「伝えたい相手を笑顔にするための コミュニケーションプランニング」佐藤尚之さんインタビュー
日本の広告のあり方に多大な影響を与えたベストセラー、『明日の広告』『明日のコミュニケーション』に続く3作め、『明日のプランニング』を出版した佐藤尚之氏(通称・さとなおさん)。
電通に所属した26年間には、マス広告はもちろんのこと、インターネット黎明期からネットでの情報発信に関わり、コミュニケーション・デザイナーという職域を開拓した。
近年は、「さとなおラボ」や「さとなおリレー塾」をオーガナイズし、これからの日本のコミュニケーションプランニングを考える場を創り出している。
情報“砂の一粒”時代。伝わらない時代の伝える仕事。
__さとなおリレー塾では大変お世話になりました。10回の塾で、コミュニケーションの分野で急速な価値観の変化が起こっていることを知りました。1作目の『明日の広告』は2008年出版ですから、10年弱で私たちを取り巻く環境は急速に変化したんですね。
佐藤尚之さん(以下・さとなお)『明日の広告』が出た頃は、一方的に押し付ける広告がギリギリ成立していた時代だったと思います。「伝わるならなんでもあり」。生活者を360度取り囲んで、驚かせたり、不意打ちしたりして、なんとか伝えたいことを伝えるという時代でした。けれども、ソーシャルメディアの登場で、その手法が急速にきかなくなってきた。
__『明日の広告』の冒頭で書かれていた「ラブレターを渡そうにも、好きな人がどこの道を通るかわからない。渡せたとしても彼女はすでに大量のラブレターをもらっているかもしれない」という例え話が印象に残っています。
さとなお これだけ情報が溢れている今の時代、単に情報を伝えるだけでは相手に届かない。生活者とのつながりや、企業のあり方自体まで踏み込んでプランニングを考えていかなきゃいけない。それに気づいたのは2年くらい前かな。その頃から今回の書籍の構想を練りはじめました。
__今回の『明日のプランニング』の中で描かれた、P17の1枚の図 <伝わらない時代の「伝わる」プランニング>は、さとなおラボのメンバーの皆さんとディスカッションを重ねながら、いまの形になったと聞きました。
さとなお そうなんです。特に僕にとって重要だったのが「ファンベース」という言葉との出会いでした。
それまで僕は、「これからの広告は一方的に押し付けるのではなく、『伝えてもらいたがっている人』に届けようとするものだ」という言い方をしていました。けれども、アメリカ研修に行っていたラボのメンバーから「アメリカではその考え方を『ファンベース』と言っていました」と聞いて、まさにこれからの時代のコミュニケーションを端的に示す表現だと思ったんです。
__繰り返し出てきた「情報“砂の一粒”時代」というキーワードも印象的でした。
さとなお 世の中の情報洪水の規模感をよりわかりやすくとらえるために、「あなたが発信しようとしている情報は、世界じゅうの砂浜にある砂の一粒」なのだと表現しました。略して「砂一(すないち)時代」。そんな時代に広告を押し付けても伝わるはずがない。
