
すべて忘れてしまうのに【さとゆみの今日もコレカラ/第 207 回】
仲間内で「ダンディ」のあだ名で呼ばれる紳士がいる。大変スマートでカッコよく、外資系企業を渡り歩くエリートなのだけど、いつの間にかダンディ改め「スカスカ」と呼ばれるようになり、最近はさらに省略されて「スカ」と呼ばれている。その名に恥じないスカスカな発言をよくする気のいいお兄さんである。
そのダンディと久しぶりに飲みに行った。真面目な話や不真面目な話を2時間ほどしているうちに、うわ、なんて面白い話だろう。明日のコレカラはこの話を書こう。わーい、明日は寝坊できるぞ、なんて思う瞬間があった。
ところが、そのあともう1軒はしごして、そこで懐かしい仲間に会い、いろんな話を聞いているうちに、ダンディのすっごくよかった話が何だったか、さっぱりわからなくなってしまった。
帰りの電車の中で、「お願い、1軒目の話、頭から思い出して」とおさらいするも、何に感動したのか思い出せない。
ハーフマラソンの話じゃないし、能登のボランテイアの話じゃない。最近の大学生の勤勉さについての話でもない。白老の海鮮丼の話でも、インシュアテックの話でもない。新しい会社は付き合いたての彼女みたいだっていうスカスカな話じゃないし、カラオケの話でもない、TBS のドラマ班の話でもない……。
電車の中でひとつずつなぞっても、結局彼のどの話に私が感動したのか思い出せなかった。ダンディは「こんなに覚えてくれているだけで十分嬉しいよ」と言うが、私は悔しい。
ゆみ「なんだか、全部忘れちゃうよね」
ダン「人の話だけじゃなくて、読んだ本の内容だって、全然覚えていないもの」
ゆみ「全部忘れちゃうのに、私たちはこうやって時間をかけて一生懸命話したり、読んだりするんだよなあ」
ダン「でも、そういうのって、自分の体の中のどこかには残っていると思う」ゆみ「ああ、残っている感じはわかるな」
ダン「ほら、さとゆみも『砂の一粒時代』の話、最近になって思い出したって言ってたでしょ」
ゆみ「うん。10 年近く忘れていた言葉なのに、今になって突然思い出して、自分を支えてくれることってある」
ダン「そうやって、きっといつか何かの役に立つんだよ。読んで忘れた本の話も、誰かとのおしゃべりも」
そこまで話をして、ふと思う。
ゆみ「うーん、でも、いつか役に立たせるために本を読んだり話したりするって考えるの、なんか……」
ダン「なんか?」
ゆみ「なんか、ちょっと即物的すぎない? いつか、役に立つかもしれないから、友達と飲みに行くわけじゃないよね」
ダン「たしかにそれはそうだ。本もね」ゆみ「うん、本も」
ダン「役に立たなくていいよね」
ゆみ「うん、役に立つために生きてるわけでもない」
そこまで話したところで乗り換えの駅になり、ダンディとは別れた。電車のドアが閉まる直前に、「きっと明日の朝になったら、思い出しているよ」と彼は言ったけれど、やはり思い出せなかったし、それより何より帰り際のこの会話のほうが強く記憶に残った。
たいていのことは忘れてしまう。
酒飲みのぽんこつ中年同士の会話なんて、ほんとうにすぐ忘れてしまう。あんなに面白いと思ったのに。あんなに笑ったのに。あんなに感心したのに。だけど多分、私の脳はそれを覚えていなくても、私の身体のどこかがそれを受け取っているんだろうな。
突然の雨にあたったときのように、自分の体の細胞のどこかに、いろんな人の言葉が降ってきて身体が濡れて、それはそのうち乾くのだけれど、何かはちょっと染み込んでいる。じわっと染みている。そんな感じかな。
自分の身体が、これまで出会ったたくさんの人、たくさんの本、映画、漫画……、それらから降ってきた言葉や思想で濡れてきたのだと想像してみる。潤ったり乾いたりして、その結果経年変化した自分がいると想像してみる。化粧品や乳液以上に、お酒やプロテイン以上に、私の身体に染みているのは、そういうものなのかもしれない。
いやそれは、ちょっとロマンティックすぎるか。
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静止画であるのに、そこに私はいないのに、音や空気を感じるのが不思議でならない。


