
ワサビ記念日【さとゆみの今日もコレカラ/第 315 回】
両親が昔いっしょに旅して感動した景色を、美味しかった料理を、私たち子どもにも味わわせたいと連れて行かれた場所で、残念ながら天気が悪かったり、シェフが変わって美味しくなかったりしたとき。
私は、それでもここに一緒に来れたことが嬉しかったと伝えるために、良きところを必死で探す。父と母がしょんぼりすることの方が、景色を見れなかったことより料理が美味しくないことより、悲しいからだ。
*
大人になってからのこと。
大好きな人と、魚のおいしい街で過ごしたことがある。あまりにおいしいから、手に入れた魚を宿で食べようということになった。私は魚介を、彼はお酒をしこたま買い込み、部屋のテーブルいっぱいに刺身を並べて、さていただきますとなったとき、ワサビがないのに気づいた。うわ、マジか。
「ショック……。気づかなくてごめんね」と謝る私に、その人は「大丈夫だよ。ワサビなんかなくても、全然おいしいよ」と、にこにこ刺身に手を伸ばす。
嘘だ。
前に、彼は私のことを「紅生姜くらい、好きだ」と言ったことがある。紅生姜? と聞き返すと、「そう。ゆみのいない人生は、紅生姜のない牛丼みたいだ」と言ったのだ。
「私、人生で一度も牛丼に紅生姜かけて食べたことない」と言うとその人はとても驚いて、「嘘、そんな人いるの?」と言った。そんな人ここにいるし、だからさっきの言葉はさして嬉しくないと伝えたら、「じゃあ、ワサビのない刺身みたいなもの!!」と、言い直した。
「あー、それならわかるかも」と言ったら、彼はホッとした顔をして「そうそう。ワサビのない刺身なんて味気ないでしょ。それくらい、大事な存在」とキメ顔で言うから、おかしくて笑った。
その彼が、私をがっかりさせないように「ワサビなんかなくても全然おいしいよ」と言う。優しい気持ちがじわりと満ちる。
そういえば、雨の日には雨の休日っていいよねと言い、トラブルが起これば笑って「面白い経験したね」と言う。私が言う前に先に言う。こういうところがとても好きだなあ、と思う。
「サビなしもうまい」と君が言ったから二十三日はワサビ記念日
ーーーーーーー
【この記事をおすすめ】
自分には何もないわけではなく、あるものに気づけなくなっているだけ。


