きらいだから楽しくて作る【会いたいから食べるのだ/第7回】
「あたしこのパイきらいなのよね」
スタジオジブリで一番好きな作品は何かと聞かれたら、幼い頃から何十回と観ている『魔女の宅急便』を選ぶ。印象的なシーンをひとつだけあげてと言われたら、キキが雨にずぶ濡れになりながら届けたおばあちゃんのニシンのパイに対し、孫娘が「きらい」とはっきり言い放ったシーンを選ぶ。おばあちゃんが心をこめて焼いたのに、キキが苦労して届けたのに、どうしてそんなひどいことを言えるの? と幼心にも腹立たしくて仕方なかった。
でも最近、気づいてしまった。私は孫娘の「きらい」に惹きつけられていたのだ。
昨年夏に初めて旅をした出雲がすっかり大好きになり、ほぼ月イチのペースで尼崎から出雲に通っている。2月初めにも2泊3日で訪れ、ペーパードライバーの私は各所を巡るために3台のタクシーに乗った。すると、運転手さんが3人とも車中でこう聞いてくるのだ。
「ところで、足立美術館には行かれましたか?」
足立美術館は日本庭園ランキングで21年連続1位に選ばれた庭園がある美術館で、出雲からは遠いがぜひ行ってみてほしいという。立て続けに3人の運転手さんにすすめられたら居ても立っても居られず、6日後には足立美術館を訪れていた。2週連続の島根旅である。
3人の運転手さんが絶賛していたとおり、足立美術館は心の風通しが良くなる素晴らしい場所だった。美術館を堪能してすっかり上機嫌になった私は、宿を取った松江でひとり飲みデビューをしようと思い立った。実はずっとお酒全般に弱い体質だと思い込んで飲むのを避けてきたが、39歳にして「お酒、実は弱くないし好きかも?」と気づいたのだ。
Googleマップで見つけた「Käfer(ケーファー)」は、自然派ワインが楽しめるイタリアンらしい。開店直前に電話でこの後すぐに入れるかと尋ねたら、男性が晴れ晴れとした爽やかな声で「大丈夫ですよ! お待ちしていますね」と返してくれた。「あ、このお店は絶対美味しいな」と確信する。
あたりが暗くなった18時過ぎ、暖かな光がこぼれるKäferのガラス扉を開けると、7席ほどのカウンターは私の席以外もう埋まっていた。ゆるっとした白Tシャツとエプロンをまとった男性が「先ほどお電話くださった方ですよね」と満面の笑みで迎えてくれた。電話で想像していたよりもずっと若い店主さんで驚く。つぶらな瞳の奥で茶目っ気がきらりと輝くのが見えた気がする。お店にはもう一人、やはり可愛らしい笑顔の女性スタッフさんもいて、注文した料理に合わせてオーストリアの白ワインを注いでくれた。
Käferの料理はどれもお世辞抜きに美味しかった。たとえば「島根産の甘鯛の鱗焼き わかめのマリネ」は、ふっくらとした甘鯛の身とパリッと焼かれた鱗との対比が楽しい。甘鯛の上品な旨味が活きるシンプルな味付けで、やさしい酸味のわかめのマリネが良き相棒になっている。「シチリア産のカラスミと黄柚子のスパゲティ」は黄柚子をたっぷり搾っているから、ともすると重たくなりがちなクリームソースがフルーティーでさっぱりとした味わいに。ソースを一滴も残したくなくて、最後はパンで懸命にお皿を拭ってしまった。弱くて飲めないと思っていたワインもどんどんすすむ。
店主さんが食材に全幅の信頼を置きつつ、最もポテンシャルが発揮できる姿に仕立てて「思いきり遊んできなよ」と送り出している。Käferの料理からはそんな瑞々しい遊び心が感じられる気がして、ワクワクしてたまらないのだ。
「どれもめっちゃ美味しいです!」
「おっ、ありがとうございます! 島根は初めてなんですか?」
「へへ、実はしょっちゅう来てるんです。単身赴任のお父さんが休日に家に帰るくらいの頻度かもしれない」
「マジですか! すごいですね!」
タイミングを見つつ気さくにやりとりを続けていたら、何の話の流れだったか、店主さんが明るく笑いながら話してくれた。
「僕、アイスクリーム屋もやってるんですよ。アイスはきらいなんですけどね!」
店主さんがあまりにも堂々と何のためらいもなく「きらい」と言ったものだから、私は一瞬頭の回転が止まり「ええええ!」とのけぞってしまった。まるで白球がバットにジャストミートして青空に吸い込まれていくような、ものすごく清々しい響きの「きらい」だった。
「ど、どうしてきらいなんですか?」
「甘いからですね! 僕甘いものきらいなんですよ」
