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障害をもつ子どもたちのスポーツ選択に “チアリーディング” の道を示したい。トレーナー多田久剛さんの挑戦 

9月30日に開催された、国内最大級のチアリーディング協会が主催する大会。この日いちばんの盛り上がりを見せたのは、チャレンジドチアとパラチアという2つのチームの演技だった。どちらも、障害のある子どもたちが所属するチアリーダー。チームの創設者である多田久剛さんは、子どもたちのパフォーマンスを見て涙を流していた。 
多田さんの職業はアスレティックトレーナー。これまでに、日産自動車硬式野球部で都市対抗野球の優勝に貢献、日本ハムファイターズでは1軍を目指す選手をサポートしていた。しのぎを削り合うスポーツの最前線で働いていた多田さんが、なぜ今チャレンジドチアとパラチアに尽力しているのか? 「どんな障害をもつ人でも一緒にパフォーマンスができる。そんな競技はチアしかない」と語る多田さん。チアを通じて個性を活かせる世界にしたい。そのチャレンジについて聞いた。 
聞き手/中村 昌弘

どんな障害をもっていても参加できる競技はチアだけ 

──9月30日に開催された大会で、チャレンジドチア(以下チャレチア)とパラチアの演技を拝見しました。この日、一番の拍手をもらっていましたね。僕は練習も拝見していたのでドキドキしながら演技を見ていました。なぜか僕が緊張していたようで、掌に爪痕が残るほど拳を握り込んでいました。終わった後はホッとして、しばらく動けませんでした。 

多田:僕たちも信じられないのですが、練習ではできなかったパフォーマンスを大会では成功させるんですよ。一回も側転できなかった子がうまくできたり、ポンポンを持てなかった子が持つどころか振ることができたり。理由は分からないのですが、大会本番でみんな力を発揮してくれます。 

今年チームに入った特別支援学校に通う子は、環境の変化に敏感で、運動会やお遊戯会などのイベントには一切出られませんでした。だから親御さんとも「練習には参加できるけど、大勢の前で演技するイベントや大会への出場は難しいかもしれませんね」と話していました。でも、あるイベントに参加したとき、その子が300人の観衆の前で踊れたんですよ。「学校のイベントにも参加できなかったのに!」と親御さんも驚いていました。チアリーディングでは理屈で説明できない奇跡が起きるんです。 

──観客のみなさんも応援してくれていましたね。 

多田:数百人規模の大会への出場はチャレチアが6回目で、パラチアが5回目なのですが、観客の方々の反応も、少しずつ変わってきています。チャレチア、パラチアの演技はエキシビジョンなので、大会のメインではありません。最初の頃はパフォーマンス中に観客の方々がトイレ休憩をしたり売店に行ったりして、会場には半分くらいしか人が残らないときもありました。でも最近は、多くの人が会場に残って、チャレチア、パラチアの演技を観てくれます。エキシビジョンの時間は唯一の休憩時間にも関わらず、審判の人も席を立たずに観てくれるのが嬉しくて。 

──チアの演技をはじめて観たときに「それぞれが違う動きをしているのに全体ではひとつにまとまっている」と感じました。 

多田:チアリーディングが「それぞれの特徴を活かす」競技だからだと思います。 

たとえば、サッカーはボールを蹴れないとプレーできないですし、野球はバットを振れないと試合に出られません。しかしチアには「これができなければ参加できない」という技術がないんです。ターンを回れる子は回る、腕を上げられる子はポンポンを持ってダンスをするというように、自分のできることを披露するスポーツです。こんなふうに、みんなの “得意なこと” を集めて、作品として披露するスポーツはチアだけ。障害があるということは、さまざまな特徴があり、得意なことは千差万別ということ。だから、どんな障害があっても参加できるチャレチアと、身体障害をもつ子が参加できるパラチアを作りたいと思ったのです。 

とはいえ、チームを作った当初は、その「個性」に苦労しました。ずっと一点を見つめて自分の世界に入り込んでいる子や、壁に寄りかかって動かない子、その場でじっとできずに走りまわる子もいる。一か所に固まって練習したり演技したりすることが難しくて。 

たとえば、音楽をかけて「みんなで踊りましょう!」と言っても、最初は誰も応じてくれませんでした。でも、段々とインストラクターの言葉に子どもたちが反応してくれるようになったんです。今日はポンポンを持てた、今日は腕の振りだけできたと、親御さんと一緒に子どもたちの成長を報告し合っています。週1回、1時間の練習なのですが、毎回子どもたちは変化していく。その姿を見るだけで、このチームを作ってよかったと感じます。 