だから、ファン、すなわち情報を伝えたがってもらっている人に向かってまず発信し、そのファンを介して情報を伝えようという考え方を提示しました。
__昔の「広く伝える=広告」から、ファンを大事にするコミュニケーションプランニングが重要な時代になり、仕事の魅力や面白みはどのように変わりましたか?
さとなお 昔のマスマーケティングは、伝えたい相手の顔が見えずひと塊りでした。けれども、ファンベースの考え方をすると、より喜んでくれる人に情報を届けることになります。相手の顔が見える、そして笑顔になってもらう施策を考える方向に踏み込めることは、やりがいもあるし楽しいと感じます。
ただし「伝えたい相手を笑顔にしよう」と本気で考えると、表面上のコミュニケーションでは通じなくなる。企業の内面を磨かなくてはいけないし、企業の理念にも踏み込んでいくことになります。外に見える部分の提案をするだけではなく、社内のインナーキャンペーンに力を入れていくことになりますね。
__さとなおリレー塾で一番印象的だったのは、毎回登壇する名だたるプランナーの方々が、みなさん、表に出てこない社内コミュニケーションや、理念の浸透、社員に自分の会社のファンになってもらう施策に時間を割いていることでした。
さとなお それはもう必然の話なんです。社員も社会を構成しているメンバーの1人だから。社員が自分の企業や商品の一番のファンであれば、その気持ちは自然と外に染み出して人に伝わっていくんです。
これからのプランニングは、ある種の課題解決が求められるでしょう。企業のあり方にまで踏み込む仕事になっていくでしょうね。
__その点は、8人の講師の皆さん、ほぼ同じ結論に達していらっしゃいましたよね。
さとなお メンバー全員で議論をしてあの考えになったわけではないんです。先端の人たちを呼んで語ってもらったら、結局同じ場所にたどり着いていた。最後の崖はみんな同じような登り方をしていたという感じかな。
『スラムダンク』のキャンペーンで知ったファンベースの萌芽
さとなおさんの仕事と言えば、「スラムダンク 1億冊感謝記念キャンペーン」のクライマックスとして、廃校になる神奈川県三崎高校の黒板にチョークで続編が描かれた『あれから10日後__』のイベントが、今でも語り継がれる伝説だ。まだ「ファンベース」という言葉と出会う前のあの頃から、その考え方の萌芽は生まれていたのだろうか?
__今回の書籍で書かれた「ファンベース」の考え方の骨格、つまり「伝えてもらいたがっている人を笑顔にする」という考え方は、スラムダンクのイベントのときからすでに確信があったのでしょうか。
さとなお いや、スラムダンクのときはまだでしたね。「伝えてもらいたがっている人」という言葉はスラムダンクの頃には使っていなかったと思います。
ただ、伝えなくてもいい、興味関心のない人たちに無理やり伝えて気持ちを変えさせるという野蛮な、どちらかというと無粋な広告のやり方はずっと嫌いだった。そうじゃなくて、本当にその情報を欲しがっている人たちがいるはずで、その人たちに丁寧に伝えることをしたいと思っていました。
スラムダンクは、ファンの方々が個人個人で大切にしている場面がそれぞれ違うんです。それを我々はとても大事にしました。広告屋がちょっと派手なことをやって彼らの想いを汚したり壊すというのが一番嫌だったし、それだけはやらないようにしようと。
井上さん(スラムダンク作者・井上雄彦さん)も含めて9人のスタッフで、どうやったらファンをとことん接待できるかということだけを考え、神は細部に宿るという気持ちで細かい部分まで全部自分たちで作り上げていったんです。
__イベントが行われた2日間で特に記憶に残っていることは、どんなことですか?
たくさんあるのですが、ひとつは井上さんが号泣されたことですね。
あのキャンペーンは、井上さんがファンの皆さんに「ありがとう」を伝えたいと始まったものなんだけれど、実際には来てくれたファンの方々が我々に「ありがとう」と言ってくれたんです。
「スラムダンクをもう一度自分の中によみがえらせてくれてありがとう」って。
井上さんは姿を見せるとすぐにばれちゃうので、ある部屋にこもってもらったのですが、作品を見たみんなが喜んだり、泣いたり、感謝したりしている声が、井上さんのいる部屋にも聞こえてくるんですよね。それはそれは感動したみたいでした。
描く仕事、ものを作る仕事は、とても孤独なものです。涙している井上さんの姿を見て、僕たちは伝える仕事に携わっていながら、今まで伝える側の人間や企業のケアについてちゃんと考えてこれなかったのかもしれないとも感じました。
__このイベントのあり方は、その後のさとなおさんのコミュニケーションデザインの考え方に大きな影響を与えたとおっしゃっていましたね。
ファンの人たちと丁寧にコミュニケーションすることが、どれだけやりがいがあることなのかを実感できました。でも、そのときはまだ、ソーシャルメディアもなかったし、今のような時代がくるとは予想していませんでしたね。
3.11が加速させたソーシャルコミュニケーション
3.11以降、「助けあいジャパン」をはじめ、複数の支援団体を立ち上げたさとなおさん。2011年4月には26年勤務した電通を辞め、株式会社「ツナグ」を設立。3.11からのコミュニケーションはどのように変わったのだろう。
