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恋と友情と学園生活と。青春時代のすべてが詰め込まれたベストアルバム「ALL TIME BEST 矢沢あい展」

黒髪をばしっとまとめたリーゼントスタイルの男性が、挑発的な目でこちらを見ている。目が合った瞬間、私は心臓をぎゅうっとわしづかみにされ、そのまま気持ちごとあっという間に30年前に引き戻された。

バイクの後ろにまたがり、振り落とされないように彼の腰にしっかりと抱きついて、目指すは遊園地。すべての乗り物にひと通り乗って、日が暮れ始めた頃に向かったのは、観覧車だ。ゆっくりとゴンドラが上がっていき、言葉を交わし、やがてキスをする。そしてふっと笑った彼が、こう言った。「マーブルチョコの味」。――漫画『天使なんかじゃない(天ない)』に描かれるワンシーンだ。

初めてのキスはレモンの味じゃないのか! とツッコみながら、当時小学生だった私の中で、憧れのキスの味はレモン味からマーブルチョコ味へと塗り替えられた。

今でもはっきりと覚えている。長らく『週刊少年ジャンプ』派だった私が初めて手に取り、読んだ少女漫画は『天ない』だった。新設校である聖学園高校を舞台とした学園ラブストーリーで、リーゼントスタイルの男性は本作のヒーローである須藤晃。多感な少女であった私は、主人公・冴島翠にめちゃくちゃ感情移入し、泣いたり笑ったり悶えたりしながら、作中で描かれる恋愛や友情、学園生活の行く末を見守ったものだ。

その『天ない』の作者である矢沢あいさんの展覧会「ALL TIME BEST 矢沢あい展」の仙台会場が仙台フォーラスで開催されていたのだ。私は『天ない』でどっぷり矢沢あい作品にハマり、その後の『ご近所物語』、『下弦の月』、『Paradise Kiss(パラキス)』、そして『NANA』に至るまですべてのコミックスを揃え、追いかけ続けてきた。最新作である『NANA』は、2009年から休載しているが、未だ再開を待望するファンは多い。

「矢沢あい展」は、2022年7月に東京会場で開催されたのを皮切りに、全国を巡回している。これまでに8会場で開催され、残すは名古屋のみ。仙台在住の私は昨年の東京会場以来、2度目の観覧となる。なぜ2度目なのか。「矢沢あい展」の開催が発表された当初、仙台会場での開催予定はなかったからだ。だから東京まで足を運んだわけだが、後に仙台でも開催されると聞いて私は再び歓喜した。「もう一度、あの感動を味わえるなんて!」仙台にまで来てくれてありがとう、「矢沢あい展」。そんな気持ちでいっぱいになりながら、仙台会場初日の6月2日を迎えた。

会場の仙台フォーラス前には、入場開始を今か今かと待ちわびる人たちが列をなしていた。東京会場へ行った時も感じたことだが、年齢層が幅広い。40代後半くらいだろうかという人から、学生とおぼしき若者まで。『天ない』が『りぼん』で連載を開始したのが1991年。『NANA』が『Cookie』で連載を休止したのが2009年。その間、なんと18年だ。ファン層が厚いのもうなずける。また会場には、『ご近所物語』の主人公・実果子が立ち上げたブランド「HAPPY BERRY」のロゴマークをモチーフにした手作りのリュックサックを背負う人や、『NANA』っぽさ満点のパンクなファッションに身を包む人も見られた。

本展覧会は、いわば矢沢あいさんの「ベストアルバム」。展示の内容も音楽アルバムに見立て、トラック0から5までで構成されている。扉絵やカバーイラストのほか、印象的なワンシーンを切り取った原画も多数展示。1枚1枚見るたびに、リアルタイムで読んでいた頃の心情までありありと思い出せる。恋をしていた頃は切なさに胸がちぎれそうになり、将来に悩んでいた頃は「理想の未来だ」と作品の中に夢を見た。きっと周りの来場者たちも、似たような気持ちだっただろうと思う。複数人で来ている人も多く、彼・彼女たちは口々に「うわあ、懐かしい!」「これ、好きだった」などと話していた。