練習終わりの集合写真も一緒です。「みんなで写真を撮るよ~」と呼びかけても全然集まらないし、何となく集まっても全員がカメラを見るなんてあり得ない。でも段々と集まれるようになるんです。一点を見つめていた子も、壁に寄りかかって動かなかった子も、走りまわっていた子も、呼びかけると集まってカメラを見られるようになりました。 

──練習や大会には、ご両親の他に兄弟姉妹もいましたね。 

多田:チャレチア、パラチアは兄弟姉妹も参加できます。これもチアならではの魅力なんです。たとえば、障害をもつ子どもたちが集まる会に健常な子が参加しても、多くの場合はできることがありません。遠巻きに見ているか、あるいは家でお留守番をさせられます。でも、チアなら健常者の子も参加できる。障害のあるきょうだいと一緒に家族で楽しめるスポーツなんです。 

そんな競技だからこそ親御さんにも変化があります。お子さんの症状によっては一緒に外出するだけでも大変なので、家に引きこもりがちになったり、周りとのコミュニケーションを避けたりする人もいます。でも、「チアを通じて外に出るのが楽しくなった」「親子のコミュニケーションが増えた」という声を聞くようになりました。 

うちのチームでは、親御さんも一緒に踊りましょうと呼びかけています。毎年幕張で開催される500人ほどの観客が集まる大会に出場する方もいるんですよ。今まで引きこもりがちだった生活から考えると全く違う景色になりますよね。自分が500人の前でダンスをするなんて、子どもをチアに参加させる前は想像すらしていなかったと思います。 

アメリカで心打たれた演技を日本でも実現したい 

──チャレチアとパラチアのチームを作ったきっかけは何だったのでしょうか? 

多田:アメリカで毎年開催されるチアリーディングの世界大会で披露された、障害をもつ子どもたちのパフォーマンスを観たことです。 

はじめてその演技を観たのは2012年。イギリスのリックさんという方が、世界ではじめて「身体障害をもつ人たちが参加するチアリーダー」を立ち上げて、世界大会のエキシビジョンでパフォーマンスをしたんです。当時は二人組の演技で、車いすに座ったリックさんがもう一人を持ち上げたり、床で側転やバク転をおこなっているチアリーダーをリックさんが車いすに座りながらキャッチしたりしていました。それを観て「こんな新しい取り組みをしているんだ」と興奮したのを覚えています。 

その規模が年々大きくなっていき、イギリスのチームだけでなく、アメリカやエクアドルなど他の国もどんどん参加するようになりました。やがて身体障害をもつ人たちだけでなく、精神障害をもつ人たちが参加するチームができたり、健常者も参加したりと、大規模になっていきます。今では、その世界大会でいちばん盛り上がるんですよ。観客のみなさんもトイレにも立たず、総立ちで観ています。僕自身もいちばん楽しみにしているのが、その選手たちの演技なんです。 

彼らを見ていると「このパフォーマンスができるようになるまで、すごく練習したんだろうな」「きっとこの舞台に立つまでに、僕には分からないくらいの緊張や葛藤があったんだろうな」と想像してしまう。だからパフォーマンスを終えた後、声援を送っている観客に満面の笑みで応える彼らの姿や、何ならドヤ顔までもが愛おしい。気づくといつも涙が流れているんです。きっと観ている人たちも同じ気持ちなんだと思います。 

2015年にアメリカから帰国する飛行機の中で、「日本でも障害をもつ子どもたちが参加できるチアリーディングチームを作ろう」と決意しました。それから8年経った今、少しずつ形になってきています。 

──日本での立ち上げはどのように? 

多田:私がオフィシャルトレーナーとして所属しているチアリーディング協会に相談したときは、歓迎ムードでした。協会のみなさんもアメリカでのエキシビジョンを見ているので、「あれを日本でも開催できるならぜひ」という反応だったんです。でも、医師や作業療法士など専門家の方々からは反対されました。僕は、障害の種類や重症度に関係のないチームを作りたかったのですが、それは難しいと言われたんです。 

たまたま知り合った理学療法士さんに相談したら、障害に詳しい医師、作業療法士、臨床心理士の3名を紹介してくれました。ところがみなさん、「異なる障害をもつ子どもたちが交流することは基本的にはない。予期せぬ事態が起こり得る」という理由で、一様に難しい、と。 

確かに、パラリンピックも「目の不自由な人」「足が不自由な人」のように、障害の種類によって競技を分けます。競技以外の場も同じで、ダウン症の子どもをもつ親の会や、自閉症の子どもをもつ親の会など、親同士の交流も障害の種類ごとに分断されています。だから専門家の方々の反応も理解できました。 

──それを聞いて多田さんはどうされたのですか? 