__さとなおさん、震災当日はどちらにいらしたんですか?
さとなお 電通です。24階だからめちゃめちゃ揺れました。僕は、阪神大震災の被災者だったので、被災地のイメージがぱっと思い浮かんで一度思考停止したのを覚えています。その日の夜はずっとソーシャルメディアを見ていました。
__その時期、リアルタイムでさとなおさんと、その周囲の方々のTwitterでのやりとりを拝見していました。
さとなお ソーシャルを見ていると、みんなが「なにかできないか」「なんとかしよう」「俺はこのスキルを持っている」とか、言い合っている。これは奇跡的な状況だと思いましたね。
僕が阪神大震災で身にしみて知ったのは、みんな水やガスがライフラインだというけれど、本当は情報こそがライフラインだということ。この避難所ではパンが足りないとか、あちらではパンが足りて余っているとか。そういう情報が入ることでみんなが安心できる。
じゃあ、そういった情報をネットで集約して発信しようと思って、当時官房副長官だった松井孝治さんにメールをしました。
ソーシャルメディアだけだと「パンが足りないです」とは言えるのだけれど「パンは足りました、もういりません」という発信ができないんですよね。だから、民間からの情報と自治体からの情報を連携させたほうがいいんじゃないかと思ったんです。メールを出したら「すぐに来てくれ」と言われて、3月12日の夜に徹夜で企画書を書いて、次の日仙谷さん(仙谷由人氏)にプレゼンをしました。
__その活動が助けあいジャパンにつながっていくんですね。
さとなお 震災ボランティア連携室ができ、いろんなスキルを持った人たちが集まって官民連携の形で情報集約を始めました。
けれども、1週間後に被災地に行ったときにわかったのは「東北の人たちはほとんどネットを使っていない」という事実でした。そこで、東京や大阪の人たちに対して現地の情報を出すほうに大きく転換したんですね。この取り組みは、震災から4年過ぎたいまでも続いています。
__震災の前と後で、コミュニケーションプランニングのあり方はどのように変わったと感じていらっしゃいますか?
さとなお 震災でソーシャルメディアがぐっと増えて普及した上に、一度は陳腐化したと思われていた「絆」に代表されるような、人とのつながりがいかに重要かということを考える転換点になったと思います。時を同じくして海外でもリーマンショックやアラブの春が起こり、効率論から非効率論に大きく舵が切られました。
これは広告の世界だけではないですよね。例えば建築にしても、家を納品しておしまいではないでしょ。家を作っているんじゃなくて、生活を作っているわけですから。生活がそこから始まると考え、その生活のデザインを考えると、長い付き合いになると思うんです。非常に手離れが悪くなる。
__そのある種の「手離れの悪さ」こそが、コミュニケーションプランニングの醍醐味でもあると、おっしゃっていました。
僕はマスメディアの人間でCMを作っていたので、もともとバーンと大花火を打ち上げて目立とうという発想をしていたんです。周りを見渡してもお祭り男と宴会女ばかり(笑)。納品したんだから飲みにこうぜ、と打ち上げができた時代です。
でも、今の時代、納品して終わりではなく、むしろ納品後からファンとのコミュニケーションが始まります。360度の包囲網で広告を伝えていた時代から、365日コミュニケーションしていくという時代。
長いスパンの話になるし、その人件費は誰が出すんだという議論にもなるんですが、実はそういった長い付き合いができる方が、一発花火を打ち上げて終わりという仕事より、ずっと幸せなんじゃないかと今は思っています。
かつての長屋に存在した関係性に人々は立ち戻っている
__納品して終わりではないというのは、まさに建築業界をはじめ、多くの人が3.11で気付かされたことでもありました。さとなおさんは、震災後、仮設住宅の壁に絵を描く「くらしの家」というプロジェクトも支援されていましたよね。
さとなお 仮設住宅と言うけれど、誰にとっても「仮の人生」なんてないんですよね。そこで亡くなる人もいれば、大事な小学6年生を過ごす人もいる。そのデザインが仮設住宅にはないと思ったんです。収容所みたいで、街路樹も色もなく、棟の呼び名も1、2、3。みんな仮の付き合いだと思っているから「1-3の人」というような呼び方になっちゃっている。そんな話を、仲間内でしていたんです。そして、病院の壁に絵を描く「ホスピタルアート」というプロジェクトを一緒にやった黒田征太郎さんとたまたまお話ししたときに、だったら「仮設住宅に絵を描きに行くのはどうだろう」という話になったんです。
