
小説『女の国会』について語り合いたい、政治の話ではなく
同僚のYちゃんに読んでもらいたい小説がある。でも私は、本を勧めるか迷っている。29歳の女子にひと回り以上も年上の私が新川帆立さんの『女の国会』を勧めたら、ウザイと思われないか心配なのだ。
衆議院選挙前のある日、Yちゃんと私は取引先に車で向かっていた。Yちゃんの運転でいつもの高速を走っていたときである。
「選挙があるけど投票には行きません。どの候補者を選べばいいかわからないし、政党の違いもよくわからないから。そもそも私が投票したところで、何か日本は変わりますかね」
私は一瞬、喉の奥が苦しくなって、返答した。
「私は、国民全員が選挙に行くと変わることはあると思っている」
そう口にしながらも、説得力ゼロだなと思った。私も20代のころは彼女とまったく同じ気持ちだった。Yちゃんは言った。
「地元の町議会議員選挙は必ず行くんですけどね。候補者たちはみんな知ってる人だから」
身近な人が政治を行うのなら、選挙にも興味を持てる。私も出身地が人口1万人規模の町だったから、わかる。町議会議員に立候補している人は、同級生の親戚だったり、名前を聞いたらどの地区出身かすぐに思い浮かんだり、政治家と自分の距離が今よりは近かった。だから親近感もわくし、自分ごととしてとらえやすい。でも国の政治となると治める範囲も広いし、自分と切り離されてすぎて、関心を持てないのだ。わかる。
そこで私は先日読んだ本を思い出した。小説だったらエンタテインメントだし、政治を身近に感じてもらえるかもしれない。『女の国会』は推理小説で、気負わずに読めるのだけど……。でも46歳の同僚が政治の話をするなんて、重たいだろうなと遠慮して、本の話はできなかった。
『女の国会』は、議員の自殺の真相を国会議員とその政策担当秘書、新聞記者たちが明らかにしていきながら展開する。タイトルのとおり、主要な登場人物は女性である。事実を探求する過程で起こる出来事は、リアルで、いかにもありそうだと感じる。男性対女性の対立構図は、フィクションではなくルポタージュのように詳細に書かれている。60代半ばの男性幹事長がスキャンダルを収束させるため、同じ党の46歳女性議員に責任をとって謝罪するよう求めるシーンなど、初めて読む物語なのに既視感がある。女性議員に共感しながらも、定番化した状況にがっかりもする。
うなずきながら読み進めるうちに、気が付いた。私は、政治に関わる人たちを勝手な固定観念で眺めていたから、「いかにもありそう」と感じたのかもしれないと。政治家にも当然、いろんな人がいる。何代もの政治家家系出身の人もいれば、社会の違和感を変えたくて政治家になった人もいる。当たり前だが、みんながベンツやBMWに乗っているわけではない。でも私は、政治家全員をひとまとめにして、自分とは違う「トクベツでモノズキな人たち」だとラベルを貼っていた。でも、いかにもな行動をとる動機がこの本には書かれていた。
政治家らしく策士なのは、法案を通すためなのだ。目立ちたいのは、有権者に名前を覚えてもらうため。普段はパンツスーツなのに連合会へは着物で参加するのは、選挙に勝って議員であり続けるため。当選しないと自分が抱いた違和感を解消する策が持てないから。
登場する政治家たちの姿が多方面から書かれていて、生身の人として立体的に浮かんできた。政治家は、トクベツで自分とは違う世界にいる人ではなく、実生活の同じ線上にいる人たちなのだ。一見、「政治家らしい」と思える行動の裏にはちゃんと理由がある。なのに私は表面だけを見て、メディアから知るイメージだけしか受け取っていなかったと反省した。
人の目を気にしている時間があれば、実現したい社会のために行動したいと思う人がいるのだ。本を読みながら、有名な政治家の顔が何人か思い浮かんだ。あの人たちも血尿が出たり、生理がとまる経験をしながら、街頭演説に立っているのかもしれない。主人公の高月議員と同じ気持ちを持っている人もいるかもしれない。
三百六十五日、二十四時間を政治にささげてもいい。内臓でも、血液でも、寿命でも、何でも差し出す。
『女の国会』(著:新川帆立 出版:幻冬舎)より引用
だからせめて、政治家でいさせてほしい。
少しでもまともに、この国を変えさせてほしい。
物語は現実と違う。でも小説だから理解できることもあると思う。政治の話題が重たいなら、ミステリーの話はどうだろうか。「つまらなかった」の感想でもいいから、このことについてあなたと話がしたいのです。
文/島田 幸江
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