展示は矢沢さん近年の画業である『ストリート・トラッド~メンズファッションは温故知新』に始まり、『パラキス』『ご近所物語』『天ない』『下弦の月』『NANA』の順番に続く。それぞれの作品の展示ゾーンに入ると真っ先に、漫画内の印象的なモノローグが記されたタペストリーが出迎えてくれる。

トラック1『Paradise Kiss』の始まりを告げるタペストリー

目の前に飛び込んでくるモノローグは、まるでスイッチのようだ。これを見た瞬間、自分の中身がまるごと、漫画を読んでいた当時にタイムスリップする。30年前の感情が、ものすごい勢いで湧き上がる。漫画の持つパワーとも呼べる、これはなんだろう。そう考えて、ふと思いついたことがある。それが、「言葉」の力だ。

例えば、上の画像は『パラキス』のヒーローであるジョージの台詞。「自分の可能性を信じなきゃ 何も始まらないよ」。常に自信たっぷりで夢に向かって邁進している彼の口から出るからこその重みがある。『天ない』の主人公・翠の親友であるマミリンの「あたしは冴島翠みたいになりたい」は名言中の名言だ。『NANA』の「ねえナナ あたし達の出会いを覚えてる?」も忘れちゃいけない。これほど短い言葉の中に、ナナとハチの親密さ、ハチの甘えん坊感、そしてどことなく漂う切なさなどがまるっと込められている。

私はずっと、矢沢あいさんの魅力は画力と、ストーリーを紡ぐ力と、深みのあるキャラクターだと思っていた。いや、他にもあるかもしれないが、語りだすと長くなるのでここではその3つに留めておく。「言葉」に着目したことは、おそらくなかった。けれど今思えば彼女が原作の中に散りばめた台詞やモノローグ――つまり「言葉」は、あるときは情景をありありと読者に見せ、またあるときはキャラクターの心情をより強く深く伝えてくれる。そうしたものばかりなのだと気づいた。だからこそ彼女の作品は多くの人の心に響き、今も愛され続けているのではないか。

トラック1『Paradise Kiss』展示
トラック2『ご近所物語』タペストリー

トラック3『天使なんかじゃない』最終回より、生徒会室の寄せ書き

各展示コーナーは、それぞれ「色」で分けられている。『パラキス』は深い青、『ご近所物語』はポップなピンク、『天ない』は淡い緑、といったように。しかし雑誌やコミックスで読む漫画のほとんどは、モノクロだ。基本的に色は塗られていない。にもかかわらず展示に採用された「色」は、私のなかに驚くほどすっと入ってきた。

なぜか。これはきっと、矢沢さんの描く作品のそれぞれに、はっきりと個性が確立されているからではないだろうか。例えば、『ご近所物語』の実果子は夢に向かって燃えるメラメラギャルで、夢にも恋にも一直線。喜怒哀楽のはっきりした性格で、個性的なファッションを好む、どこまでも情熱的で、ビビッドで、この上なくピンクが似合う女の子だ。『天ない』も『パラキス』も同じ学園モノで、恋愛を主軸に物語が展開するのは共通している。けれども物語は似通った展開にはならず、それぞれのオリジナリティが光る。要は、作品ごとにしっかりと「色」があるのだ。どの作品にも多くのファンがいる理由を、改めて垣間見た気がした。

300点にもおよぶ展示品の最後を飾るのは、この「矢沢あい展」のキービジュアルだった。はじめに見たときは、「晃の後ろは翠ちゃんじゃなきゃ」と違和感を覚えたものだが、今はやけにしっくりきている。『天ない』から『NANA』に至るまでの、私の青春時代のすべてを詰め込んだこの展覧会。これを1つのビジュアルで表す最適解が、このイラストなのだと。今はそんな気がしている。

文/岩崎 尚美

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