「えええ、じゃあなんで作り始めたんですか?!」
「元カノが誕生日にアイスクリームメーカーをプレゼントしてくれたんですよね、なぜか。そのころ僕はモツ鍋屋の店長をしていて副業でアイスクリーム屋を始めたんです。だからKäferよりもアイスクリーム屋のほうが長いんですよね」
きらいなものを作り続けている。あまりにも衝撃を受け、他のお客さんがいるのもお構いなしに次々と質問してしまった。
店主さんによると、アイスクリームは基本の材料が乳製品と糖分だけで、それらさえ使っていれば他に何を入れてもアイスクリームとして成立するという。だから店主さんは、イタリア料理の素材の組み合わせからもヒントを得ながら、めちゃくちゃ酸っぱいアイスクリームや、ありえないほど辛いアイスクリームのように、「アイスクリームは甘い」という常識を覆すものを作っている。「材料をクリーム状にして凍らせる」というシンプルな製法に従いつつ、今までのアイスクリームにない味に挑戦する。それはとてもアーティスティックな行いだと感じるそうだ。店主さんがイタリアンにも向き合いながら自由な発想で生んだアイスクリームは評判を呼び、現在は「papperlapapp(パッパラパッパ)」という屋号で東京や京都の人気店に卸している。地元松江でも店主さんはすっかり有名人で「アイス君」と呼ばれているらしい。
「きらいなものを作っていて楽しいんですか?」
不躾かもしれないけれど、どうしても気になる疑問をぶつけてみる。
「すごい楽しいですよ! きらいだからこそ冷静に見られて、改善点がわかりやすいですし」
明るく即答する店主さんがきらきらと眩しくてたまらない。「きらい」とはっきり表明し、「僕だったらこうする」と全く別の世界を創造する。「きらい」には「好き」を極めるのと同じくらい、大きくてポジティブなエネルギーを生み出す可能性があるのだ。しかも、きらいなままでいい。好きにならなくてもいい。
そうか、『魔女の宅急便』の孫娘も「きらい」と素直に言葉にすることで、私たちの想像を超える創造的な芽を育てていくかもしれないのだ。私は「きらい」と思うのを悪いことだと考え、ぐっと飲み込むことが多い人生だった。だから嘘のない態度の孫娘にまっすぐな「きらめき」を感じて羨ましくなったのだな。
もしかして「きらい」という言葉は「きらきら」や「きらめき」と語源が同じではないかとすら思う。太陽の光が鏡に反射するような、強く美しい響きの音だ。
Käferの美味しい料理とワインですっかり満腹になったけれど、アイスクリームを注文しないわけにはいかない。この日のメニューには「マッシュルームと燻製したミルクのアイスクリーム」「蕗の薹とゴルゴンゾーラチーズと抹茶のアイスクリーム」という、味が全く想像できないアイスクリームがあった。いわゆる甘い味を求めるお客さん向けに「キャラメルのアイスクリーム」も用意されていたけれど、店主さんは「まあ、甘いと言っても、かなり苦味を際立たせてます」といたずらっぽく笑う。
私は悩みに悩んで「マッシュルームと燻製したミルクのアイスクリーム」を選んだ。ぽろぽろとした黒いふりかけのようなマッシュルームペーストと生のマッシュルームの下に、少し茶色がかったようなベージュのアイスクリームが隠れている。見た目がすでに甘くない。
スプーンですくっただけでなめらかさが伝わるアイスクリームは、かなりスモーキーな香りが鼻へ抜けつつ魔法のように溶ける。遠くにミルクの甘みが存在しつつも、マッシュルームの旨味と塩気がしっかり主張してくるから、私の脳が味をうまく認識できず戸惑っているみたい。思考はいったん停止して、甘いのか甘くないのか分からない、でも間違いなく美味しいアイスクリームを体に染み込ませた。
「きらいは悪い感情」
「アイスクリームは甘い」
そんなつまらない常識にとらわれていた脳がバグったことがあまりにも愉快だったから、なんと翌週もKäferを訪れてしまった。3週連続で島根旅をするとは、私も良い感じにぶっ飛んできたのかもしれない。
店主さんのアイスクリームはこれまで卸売りがメインだったけれど、今年の夏、ついに松江に実店舗をオープンされるそう。店主さんの「きらい」が貫かれたアイスクリームを、きっと多くの人が大好きになる。
文/さなみ 七恵
Käfer
島根県松江市寺町184
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