
最後のダメ出し【さとゆみの今日もコレカラ/第 95 回】
節分だ。父の命日である。
物心ついたときから父がソフトテニスのコーチだったので、父のことは家でも「先生」と読んでいた。お父さんと呼ぶようになったのは、大学を卒業してからだったと思う。子ども時代に甘えた記憶はない。ちょっと緊張感のある関係だった。
父は物事を悲観的に考える人だった。それがそのまま勝負師としての強さに直結していた。テニスの試合でベンチに入るときも、選手がインターバルに0ー1で戻ってくることを考え、1−2か0ー3で戻ってくることを考え、アドバイスを用意する人だった。
「緊張して日頃の成果が出せなかった場合」
「最初にミスが続いた場合」
「相手選手が戦法を変えてきた場合」……
と、いつも最悪の事態を想定していた父にとって、「試合が一番楽しい。試合の日はいつも調子がいい。失敗する気がしない」という私は、突然変異に見えたようだ。
「自分の子どもとは思えない」と、父はよく言っていた。そしてよく「ゆみは、謙虚さが足りない。人生はうまくいくときばかりじゃない。もっと謙虚に生きなさい」と言われていた。
私が引退してから、ベースボールマガジン社の「ソフトテニスマガジン」で父の連載がはじまった。1年の3分の1はコートが雪で覆われる北海道。その北海道のジュニアの選手たちを 16 回の全国優勝に導いた指導法を書いてほしいとの依頼だった。
毎月父から原稿が送られてきて、私が手直しをして編集部に送る。7年続いた。その間に、少しずつ「コーチと選手」の関係がゆるまり、「一緒に仕事をする親子」に近づいていった。「ゆみに修正してもらうと、本当に原稿が読みやすくなるなあ。プロのライターってすごいなあ」と言われることもあった。一方で私も、改めて父の指導のオリジナリティと、それを 365 日、20 年も継続する胆力に感服していた。
父はスキルス胃がんだったので、あるときから、私たち家族ははっきりと残り時間を意識するようになった。
いよいよ父の具合が悪くなったとき、病室で二人きりになった時間があった。もう今しかないと思って、父に話しかけた。試合の何十倍も緊張する。
これまで恥ずかしくて言えなかったけれど、伝えたいことが3つあります。
ひとつは、父を愛していること。
ひとつは、父の子どもで幸せだったということ。
ひとつは、父が教えたたくさんの教え子や選手の中でも、わたしは、きっと父の教えを最も強く身体に刻んだ人間の一人だと思うこと。
目を見て話すことはできなかったけれど、それだけ伝えたらもう娘としてやらなきゃいけないことは全部終わったようなつもりになって、気持ちが楽になった。
「ひでき(弟)とわたしは、お父さんの最高傑作だと思うんだよねえ」と言ったら、父は一度にやりと笑い、そしてすぐに厳しい顔を作った。「その謙虚さが足りないところが、ゆみのよくないところだ」。
大人になってから、注意されることはほとんどなくなっていたから、それが父の最後のダメだしになった。
父のことは尊敬していたけれど、父のような仕事はしたくないと思ってい た。人を育てる職業なんて効率が悪すぎるし、リターンが少なすぎる。私は、自分の時間を全部自分に使って、自分自身を育てるのだ。そう思っていた。
でも今朝3時に起きて、仲間の原稿を確認し、ゼミメンバーの原稿を添削しながら、
うーん、この修正、本当に入れてもいいかなあ
ああ、でもこの表現を生かしてあげたいよなあ
とはいえ、やっぱり指摘しておいたほうが今後のためになるかなあ……
と、辞書を引いたり、例文を調べたりしているときに、「ああ、今日は命日か」と気づいて、ちょっと笑えた。
あれほど効率が悪い、何が面白いのかわからないと思っていたことを、いま大変真面目に一生懸命やっている自分に笑えた。
今になって、父といろんな話をしたいなと思う。「こういうとき、どうしてた?」と聞きたいこともたくさんある。
人に教えると思ったら自分を疑う。調べ、勉強し、先輩の教えも乞う。だから謙虚になると気づいたことも伝えたかった。
生まれ変わっても教師になりたいと言って死んでいった父の話でした。


