
渾身のなれの果て【さとゆみの今日もコレカラ/第 170 回】
文章を書くということは、無限にあった表現の可能性をひとつずつ諦め、ひとつに絞ることだ。
たとえば、「6」というゴールを表現したい場合、脳内では「足したり引いたりして、答えが6になる式を考えましょう」という問題を解いている。
・1+5という書き方をして6を表現しようか。
・2×3という書き方もあり得る。
・いやいや 12÷2がわかりやすいかな。
みたいに、片端から「考えうる数式のバリエーション」を代入している。
それぞれの式で5行目くらいまで脳内でシミュレーションしたら、その中で一番面白い旅路を提供してくれそうな数式を選ぶ。(もしくは、一番スムーズにゴールにたどり着ける最短ルートを選ぶ。もしくは、一番迂回度が高い寄り道ができるルートを選ぶ。もしくは……)。
大抵の場合、1行目よりも2行目、2行目よりも3行目までシミュレーションし た時の方が、その文章がたどり着ける結論の可能性は減っている。うーん、なんかつまんないなとか普通だなとか思うと、それを捨てて別の数式を試す。
たまに、起承転結の「転」のように、アクロバティックな展開ができそうだと思う時があって、その可能性を感じたら、脳内で5行、10 行と文章を転がしてみる。うん、いけそう。そう思ったら、実際に書き始める。
書けば書くほど、書く前に目の前に広がっていた可能性はどんどん小さくなり、ここにしか辿り着くしかなかった「渾身のなれの果て」だけが、残る。
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最近『本を出したい』の出版イベントや対談に、付箋が貼られた書籍を持ってきてくださる方に出会う。どこに付箋をつけましたか? と、ひとつひとつ教えてもらいたくなる。
無数にあった可能性の中からたった 10 万字だけ生き延びた文章に、付箋が貼られたりアンダーラインが引かれたりするのを見ていると、卵が無事に孵化し、成魚になった姿を見るような気持ちになるのだ。
ああ、この文章は、この人のもとに泳ぎ着いたのだと知れると、書いてよかったと感じるし、たくさん諦めてよかったと思える。
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ビジネス書の場合、同じ内容を伝えるのであれば、1文字でも少ない本の方が、読者が多くなると考えています。
伝えたいことに対して不要な文は1文字でも削りたい。


