エッセイストから政治家を出すのが野望。自分の言葉で語れる女性たちと社会を動かせるメディアを目指して。『かがみよかがみ』/伊藤あかり編集長【編集者の時代 第1回】
CORECOLOR編集長、佐藤友美(さとゆみ)が、編集者に話を聞くシリーズ「編集者の時代」。
初回は、朝日新聞社のウェブメディア『かがみよかがみ』の創刊編集長、伊藤あかりさん。同メディアは、18歳から29歳までの女性が、恋愛や仕事、容姿のコンプレックスなどをテーマにエッセイを寄せる「投稿サイト」である。
コンセプトは、「私は変わらない、社会を変える」。なぜ朝日新聞社が「投稿メディア」を運営するのか。朝日新聞社唯一の社内公募で採用されたメディア『かがみよかがみ』が生まれるまでとその可能性に触れます。
聞き手/佐藤友美(さとゆみ) 構成/小原らいむ
地元○○町の平塚らいてうと呼ばれた母に育てられて
――伊藤さんが新聞社に入ろうと思った動機から聞いてもいいですか?
伊藤 新聞記者ってたいてい「主語がでかすぎる」と言われるんですけれど、真剣に社会を変えたいと思って新聞社を志望したんですよね。女性ならではの生きづらさみたいなものを変えたかったんです。
でも、自分1人で声をあげているだけで社会は変えられない。メディアに就職すれば、声を大きくすることができるんじゃないかと考えていました。
――なぜ女性の生きづらさを意識するようになったのでしょう。
伊藤 私の母は、地元で“○○町の平塚らいてう”と冗談で呼ばれていたほどの、超フェミニストだったんです。母は会社員として働いていたのですが、同期の男性社員と給料の額が違うことに怒って、労働組合や弁護士事務所、マスコミに駆け込んだそうです。当時はまだ男女雇用機会均等法もできていなかった頃。母の働きかけもあり、半年遅れで同期の男性と同じ給料をもらえるようになったそうです。
母には、子どもの頃から「男のパンツを洗うだけの女になるな」とか「結納の習慣は良くない」などと言われていたのを覚えています。男兄弟と一緒に印鑑を作る時に、父が「あかりは名字ではなく下の名前で印鑑を作ったら」と言ったら、母が「なぜあかりだけ名字が変わる前提になっているの!」とすごく怒っていたことも。
そういう母の影響もあって、私自身も、結婚したら名字を変えなきゃいけないことや、結婚を機に仕事を辞める女性が多いことにずっと違和感があったんです。
私、高校時代、弁論部だったんですよ。
――弁論部。
伊藤 全国大会で3回優勝したんですよね。内閣総理大臣賞みたいなの、もらいました。
――!!! そんな歴史が!
伊藤 私も今、お話するまですっかり忘れていましたけれど、当時から社会に対して言いたいことがいっぱいあったんだと思います。
――そうやって新聞記者を目指したのであれば、今のようにウェブメディアの編集長をしていることは想像していなかった?
伊藤 していなかったですね。より多くの人に社会を変えるメッセージを届けたいから、この会社で出世して大きな裁量権を持ちたかった。でも、記者を続ける先にしか新聞社での出世はないと思っていました。当時考えていた最高の出世は、編集委員。
『三行で撃つ』の近藤康太郎さんみたいに顔出しでコラムを書いたり、稲垣えみ子さんのように自分の得意な分野について自分の名前で書いたりしたかった。でも、それを実現できるのはすごく先のことだと思っていたから、それまでは記者として下積みを続けるつもりでした。
伊藤 そう思っていた矢先、27歳の時に紙面編集をする編集センターへの異動が決まったんです。記事を書きたくて入社したので、筆を取り上げられた気持ちになって、すごく落ち込みましたね。人事発表を見ておいおい泣いていたら、映画担当の先輩記者に「諦めなければやりたい仕事ができるようになるよ。俺も55歳でやっと映画記者になれたから」と言われ、50代になるまで自分のやりたいことができないのかと、さらに落ち込んだり。いつか記者に戻りたいと思いながら編集センターで働いていました。
ただ、「新聞社の頭脳」と呼ばれる編集センターで、協力しあいながら新聞を作っていくという過程はめちゃめちゃ刺激的で楽しかったです。先輩たちと「どんな見出しをつけるか」「扱いはどうするか」「その理由は?」とじっくり議論する時間をもてたことは幸せでした。
――そこからどういう流れでウェブメディアに携わることになったのですか?