多田:チアは他のスポーツとは違うのだと訴えました。チアは自分ができることをやればいいスポーツなので、障害の種類や重症度に関係なく誰でも参加できる。他のスポーツでは「隔たりのないチーム」は作れないかもしれないけど、チアだったら作れる。それを専門家の方々に伝えて、なんとか協力してほしいとお願いしました。それに加えて、「親御さんが必ず練習に帯同する」ことを参加条件にしたところ「それなら実現できるかもしれない」と、みなさんが前向きになってくれたのです。 

障害の種類によっては、突然パニックになったり発作が起きることもあります。もちろん、インストラクターも対処法は学びますが、予期せぬことについてはご両親が最もうまく対応できます。この症状が出たらこの薬を飲む、この行動をしたら一旦は休ませるなど、その子の性格や状況に合った対応ができる。であれば、専門家の方々が一番気にしていた、トラブルや不測の事態が起こるリスクを軽減できそうだとなり、実現に向けて一緒に可能性を探ってくれるようになったんです。 

それから準備しなくてはならないことがたくさんありました。障害をもつ子どもたちへの指導は健常者への指導とは異なります。障害の種類や重症度によっても対応を変える必要があるため、インストラクター向けの教育プログラムを作る必要があります。最初に相談した理学療法士の先生がその役を買ってくれ、一緒にプログラムを作ってくれました。お互い仕事終わりにファミレスに集まって話し合うので、帰りはいつも真夜中です。6か月くらいかけてインストラクターへの教育プログラムを体系化しました。 

2016年1月、やっとインストラクターと専門家の方々を引き合わせることができました。チアリーディング協会からは10人ほどのインストラクターが来てくれました。 

選手をサポートするのが楽しすぎて、アスレティックトレーナーにのめり込んでいく 

──少し話は戻りますが、多田さんがチアリーディングと出会ったきっかけは何だったのでしょうか? 

多田:そもそも僕は、アスレティックトレーナーとしてスポーツ選手の身体づくりやリハビリのサポートなどをメインに活動しています。その経験を買われて、チアリーディング協会から「オフィシャルトレーナーをお願いできないか?」と声をかけて頂きました。それが縁でチアと出会い、アメリカの世界大会にも救護スタッフとして帯同してきました。 

──日産自動車硬式野球部や日本ハムファイターズで選手のサポートもされていましたよね。アスレティックトレーナーとはどのような仕事なのでしょうか? 

多田:怪我の状況把握や応急処置、リハビリテーション、体力トレーニングなどをサポートする仕事です。ただ、僕が力を入れている分野は怪我の予防なんですよ。怪我をしにくい身体作りのサポートやコンディショニングの調整などですね。 

というのも、高校生のときに陸上部に所属していたのですが、足首を捻挫したり股関節を骨折したりと、怪我の影響で練習を休むことが多かったんです。怪我をした後の治療も大事だと思ったのですが、そもそも怪我をしないためにはどうすればいいか? を考えました。そのヒントを得るために書店へ行ったら、テーピングの巻き方など、怪我を予防するためのノウハウが書かれた実用書がありました。 

本の内容も参考になったのですが、著者プロフィールに書いてあった「アスレティックトレーナー」という資格が気になったんです。これは何だ? と思い調べたら、どうやら怪我を予防するために何かをする人たちのことらしい、と。それはまさに自分がやりたいことだと思い、アスレティックトレーナーという職業に興味をもちはじめたんです。 

──怪我をしないために本を読むとは、勉強熱心な学生だったんですね。 

多田:いえいえ、全然熱心ではありませんよ。僕は小学校、中学校と全く勉強しておらず、先生からは「お前が進学できる高校はない」と言われていたくらいです。そんな僕が本を読んで勉強した理由は、陸上部の後輩に好きな子がいたからです(笑)。その子は入部した当初から膝の半月板を怪我していました。先輩としていいところを見せたくて、書店でテーピングや怪我の治療法などに関する本を読み、そこで得た知識を彼女に教えていました。そこで先ほどの本と出会うというわけです。 

それから資格について詳しく調べたら、当時はアメリカでしか取れない資格だと分かりました。だから渡米するしかないと思い、留学を斡旋してくれる会社へ行って相談したところ、コミュニティカレッジという二年制の大学を紹介されました。日本でいう短大ですね。その後4年制の大学に入学してから資格を取るという流れです。 

──親御さんは、どんな反応でしたか? 

