
15 歳の咄嗟【さとゆみの今日もコレカラ/第 208 回】
運動会日和の土曜日。息子の中学校の運動会で、非常に印象深い光景を見た。
それは午後のクラス対抗リレーのことだった。
午前中は逐一更新されていたクラスごとの得点が、午後になってからは隠され、どのクラスがトップなのかわからなくなっていた。おそらくかなりの僅差になっているであろう勝敗の鍵を握るのが、最後のクラス対抗リレーであった。
とくに3年生は中学最後の運動会。公立校なので、文字通り「最後の」運動会とあって、選手も応援も力が入っているようだった。
アクシデントが起こったのは、その3年生の女子のリレー、第3走者のときだった。
2位で走っていた女の子が転倒し、そのすぐ後ろを追っていた女の子もそれをよけようと体勢を崩した。後ろの子はなんとか転ばずに踏みとどまり、だからそのまま走り続ければよかったのだけど、その子はその場で転んだ女の子が立ち上がるまで隣を動かなかった。
手を貸すと多分、失格になってしまうのだろう。その子は、転んだ子を心配そうに覗き込み、何か声をかけているように見えた。
転んだ子が立ち上がり再び全力で走り出したのを確認して、その子もその走り出した子の背を追った。差はわずかだったけれど、その子は転んだ子を最後まで抜けないまま、リレーのバトンを第4走者に繋いだ。
2人の女の子がもう一度走り出すまでの時間はおそらく4、5秒だったと思う。でもその数秒、会場じゅうが呼吸を止めてその光景に釘づけになっていた。
きっといろんなものを背負って走っていただろう。クラスの期待、自分のこれまでの練習、このリレーの結果次第で入れ替わるであろう総合順位。
だけど、咄嗟の瞬間、彼女は友達が立ち上がるのを待ったのだ。
おそらく、脳を介した判断ではなかったと思う。もっと本能的で反射的な行為だったと思う。
ああ、彼女の体は、これまでの 15 年間の集積なのだなあと思った。たくさんの経験をし、たくさんの判断を繰り返してきた。彼女の体はそれを記憶している。その彼女の体が、あの刹那、自分をその場に押しとどめたのだろう。15 年分の生き様が、そこに見えるような気がした。
4人目の走者がゴールをしたとき、会場からは、これまでに増して大きな拍手が送られた。選手たちは、肩を叩きあって席に戻っていた。クラスの仲間がそれを迎える。彼女たちの姿もまた、この場にいた私たちみんなの体に刻まれるのだろう。
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策や方法に走ろうとした近視眼的な自分を恥じながら、少しだけ視界が明るくなった私は、「自分は大人だろうか」と、そっと胸に手を当ててみた。