伊藤 編集センターで働きながらも、自分で書きたい思いは捨てきれなくて。朝日新聞社のニュースメディア『withnews』の編集長が、うちで記事を書いていいよと言ってくれたんです。
そこに寄稿した、「ガングロと新聞社 『絶滅危惧種』同士の生き残りかけた作戦会議」が「ジャーナリズム・イノベーション・アワード2017」で優秀賞を受賞。この実績が評価され、ミレニアル女性向けメディア『telling,』の立ち上げに携わることになりました。
ウェブの世界で「編集長」という書く以外のかっこいい働き方を知った
――『telling,』編集部への異動が決まった時はどう思いましたか?
伊藤 めっちゃ嬉しかったです。なぜなら、また書けるから。
ウェブは、読者の反応が見えて、誰が読んでくれているのかわかるのが楽しかった。新聞記者の時は、とある町の選挙の投開票情報を1日かけて取材して、書くのはたったの3行だけという仕事もありました。上司に「これは誰が読んでくれるんですかね」と言ったら、「俺とお前だ」と(笑)。
読者の反応が見えにくい新聞と比べたら、ウェブは別世界でした。バスで前の座席に座っている人が、私の書いた記事をスマホで読んでくれているのを見かけたこともあって、手応えを感じましたね。
――新聞とウェブの違いで苦労したことはありますか?
伊藤 今となっては黒歴史で申し訳ない気持ちでいっぱいなんですけど、ライターさんの原稿を真っ赤にしていました。というのも、新聞社のデスクではめちゃくちゃ赤字を入れるので、同じようにライターさんの原稿も修正しまくっていたんです。
そうしたら、ライターさんとのやり取りがピリピリしてしまったこともあったし、『telling,』創刊編集長だった女性の先輩に「ここまで赤入れすると原型が無くなってしまう。もう少しライターさんの気持ちに立って」と注意されたこともあります。
今なら、私が修正せずに「ここをもっとこうしたほうが読みやすくなりませんか?」と提案して、ライターさんに書き直してもらうと思います。
――ライターに寄り添ってくれる編集長だったんですね。その編集長からは他にどんなことを学びましたか?
伊藤 人を育てることや周りを巻き込むことがすごく上手な方で。「伊藤さんなら、こんなこともあんなこともできるよ!」と私にすごく期待をかけてくれたんです。
この人のために『telling,』を評価されるメディアにしたい、と思うほど慕っていました。新聞社は、人を褒めて育てる文化があまり無い気がしていて、ダメだダメだと言われてきたので自尊心が低くなっていて。創刊編集長に会ってから、人に対しての優しい気持ちをもう一度取り戻せました。
それに、彼女は、人の悪口を言わないので、皆に好かれていたんですよね。声をかけると、どんなに忙しくても手を止めて話を聞いてくれる優しい方でした。この世界で出世するためには派閥を作らなきゃいけないと本気で思っていたけど、敵を作らずに偉くなっていくのが一番強いと当たり前のことに気付かせてくれた人でもあります。
創刊編集長を見て、「自分が書く」以外にも、かっこいい働き方があることを知りました。むしろ、1人で書くより、人を巻き込む編集長のほうがインパクトのある仕事ができるかもしれない。だから、いつか自分も編集長になりたいと思ったんです。
朝日新聞社初、「編集長が作りたいから作った」ウェブメディア
――『かがみよかがみ』はどうやって生まれたのでしょう?