多田:「日本の大学でさえ入学できないのにアメリカの大学に行きたいなんて、この子は何を言っているんだ?」というリアクションでした。トレーナーという職種も世間では全く知られていなかったので、父親にいたっては「トレーナー? 何の? ライオン? イルカ?」と、サーカスのトレーナーをイメージしているようでした(笑)。「まぁとりあえず行ってこい」という感じで送り出してくれましたが、後で聞いたらすぐに挫折して帰ってくると思っていたらしいです。 

──アメリカでの生活はどうでしたか? 

多田:勉強は大変でしたが、トレーナーになりたいという一心で渡米しているわけですから、もうやるしかない! という気持ちで臨んでいました。そうしたら運よく学生トレーナーとして修行を積めることになったんですよ。 

きっかけは、短大で体育の授業を受けていたとき、突然知らないおじさんが入ってきて僕らの前で喋り出したことでした。その人は、後に僕のボスになるスティーブという人なのですが、そのときは誰かも分からないし、何を言っているかもよく分からない。でも「トレーナー」という言葉だけは聞き取れたんです。そこで僕は「日本から来ました。トレーナーになりたいんですけど、どうしたらいいですか?」と片言の英語で話しかけました。そうしたら「学生トレーナーを募集しているから、興味があるならここに来なさい」と言ってくれたんです。 

行ってみると、そこはまさに僕が思い描いていた場所でした。アメフト部や野球部、バスケ部の選手にテーピングを巻いたり、リハビリをサポートしたり。試合会場に行って怪我した選手の応急手当もしました。 

──学生ながら、プロのアスレティックトレーナーのような仕事をしていたんですね。 

多田:すべてボスのおかげです。大して英語が喋れない僕をトレーナーとして受け入れてくれて、根気強く教えてくれたんです。はじめは、選手のマッサージやテーピング、電気治療など、あまり言葉を交わす必要がない仕事を任せてくれました。そこから段々と、カルテを書いたりリハビリ計画を作ったりと、別の仕事を任せてもらいました。 

怪我した選手のサポートをしているときは、練習や試合に出られないと肩を落とす選手たちを励ましながら、復帰に向けて二人三脚でリハビリに励んでいました。元々スポーツが好きだったこともあり、アスリートの手助けができる仕事にやりがいを感じました。そこから、みるみるとトレーナーの仕事にハマっていきました。 

トレーナーのもう一つの特権は、一番いい場所で試合を見られること。野球の場合はベンチから試合を観られますし、アメフトの場合は選手やコーチですら入れないエリアから試合を観られます。身長2メートルくらいの選手同士の激しいタックルや、ボールの競り合いなどを目の前で見られる特等席です。 

僕は短大を留年して4年間在籍していたので、3年目からは学生のリーダー的な立場になりました。後輩にテーピングの巻き方やリハビリのサポート方法などを教えることも楽しかったですね。あまりに楽しすぎて、短大を卒業して4年制大学に編入してからも、車で30分かけてボスの元に通っていました。火、木曜日はバスケットボールの試合に帯同して、週末はアメフトや野球の試合に帯同するというスケジュール。週末に遠征があると、チームについていってサポートしていました。 

──同時に大学でも学んでいたのですよね? 

多田:体育学部のアスレティックトレーナー学科に進んだので、実技だけではなく理論も学びました。マッサージや鍼治療などコンディションを整えることも重要なのですが、怪我をしないための予防医療を学べたことは、その後のトレーナー人生にも活きています。ボスの元で学生トレーナーの経験をしたことで、渡米当初よりも更にアスレティックトレーナーになりたい思いが強くなっていました。だから勉強は大変でしたが耐えられたんです。 

7年かかりましたが、無事に大学を卒業してアスレティックトレーナーの資格を取得できました。その後帰国して、日本でトレーナーとして働きはじめます。 

──アメリカで働こうとは思わなかったのですか? 

