の問題ともいえるだろう。

ここで紹介した「信じたい嘘は希望になる」に限らず、浅生氏が本書で次々と繰り出す理論はとても新しい。新しすぎて読んだ直後は理解しがたくても、かみ砕くとなぜか納得できるのだ。何かしらの自分の経験とリンクするので、「これはこういうことだったのか!」とハッとする。

本書の途中までは、理屈っぽくてクセが強いおじさまが書いた本かな?と斜に構えて読んでいた(すみません)。しかし、後半の第3章「嘘とどう付き合うべきか」あたりから、嘘にまつわる自分の経験や、疑問に感じていたことへの答えを次々にもらえ、ページをめくる手が止まらなくなった。私のように、嘘が嫌いで嘘は良くないものだという固定観念にとらわれている人ほど、おもしろく読める本だと思う。

アラサーとなり、大学生のころとは読む恋愛コラムも変わった。最近はもっぱら「マッチングアプリで既婚者を見分ける方法」「結婚に本気な男性の行動〇つ」といったコラムを読み漁っている。これからは堂々と“信じたい嘘”を楽しもうと思う。もちろん、適度に距離を置きながら。

文/岩田 いづみ

<紹介書籍>
『ぼくらは嘘でつながっている』――元NHKディレクターの作家が明かす人間関係の悩みが消えるシンプルな思考法

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