伊藤 メディアを立ち上げる話が出たのは『telling,』の編集部にいた時。2018年の夏ごろだったと思います。当時のウェブメディア系の編集部では32歳の私が最年少で、1歳上の広告担当の男性社員と「最年少コンビで一緒に新しいメディアを立ち上げたら面白そうだよね」と話していたんです。
いつ実現させられるかもわからなかったけど、2人でメディアの企画を始めることに。毎週水曜日に、まだ誰も出社していない朝8時半の会議室に集まって、ホワイトボードにアイディアを書きだして構想を練るようになりました。話し合いを始めてから3カ月後くらいに、社内でウェブメディアの企画が募集されることになり、応募したんです。
当時から朝日新聞社ではいくつかのウェブメディアを展開していましたが、編集長がやりたいと手をあげて実現したのは『かがみよかがみ』が初です。
――サイトのコンセプトはどうやって決めたんですか?
伊藤 声をかけてくれた広告担当の先輩は「伊藤さんがやりたいメディアをやってみたい」と言ってくれて。
まず、就活のように自己分析から始め、私自身の課題を3つあげました。その中の1つが容姿コンプレックスでした。先ほど、弁論部だったと話しましたが、弁論部ってアナウンサーになりたい綺麗な女子がたくさんいる場所なんです。「私はブスだけど、この美人たちに口では負けない!」と異常な対抗心を持ちながら過ごした学生時代だったので……。
そこで、容姿コンプレックスについて、18~29歳の女性30人にヒアリングしたんですよね。「それっておばさんの悩みですよ」と言われるかと思ったんですが、皆すごくわかると共感してくれたんです。やっぱり、容姿に悩んでいたり、自己肯定感が低かったりする女性が多いのは日本の問題だよねと。そこで、昔の私と同じ悩みを持つ人たちをエンパワーするメディアにしようという方向性になりました。
――その広告担当の方は、どうして伊藤さんと一緒にメディアを立ち上げたかったのでしょう。
伊藤 私が担当した『telling,』のインタビュー記事が、めっちゃPVを取れていたんですよね。
――その秘訣を聞きたいです!
伊藤 新聞記者時代から質問の切り口にはこだわってきました。取材前に、インタビュー相手の著書や記事を読める限り読みまくると、その人が私に乗り移る瞬間があるんです。そして、乗り移った状態で、あれこれ質問と答えを想定してみると「この質問は答えられないかも」と思う質問が出てくる。その質問をぶち込むことで読者が知りたい答えや意外な一言を引き出せていたから、たくさんの人に読んでもらえたんだと思います。
先輩は、私だからできる質問の切り口に興味があって、じゃあ私がメディアを作ったらどうなるのか興味があると、声をかけてくれたそうです。
当時私はウェブメディアの部署に移って半年くらいしか経っていなくて、サイトの収益化とか、お金まわりのことはまったくわからない状態でした。そんな私が、収益を無視して、純粋に作りたいと思うメディアを作ったらどうなるのか実験してみたかったらしいですね。
エッセイストから将来の政治家を輩出するのが夢
――インタビュー記事の評判が良かったなら、インタビュー中心のメディアにすることは考えなかったんですか?