多田:1年間だけアメリカで仕事をしていたのですが、長く働こうとは思わなかったですね。というのも、日本でトレーナー業を広めたかったんですよ。僕がアメリカへ留学したときには、日本にはアスレティックトレーナーという資格がなかったので、「こんな楽しい仕事を知らないなんてもったいない」と思っていました。でもフタを開けてみたら、僕が帰国するころには日本でも資格ができていました(笑)。 

帰国後は、日産自動車の硬式野球部や、プロ野球の日本ハムファイターズのトレーナーを務めました。その後、ご縁があって帝京平成大学で専任講師として働き、トレーナーを目指す学生へ座学と実技を教えていました。やはり日本でトレーナーを広めたいという思いと、学生教育に興味があったからです。 

その頃に、チアリーディング協会の方からトレーナーに誘われて、チアの大会やイベントの救護を任されました。そのうち海外遠征にも同行するようになり、先ほど話した世界大会のエキシビジョンの話に繋がるというわけです。障害をもった子どもたちのチアリーディングチームを作れたのは、このような経験のおかげです。 

障害者のスポーツ選択に「チア」があると知ってもらいたい 

──チャレチア、パラチアについて課題に感じていることは何ですか? 

多田:誰でも参加できるスポーツであるという認知が足りないことです。先ほど言ったように、チアはどんな障害があってもできます。しかし一般的には、組体操のように人の上に人が乗ったり、側転やバク転などアクロバットな技を披露したりと、難易度の高いスポーツだと思われています。実際に、特別支援学校や小学校の特別支援学級へチームを紹介しに行ったときに、「チア? いや~うちの子には難しいですよ」と言われたこともあります。もちろん説明はするものの、一般的なチアに対する固定観念はなかなか崩れないのが現状です。 

最近では、チャレチアやパラチアの子たちの技術レベルが上がっていることも、逆にハードルを上げてしまっているようです。練習を見学に来る親御さんも「うちの子には難しいかも」と思ってしまいます。でも、みんなポンポンを持つことさえできなかったところからスタートして、徐々にできるようになったんです。 

だから、これからチアをはじめようと思っている人には「『うちの子はできない』ということは絶対にない。子どもたちは少しずつ成長していくものなので、焦らず長い目で見てほしい」と、今まで以上に伝えたいと思っています。 

──今後の目標はありますか? 

多田:チャレチア、パラチアの取り組みを全国へ広げたいです。僕が運営するNPO法人では毎年1回、指導者養成講習会を開催しています。障害をもつ子どもたちは全国にいるので、講習を受けた指導者が各地域でチャレチア、パラチアを作ってくれたらいいなと思っています。北海道、静岡、奈良でチームを作っている人がいるのですが、もっと増やしたいですね。今は、大会のエキシビジョンで演技を披露するのは僕たちのチームだけですが、ゆくゆくは全国からチームが集まってくるようにしたいです。 

パラチアは世界大会にも出たいと思っています。実は世界大会に出場する話はあったのですが、コロナウイルスの流行によって行けなくなったんです。コロナ禍も落ち着いて、さぁ来年は行くぞ! と意気込んでいたのですが、今度は円安になってしまった関係で旅費が高騰しました。親御さんが一緒に行くとなると、ひと家族あたり100万円を超えてしまうため、今は費用の問題で様子を見ています。 

チャレチアは、4年に一度開催される、知的障害のある人たちが出場する「スペシャルオリンピックス」に出場したいです。今までは「応援」という形式でチアリーダーが参加していましたが、最近アメリカのスペシャルオリンピックスで正式競技になったんです。日本でも競技になったらいいなと思って啓発活動を続けています。チアが広まることで、障害のある子どもたちの習い事の一つに「チア」という選択肢が生まれることが願いです。 (了)

多田 久剛(ただ ひさよし)さん 
NPO法人Spitzen Performance 代表理事 / United Spirit Association Japan(チアリーディング協会)オフィシャルトレーナー 
高校を卒業後、渡米。カリフォルニア州立大学のロングビーチ校を卒業後にアスレティックトレーナーの資格を取得。日産自動車硬式野球部や北海道日本ハムファイターズのトレーナーを務める。オフィシャルトレーナーとして帯同したチアリーディングの世界大会で、障害をもつ選手達の演技に魅了され、2016年に日本ではじめて障害をもつ子どもたちのチアリーディング「チャレンジドチア」「パラチア」を立ち上げる。 
HP:https://spitzen-performance.jp/ 

撮影/深山 徳幸(インタビュー担当) 
撮影/山田 智子(大会担当) 
執筆/中村 昌弘 
編集/佐藤 友美 

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