__それは、誰に頼まれるでもなく、ですよね?
さとなお 仲間たちといっしょに自治体とかに「描いていいところありますか?」と連絡をして、無理やり描きにいきました(笑)。最初は「変なやつらが、来たな」という感じです。でも、描いているうちに地域の人たちも見に来て、「あそこの棟はなにが描いてあるの?」とみんなが見回り始めて、コミュニケーションが生まれていきましたね。セミが描いてあると「セミ棟の○○さん」とか。「犬棟の△△さん」とか、呼び方も変わってきた。
__それは、昔あった長屋のような関係性ですよね。『明日のプランニング』の最後にも、「こんなにもデジタルの情報が溢れかえっているのに、これからの「伝わる」方法はアナログ的になっていく」と書かれていました。
さとなお ソーシャルメディア自体が、江戸時代の長屋みたいなものだと思うんです。隣の人との壁が薄く、何をしているかも見えてきて、その中にみんながわいわいと生きている感じ。最初はみんなそれがわずらわしくて都会に出たのだけれど、結局また長屋に戻ってきているんだろうな。やはり、肌触りのあるところに帰ってきているんだと思います。
__リレー塾や今回の書籍では、その「肌触り」に関わることができる、いまのコミュニケーションプランニングの面白さを伝えたいという、さとなおさんの熱を感じました。
さとなお うーん、どうかなあ。出版前後は、いつもブルーなんです(笑)。こうやって書籍で伝えるのも、どうもおこがましい気がするし。僕が書いたソリューションが正しいかどうかはわからないし。
ただ、伝える仕事って、こんなに面白い仕事なのに、コミュニケーション業界の人たちが自信を失って疲れ切っているのが、どうしても気になるんです。みんな、負けの連続みたいな気分で地にまみれているから。けれども、ちゃんと伝える技術を持ち、内面を磨いた上で伝えることができれば、世の中はもっと良くなるはずなんです。それは信じたいし、長くこの場所にいる僕たちが縮こまっちゃったらいけないと思う。本当は、新しいことを言おうとするのはしんどいんですよ。
マスメディア時代の成功体験を自らどんどん捨てなくちゃいけないわけだし。でも、僕は、マスマーケティングをどっぷりやり、ネットもソーシャルも初期からやってきているちょっと特殊な立ち位置の人間だと自覚しています。そういうタイプの人間が頑張って、双方をつなげることに向き合わなくてはと思っているんです。会社名の「ツナグ」という名前も、そういう意味でつけたんですよね。
__業界の先輩たちがそのように昔の成功体験を捨てて、どんどん前を走ってくれることは、若い人たちにとっては救いなのではと思います。
さとなお やっぱりこの仕事は楽しい仕事だし、少しでも世の中の人を笑顔にして、ちょっとでも世の中を良くすることに関わっていこうよと言いたいんですよね。僕たちの仕事は、伝えたい相手を笑顔にしようとする仕事。幸せな仕事でないはずがないって、言いたいんですよね。
(了)
撮影/中村彰男
執筆/佐藤友美
佐藤尚之(SATO NAOYUKI)株式会社ツナグ 代表取締役/コミュニケーション・ディレクター1985年株式会社電通入社。コピーライター、CMプランナーなどを担当した後、クリエイティブ局にウェブ部門を立ち上げる。2011年4月に電通を退社。2008年に出版された著書『明日の広告』(アスキー新書)がベストセラーに。スラムダンク1億冊キャンペーンで受賞したJIAAグランプリをはじめ、新聞広告賞グランプリ、広告電通賞金賞、ACC賞など受賞多数。震災後には、東日本大震災「助けあいジャパン」を統括。「くらしのある家プロジェクト」「MOJO」などの支援団体を立ち上げた。
最新作は『明日のプランニング』(講談社現代新書)