伊藤 新聞記者や『telling,』のライターをしていた時は、相手にマイクを向け、喋ってもらったことを記事にしていました。でも、私が聞きたかったのは、マイクを向けられたから出てくる言葉じゃなくて、若い女性たちの本当の声だと気づいて。
それに、私には、どうがんばっても新聞社で働く30代の女性の話しか書けない。当時は子どももいなかったし、自分の経験の範囲ってすごく狭いと思っていました。だったら、もっといろいろな立場の人の声を聞いてみたいし、そのほうが共感してくれる人も多いのではないかと。
また、私1人で書き続けることの限界も感じていました。私が10本書くより、10人が書いた10本を編集したほうが早いですよね。当時は「思想をばらまく」っていう言い方をしていて。
私と同じように社会を変えたいと思っている女性たちにペンを執ってもらえれば、数が力になって、社会を動かせるようなメディアになるんじゃないかと考えていました。
――『かがみよかがみ』を立ち上げた当時、エッセイを投稿してくれる「かがみすと」の中から政治家を輩出したいと言っていたのが印象的でした。
伊藤 それは今も心の中で思っているんですよ。学生時代は、声をあげれば社会を変えられるし、その声を大きくするのがメディアだと思っていました。でも実際は、メディアは1を100にすることはできても、0から1を生み出すことはできない。そもそも声をあげることができないんだと気づきました。
記者の書き方は「誰が何をした」で、「私は~」の文章ではない。自分が当事者になれないのが悔しいというより、他人を矢面に立たせて主張を代弁させていないか? という自問自答がありました。
だから、誰かに言わされた言葉ではなく、自分の言葉で語れて、社会を動かせる女性が出てきたら嬉しいなと。かがみすとの中から政治家を出すのが小さな野望なんです。
――実際に送られてきたエッセイを読んでみてどう思いましたか?
伊藤 もともと、過去の私と同じように容姿に悩む女性のためのサイトにしようと思っていて、当初のコンセプトは「私のコンプレックスを、アドバンテージにする」でした。
「ブスって言われて辛い。でもがんばる」みたいなエッセイが集まってくると思っていたんです。でも、「なんで容姿で判断されなきゃいけないの? そんな世の中がおかしくないですか?」と、私が変わるのではなく社会が変わるべき! と主張するようなエッセイが送られてきました。
当時は、ルッキズム(外見至上主義)という言葉も今ほど広まっていなかったけど、彼女たちは、私が考えていたよりずっと先のことを言っていた。それで、サイトコンセプトも「私は変わらない、社会を変える」に変更しました。
エッセイのタイトルは一番尖ったエピソードから引用
――エッセイの投稿テーマはどうやって決めているんですか?
伊藤 週に1回編集部で話し合って決めています。20代から50代まで年齢層も幅広い編集部ですが、かがみすとと同年代の20代の女性メンバーの意見を一番に尊重しています。私や他の先輩が提案したテーマでも「このテーマじゃ刺さらないし、書けないです」と言われたら却下です。
――エッセイの採用基準は?
伊藤 初めに朝日の社員が掲載可否を判断します。著作権に触れていないかとか、自殺をほのめかすような内容でないとか。採用率は95%くらいです。
伊藤 基本的にエッセイには手を入れないのですが、タイトルだけは編集部で付け直しています。サイトを立ち上げてから1、2年は、全てのタイトルを私が付けていたので、徐々に読まれるタイトルを付けるコツがつかめてきて。
――そのコツ、教えてほしいです!
タイトルは、一番印象に残ったエピソードから引用します。結論でタイトルを付けると「彼氏に振られて辛い。見返すために今日も女を磨く」みたいな凡庸なタイトルになってしまいます。
でも、見返すために何をしたのか。そこにはオリジナリティがあるから、その中で一番尖っているエピソードから抜く。そうすれば、例えば「彼氏を見返すために坊主にした」みたいな、読みたくなるようなタイトルになります。
新聞は、見出しだけ読めば記事の内容がわかるタイトルが良しとされるので、ここも新聞とウェブの違いですよね。
PVが多ければいいってものじゃない
――かがみすとと編集部のやり取りで工夫していることはありますか?
