
Google チームから学んだこと【さとゆみの今日もコレカラ/第 132 回】
Google の震災復興担当者の方と、東北行脚をしたことがある。東日本大震災から3年経った時のことだ。『社会のために働く』(藤沢烈/講談社)の取材の一環だった。
著者の藤沢さんは、大学時代からの友人である。被災地支援に特化したコーディネーターで、支援したい企業とされたい自治体の間をとりもっている。
その当時、藤沢さんとともに被災地支援をしていた Google のメンバーから「震災復興支援は Google の社会貢献ではなく、本業のひとつです」と聞かされ、それってどういうこと? と思った私は、Google の方が被災地で活動する行程に同行させてもらった。震災復興支援担当の女性が案内してくれた。
驚いたのは、どの町に行ってもの彼女がファーストネームで呼ばれ、そして彼女も町の人たちと旧友のように接することだった。Google の人たちは、インターネットで全て事足りる世界を目指しているのではなかったのか。なぜこんなにも、現場に通い詰めて被災地のニーズを丁寧にヒアリングしているのか。
被災地で、Google はそのテクノロジーを使っていくつもの支援をしてきた。たとえば、震災直後に公開された衛星写真と Google map を組み合わせた画像は、役所での罹災証明の発行にとても役立ったと聞いた。取り壊しの決まった震災遺構をストリートビューのパノラマ写真で記録したのも Googleだ。立ち入り禁止区域となった浪江町の今の姿を見たいと希望する町民のために、無人の街を撮影したのも Google である。この撮影は結果的に、避難区域の全自治体から依頼されることになった。
この東北での支援がきっかけで、Google には画期的なサービスが誕生した。ストリートビューのタイムマシン機能だ。
それまでのストリートビューは、古い画像に最新の画像を上書き保存する仕様だった。しかし、被災地の人たちに「私たちの家が写っている写真はもう、ストリートビューにしかない。消さないでほしい」と言われ、それを約束したストリートビューの担当者が、東北の被災地に限って、過去の画像も残すように仕様変更をしたのだ。
ところがこの Google の対応が、全世界で話題になった。「亡くなったおばあちゃんが映っている今の画像を消さないでほしい」「自分の街の記憶を残してほしい」と、担当者のもとに世界中から依頼が届いた。彼は、2年の年月をかけて、全世界のストリートビューにタイムマシン機能をつけた。時間がかかったのは、それだけ膨大な画像データを保存できるサーバーを確保するためだったと聞いた。
当時取材をさせていただいたとき、現場に立ち会ってくれた広報の方が言っていた。「インターネットを、世の中を良くすることに使いたいと考えるグーグルのメンバーにとって、復興支援は関わらない理由がないプロジェクトです」。そして、「もし震災がなかったとしたら、その時間はまた別の『良くすること』に使われていたと思う」とも言った。
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Google が行なった被災地支援の中でも、ユニークだったのが「イノベーション東北」だ。被災地に住む人たちが「復興の足掛かりとなるホームページを作りたい」「新しいパンフレットをデザインしたい」と希望を出すと、それを実行できる人たちが手を挙げる。マッチングが成立すると、プログラマーやデザイナーが、ホームページ制作やパンフレット制作をプロボノで手伝う。
全世界 80 億人に一気に情報を行き渡らせることができる Google にとって、この1対1のマッチングは気が遠くなるほど手間暇のかかることだったと思う。が、彼らはそれをやった。少子高齢化する東北で、インターネットができること。それこそが、この後の世界を良くすることにつながると、本社を説得して予算を確保し、ことにあたっていた。「1対1の、人と人とのつながり」を、世界最大手のインターネット企業が丁寧にやっている姿を、見た。
今日サムネイルにした缶バッジは、その「イノベーション東北」のイベントに参加したときのものだ。
「あなたは何ができる人ですか?」「東北の人たちに提供できるスキルは何ですか?」と問われて、私は Skill の欄に「日本語を→日本語に翻訳します」と書いた。私が自分の仕事を「翻訳業だ」と認識したのは、この日のこのイベントがあったからだ。その日そこに集った人たちは、自分は東北の人たちのために、世界のために、「本業で」何ができるのかを真剣に考えた。そこから生まれたプロジェクトも少なくない。
インターネットの弊害を言う人も多い。実際、ネットがなかった時代には考える必要のなかった課題も生まれている。
それでも私は、世界はよくなると信じている。
なぜなら、それぞれの現場に「世界をよくしよう」と考えて、ことにあたっている知り合いがいるからだ。私が出会えた人たちだけではない。私がこの場所で真剣に闘っているように、いろんな人たちがその持ち場で真剣に闘っている。よきことをしようと、本気で思っている人たちが、どの現場にもいることを知っている。
3月 11 日。朝起きて、震災復興に「本業で」取り組んだ人たちの物語、『社会のために働く』を読んでいたら止まらなくなってしまい、すっかり更新が遅れてしまいました。
この取材の最中、「私もこんなふうに働きたい」「本業がそのまま社会を良くするような仕事をしたい」と、強く強く思ったことを思い出した。いや、思い出したというよりも、ちゃんとそう思い続けて今の場所にいるなと確認できた。
私が震災復興にあたっていた Google の人たちから、学んだこと。技術は世界を良くするために使うこと。缶バッジはいつもデスクの見える場所に置いている。ときどき触るので、だいぶ文字がかすれてきた。
自分の手が届く範囲で。本業を丁寧に。それが、世界を少しでも優しく、まあるく、あったかくするようにと意識して。
【この記事をおすすめ】
食べることは、生きること。そこに関わっていきたい。
そう私が強く思ったのは、看護学生時代、とあるホスピスで実習をしていた時のことだった。最期の時を迎えようとしている人たちが集う、静けさの漂う場所の中で、あたたかな湯気が立ち上り、忙しく立ち働く人たちのいる食堂は、いつも光を放っているように見えた。


