
春の熊くらい好き、的な【さとゆみの今日もコレカラ/第 223 回】
いまはむかし。
「ねえ、私のこと好き?」
「好きだよ」
「どれくらい好き?」
みたいな、バカップル会話をしていたとき、
「うーん、そうだなあ。春の熊くらい」
と言われて、一瞬???となったあと
「ああ、ピンボール?」
「いや、多分ノルウェイじゃなかったっけ?」
と言われ、うわあこの人のこと好きだなあ、というかこの人とおしゃべりするのが好きだなあ思ったことがあった。
「春の熊くらい好き」は、村上春樹ファンの中では引用率上位にくる印象的な文章で、『ノルウェイの森』の主人公が、恋人の緑に言うセリフだ。
「春の野原を君が一人で歩いているとね、向こうからビロードみたいな毛なみの目のくりっとした可愛い子熊がやってくるんだ。そして君にこう言うんだよ。
『今日は、お嬢さん、僕と一緒に転がりっこしませんか』
そして君と子熊で抱き合ってクローバーの茂った丘の斜面をころころと転がって一日中遊ぶんだ。そういうのって素敵だろ?」
「すごく素敵」
「それくらい君のことが好きだ」
このシーンを読んだとき、いつか「春の熊くらい好き」ごっこをしてみたいと思ったので、非常に満たされた。
春樹さんシリーズでいうと、大学時代、男女何人かで一緒に遊んだ帰り道、「今日は楽しかったねえ」と言ったときに、ある男の子が「かっこう」と返してきて、やはりきゅんときたことがある。大勢の中で、ひっそり暗号で会話しているみたいでちょっとドキドキした。
✳︎
『光る君へ』の時代は、『古今和歌集』におさめられた 1110 首の歌を詞書から全部暗記するのが貴族社会の必須教養だったらしい。
たとえば『源氏物語』で藤壺が亡くなるシーンでは、光源氏が桜を見ながら「今年ばかりは」とつぶやく。これは、
深草の 野辺の桜し 心あらば
今年ばかりは 墨染めに咲け(上野岑雄)
からの引歌だと言われている。大切な人が亡くなったのだから、桜よ、そんなにみごとに咲いてくれるなという意味であろう。
この歌は、『源氏物語』の中の別のシーンでも登場する。源氏の息子、夕霧が、親友の柏木の死を傷む場面である。
「今年ばかりは」の源氏の(夕霧の)つぶやきを受け取った読者は、脳内で「黒染めに咲け」とこたえているだろう。
紫式部の筆と、読者の記憶の中にある和歌が呼応する。読者の脳内で文章は完結する。美しいまぐわいだなと思う。
【この記事をおすすめ】
受験勉強で触れたおなじみの作品が多く、楽しく読める知識や解釈が満載だ。これらを読むと、古文の世界では推しや年の差婚、百合や BL などカップリングの宝庫だったことを教えてくれる。現代の文芸作品にも取り上げられるテーマが、古文の世界ですでに取り上げられていたのだ。