伊藤 勉強会や読書会など集まる場を設け、直接話をしたり、悩みを打ち明けあったりと、自己開示してもらう機会をつくっています。
かがみすとと編集部が公式LINEでやり取りしているのも関係構築に生きているかもしれません。LINE担当者は、ただ「投稿しました」と送るだけでなく、「今回で何作品目ですね。いつも楽しみにしています」など、一人ひとりにコメントを添えてメッセージを送っています。
こうした取り組みが功を奏したのか、かがみすと一人ひとりのサイトへの熱量がものすごく高いのは、編集長として嬉しく思っています。今まで4000人以上の女性がエッセイを投稿してくれましたが、その多くが『かがみよかがみ』を自分自身のメディアだと思ってくれているんです。
「自分たちのメディアです」と言ってくれる読者や書き手がここまで多いメディアはほとんど無いのではないでしょうか。これは、マネタイズ面でも強みになると思っています。
――『かがみよかがみ』のマネタイズはどのように?
伊藤 イベントなどへの集客力と、参加者の熱量の高さです。先日開催した読書会でも、400ページ以上ある分厚い本を6割以上の方が最後まで読んできてくれて、質疑応答も白熱しました。
かがみすとは、普段から文章を書き慣れているからか、アンケートも毎回びっしり書いてくれます。内容も「なんか楽しかった」ではなく、その「楽しい」をきちんと言語化できた質の高い文章です。共催社もすごく喜んでくれて、読書会でのアンケートに書かれた感想文を書店のポップに使っていただくこともありました。
TikTokとのコラボ企画で動画に使用するエッセイを募集したところ、質の高い文章がたくさん集まった事例もあります。「書ける女性の集団を抱えていることは強みだよね」と言われます。
――それは、初めから考えていたマネタイズモデルですか?
伊藤 全く違いますね。当初は、オンラインサロンを開催して、かがみすとたちから参加費を集める計画でした。途中でそれは止めて、広告に切り替えていくことになったんですけど。
また、初めはPVを重視する方針でしたが、それも変わりましたね。エッセイの配信本数とPVが比例するのか実験するために1日40本もエッセイを投稿していた時期もあったな。成果は出ましたが、めっちゃ大変だったし、PVと広告の売り上げが比例しないこともわかった。
UU(ユニークユーザー)数が『かがみよかがみ』の10倍以上あるサイトと比較しても、集客力に関してはとんとんか、むしろこっちのほうが強いんですよ。
――ファンを大事にしてメディアを運営する。だからこそマネタイズもできる。すごく今っぽい考え方だと感じました。
「会いに行ける編集長」は何が問題だったか?
――先日Twitterで「サイトを立ち上げて、編集長になって、楽しいことと辛いことを比べると1対9くらいで辛いことの方が多かった」と投稿していましたよね。
伊藤 一番苦労したのは、エッセイを投稿してくれるかがみすとたちとの距離感の取り方です。立ち上げから1、2年は、編集長としてどの立ち位置にいるのが正解かがわからなくて「会いに行ける編集長」みたいな見せ方をしていました。投稿されたエッセイも、全て私が目を通して編集し、感想を送っていました。
でも、それによって距離が近くなりすぎてしまって。一部のかがみすとたちから毎日のように連絡が来ていたこともありました。個人的な悩みやサイトに対する意見をもらうこともあって。
そんな時にある記事が炎上したんです。それを機に、今まで親しく話をしていたかがみすとたちが一気に離れてしまった。会社を巻き込むトラブルになってしまったし、ショックでしたね。
――胸の内を明かすエッセイを投稿するサイトだからこそ、伊藤さんが自分をさらけ出して良い相手に見えてしまったのかもしれないですね。
伊藤 サイト上だけでなく、オフラインイベントでも人にはなかなか話せないような辛い話を打ち明けてくれる方が多いんです。そんな話ができるのは、エッセイで自分をさらけ出しあっているコミュニティだからなのは間違いない。
だからこそ初めは、直接話せるとか、物理的に身近であることで彼女たちに寄り添えると思っていました。でも、彼女たちの悩みを、編集長の私が1対1で受け止めるべきかというと、それはまた違うのではないかと、気づいたんです。
編集長の役割は、そういった悩みを1人でも多くの人に届け、共に考える「仕組みを作る」ことではないかと。それは例えば、サイトの方向性を考えることであり、イベントを企画することである。
――今はどうしているんですか?
