
ほとんどの人は、やらない【さとゆみの今日もコレカラ/第 133 回】
日本に生まれ、日本で育ったからといって、日本語が(それなりに)正確に書けるとは限らない。で、大抵の場合は、書けなくても問題ないけれど、書けないと困る職種の人もいる。ライターだ。
以前、私のアシスタントをしてくれていた人が、どうにも日本語に適正がなかった。真面目だしやる気にも満ちているのだけれど、いかんせん「てにをは」が揺らぐ。揺らぐだけならいいのだけれど、指摘しても何が問題なのかわからないと言う。
今の私だったら、彼女の日本語を矯正する方法を提案できると思う。でも当時の私は 20 代で未熟だった。半年間、何度も何度も原稿を書いてもらったところで、彼女に伝えた。
「うまく指導できなくて、ごめんなさい。あなたのような気立てが良くて感じも良い人は、ライター以外の仕事できっと活躍できると思う」と、話した。事実上のクビだった。
彼女はぽろぽろ泣いていた。本当に申し訳ないことをした。が、当時の私 は、引導を渡してあげることがせめてもの優しさだと思っていた。以来、アシスタントを募集するのはやめた。
ところが、先日、共通の友人と話をしていたら、彼女はいま音楽ライターとして活躍しているという。それも、ニューヨークで活躍しているというのだ。
うわああああ、なるほど、英語にいったのか! と思った。彼女にとっては、曖昧で揺れがちな日本語よりも、クリアでロジカルな英語のほうが書きやすかったのかもしれない。
それにしても、海外に渡ってでも書き続けた気持ちが、すごい。それだけ「書く」ことにこだわっていたのだ。その強い気持ちに頭が下がった。私だったら、指導先輩に「適性がない。諦めなさい」と言われて、食い下がれただろうか。
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ここ数日、1ヶ月前に開催した、ライティング道場のアフターフォローをしている。東京も大阪も1泊2日で 18 時間、みっちりライティングに浸かってもらった。1ヶ月経って困っていることはないか、見てほしい企画や原稿はないか、全員と1on1で zoom をした。
媒体のライター募集に応募したという人、レギュラーが決まったという人、 note のフォロワーが 10 倍になったという人、今お付き合いのあるメディアにもっと頑張りたいですと伝えたら仕事が2倍になりましたという人もいた。 1ヶ月あれば、人はここまで変わるのかと感じ入る。
中に、一人、とても気掛かりな参加者がいた。道場では3回添削をしたのだけれど、3回とも「てにをは」の修正しかできなかった人がいたのだ。3行の原稿に5ヶ所くらい日本語の間違いがある。構成や表現の指摘をしてあげたいのだけれど、それ以前の段階で躓く。これは1泊2日でどうこうできる話ではない。どう考えても、時間がかかる、と思った。どんどん上手くなるメンバーの中で、彼女だけは書けば書くほど意気消沈していく。見ていられなかった。
話をしていてとても誠実な人だと思ったから、できることなら、ライター以外の職を探したほうがいいのではないかとも思った。それを本人に伝えるかどうか、最後まで本当に迷っていた。
最終日にみんなが一人ずつ、今後の目標を話していたとき、彼女はどうしても書きたいテーマがあると言った。私は、「ねえ、本当に、本当に書きた い?」と聞いた。それまで下を向きがちで、声も小さかった彼女が、そのときはかっと目を開いて「書きたいです」と腹の座った声を出した。彼女自身も、自分のその言葉の強さに自分で驚いていたようだった。もう、仕方ないと思った。
「わかった。じゃあ、まず、道は半端なく遠いと思って。でも書きたいものがあるなら、仕方ない。絶対に書けるようになると決めて。多分、あなたには良い日本語に触れてきた蓄積が圧倒的に足りない。おそらくそれは子供の頃に身につけるべきものだったと思う。それを今から手に入れるのは、生半可じゃないと思う。でも、書きたいんだよね?」と聞いたら、やはり「書きたいです」と彼女は言った。さっきよりは声が小さくて、涙声だったように思った。私ももうほとんど泣きそうだ。
「頼むから、書けるようになってほしい。まず、美しい日本語に毎日触れてください。天声人語でも編集手帳でもいい。毎日手書きで書いて。お願い。頼むから、やって」と伝えた。彼女は、「やります。天声人語を毎日2つ書きうつします。約束します」と言った。
あれから1ヶ月。1on1に先駆けて、彼女から「インタビュー原稿を書いたので見てほしい」と原稿が送られてきた。ワードを開いたら 4500 文字あった。うっ、と思う。400 字の課題ですら、10 ヶ所、20 ヶ所と赤字を入れたのだ。この原稿を見るのに、何時間かかるだろうと一瞬ひるんだ。
の、だが。
彼女の原稿は1ヶ月前と別人のものだった。ところどころ説明不足で?となるところはあっても、日本語の揺れがほとんどなくなっている。え、嘘でしょと思う。もう一度名前を確認する。やっぱり彼女だ。
最後の 600 字くらいは一気に読んだ。ペットの看取りについて書かれたインタビューで、読後にじんわりと涙が出そうになる、とても切なくそして心に迫ってくる文章だった。
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昨日、彼女と zoom で話した。原稿が別人のようによくなったと伝えたら、ぱあああっと顔が明るくなった。聞けば、あのライティング道場のあと4日間寝込んだという。もうライターをやめて元の職に戻ろうかとも思ったそうだ。「さとゆみさん、原稿の赤字のやりとりは、命の危険があるほどのことだって言いましたよね。私、あのとき本当に、命の危険を感じました」と彼女は言っ た。
だけど、なんとか起き上がって、朝日新聞の購読を申し込んだという。そしてそこから毎日、600 字あまりの天声人語を2つ、書き写した。その日のコラムと過去のコラムの2本。あるときからは、そのコラムに対する自分の感想も3〜4行書き加えるようにした。新聞を読む習慣もついたという。
そのあと、彼女の 4500 字の原稿で気になったところを、ひとつずつ指摘していった。
・この一文とこの一文をひっくり返したらいいんじゃないかな。
・先生の考えは、後に持ってきたほうが読者が共感できると思う、などなど。
私が入れた赤字は、おもに「こうすればもっとよくなる」というものであって、日本語の修正ではなかった。これが本来の添削だ、と思う。「ああ、なるほど。たしかにそうですね」という彼女の相槌さえも頼もしい。もう最後のほうは、お互い楽しくて楽しくて、書くのって楽しいねえええええって感じで話を終えた。
ねえ、すごくないですか。人って、たった 30 日でこんなに変われるの!
どうしても書きたいのだという気持ちだけが、彼女を変えたのだと思う。もうそんなに若くない人だよ。それでも、できるのだ。彼女は全ライターの希望だと思った。
やろうと思っても、ほとんどの人はやらない。
それを毎日やれたことが、彼女の才能だった。
私にそれを教えてくれてありがとう。
あなたと出会えたことで、私は得難い経験をさせてもらいました。
やるか、やらないか。
ほとんどの人は、やらない。
彼女は、やった。
彼女の許可をもらって書いています。
頼むから、これからも、書き写し続けてねと伝えたら、絶対に続けますと言う。彼女は、絶対に続けるだろう。
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