伊藤 エッセイの編集やフィードバックなど、かがみすととの主なやり取りは、全て編集部に任せています。私自身は、編集長にしかできない仕事をするようになりました。具体的には、広告のクライアントにサイトの方向性を伝えてタイアップを組んでもらう仕掛け作りや、イベントの台本を書くことなどです。
あとは、編集長としてときどきコラムを書き、サイト立ち上げに込めた思いや、これまでに送られてきたエッセイへのフィードバックなどを発信しています。
編集長の仕事は、お金を取ってくることだと思っています。その編集長が「かがみよかがみは、こんな人たちが参加しているこんなメディアです!」と宣言せず、誰がするのか。
そう思うからこそ、顔出しもするようになりました。記者出身として顔出しにはすごく抵抗があったんですけれど。でも顔を出したからこそ編集長としてコメントをくださいと言われる機会も多くて。客寄せパンダとしての役割も求められているんだなと感じています。
今、私は、びっくりするほどエッセイの編集作業には関わっていません。私がいなくても毎日のエッセイが掲載されていく仕組みができあがっているので、半年間の産休を取った時も、サイトの更新はまったく滞りませんでした。
編集長が産休を取っても皆でフォローし合いながら回せる体制の編集部を作ることができる。その実績を作れたので、今後はそれを会社に広めていくことも自分の役割だと思っています。
――産休から復帰して変わったことは?
伊藤 昔は「24時間働けます」体制の人間だったので、病気や家庭の事情を仕事に持ち込む人の気持ちが全然わからなかったんです。「いやいや働けるでしょう」「仕事のほうが大事でしょう」と。今考えると、本当に想像力が足りていなかったと思います。
でも、自分が子どもを産んで、全部覆されました。出産する前は、私が遅くまで仕事をするせいで、編集部が23時くらいまで稼働していることも珍しくなかったのですが、今では18時以降はSlackも動かなくなりましたね。
新聞を支えられるウェブメディアを育てたい
――今後の方向性は?
伊藤 立ち上げから4年で、やっと『かがみよかがみ』の強みが見えてきました。熱量の高い人たちが集まったコミュニティがあるからこそ、他のメディアとは違うビジネスモデルを考えられるところが面白いです。
次の一手をどう出すかは結構可能性があるなと思っていて。ライティングスクールなど若い女性の学びの場を作るとか、いろいろな案が出ています。
でも、お金になることでも、かがみすとの「あの子」が嫌がるだろうなと思ったらやりません。誰が書いてくれて、サイトを見てくれているのかが、私にははっきりとわかっています。何をやるにしても書いてくれる子たちをどう巻き込んでいくのかが一番大事。かがみすとがクライアントみたいな感覚ですね。
――伊藤さん自身は、これから何をやっていきたいのでしょう。
伊藤 朝日新聞は、日本のためになる大事な仕事をしていると思っているので、会社を辞めることは考えていません。お金の面とか、日本のジャーナリズムにおける課題はたくさんあるけれど、すごく大切な仕事だと思うからこそ、新聞社を守りたいし、存続してほしい。
――この先、『かがみよかがみ』のようなメディアが屋台骨になって新聞本体のジャーナリズムを支えていく可能性もありますよね。
伊藤 そうなったらいいなと思っています。本気で日本社会が良くなってほしいからこそ、『かがみよかがみ』のようなウェブメディアが新聞本体を支えられるようにしたい。自分の言葉で語ることができる女性たちと一緒にジャーナリズムの可能性を広げていきたいです。(了)
撮影/深山 徳幸
執筆/小原 らいむ
編集/佐藤 友美
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