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「自分のため」を続けていく(奈良県 大峰山)【チェアリング思考/第2回】

「チェアリング」を知っていますか? 屋外で「折りたたみ椅子」に座る遊びを指します。画家であり美容師であり、そして今はライターとしても活動したいと思っている私は、4年前からこの「チェアリング」を始めました。
アスファルトの上でも自然の中でも、椅子に腰かけると、そこが自分だけの空間へと変わります。そして思考が攪拌されていきます。ここで生まれる思考のことを、私は「チェアリング思考」と名づけました。チェアリングしながら見た景色を絵と文章でお届けする連載です。今回は5月の大峰山でのこと。

「絶対に手をほどくなよ!」

高さ100メートルもの崖の上で、先達(せんだつ)さんから声がかかる。谷底から吹き上がる風にのり、雲が舞う。8の字になった命綱の輪を両腕にとおし、冷たい岩の先端に腰かけた。胸の前で祈るように指をからめると、手の平がグニュっと音を立てる。谷底に頭を向け、腹這いになり、肘で体をひいていく。体が半身、谷へ投げ出されると、先達さんが握る命綱が肩に食い込んだ。眼下の雲のすき間からは、荒々しい岩肌が顔を覗かせている。足の筋肉はつっぱり、体は棒のように硬直する。「これ以上進むと落ちる!」と思った瞬間、足元から先達さんの声が聞こえてきた。

「もう悪いことはしないか! 親孝行はするか!」

問いかけに、指をさらにグッと握りこんだ。出せる限りの声で「はい!」と返事をすると、谷底へ震えた声が伝播する。続けて先達さんから「世のため人のために生きるか!」と問われると、もう拳半個分、さらに身を投げ出していく。目をカッ! と見開き、体中のありったけのエネルギーを声にのせ、谷底へぶつけた。死にそうな思いのまま、崖の上に引き上げられると腰から力が抜ける。その直後、「御山で修行をすることは、死を疑似体験し、生まれ変わることを意味します。擬死再生と呼ばれているのですよ」と言う先達さんの言葉が、ストンと腹に落ちた。

これが修験道の開祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)が開山した奈良県大峰山で行われる荒行「西ノ覗(にしののぞき)」である。大峰山は修験道の根本道場として1300年以上の歴史をもち、今なお女人禁制が続く御山なのだ。

6年前に画家として仕事がしたいと思いながら、筆を握っていた。しかし、思うような成果をだすことができず、「このまま描き続けて大丈夫なのだろうか」と思い悩んでいた。その時にはじめて大峰山に登拝し、荒行を体験することになったのだ。

荒行をする覚悟を決めたのは、この1時間前に円空仏に出会ったからだった。

「ようおまいり」

大峰寺本堂の外陣にある御朱印場から声が届く。若葉が芽吹く山道を歩き、鎖のかかる岩場を越え、3時間かけてようやくたどり着いた。ひんやりとした堂内は薄暗く、ロウソクの炎が揺らいでいる。土の土間には太く古い柱が並び、キリリと張り詰めた空気に線香の匂いがのる。参拝者は私1人だけだ。御本尊に手を合わせた後、御朱印帳を開いた。

「どちらからお参りですか」「はじめて大阪から来ました」と御朱印場で言葉をかわしていると、後ろから「ようおまいり」と僧侶さんの低い声が届く。ひとしきり自己紹介を終えると、「内陣をご案内しましょうか」と僧侶さんがお声がけくださった。内陣正面のお堂には御本尊である金剛蔵王大権現像(こんごうざおうだいごんげんぞう)が祀られている。秘仏のため幕が降ろされているが、その周りをぐるりと回ることができるというのだ。

内陣の裏側へと続く板間にあがる。床から伝わる冷気とともに、空気がさらに引き締まる。暗く静寂な廊下の角を曲がると、格子から曇天の鈍い光がぼんやりと射し込んだ。十体ほどの神仏の影がずらりと横一列に並んでいたのに気づいた。僧侶さんが、ひとつ、またひとつと、ロウソクを灯しながら進む。次の瞬間、格子から吹き込む風に揺られた炎が全ての神仏のお顔をユラリと照らした。息を止め、手を合わせずにはいられなかった。

その中に、口角の上がったぷっくりとした唇で微笑み、半眼で私を見つめる仏様がおられた。対面したとたん、思わず笑みがこぼれる。今まで拝んできた仏様とは違い、丸みをおびた愛くるしいお姿だった。一方で、腰から下は荒々しくノミで削られ、木の表皮が残り、力強さも合わせもっておられた。これまで何千、いや何万もの人達の悩みや願いをお聴きになられてきたんだなと、人々の祈りのようなモノが伝わってきた。仏様の足元には「円空作」と記されていた。

手を合わせ、じっと半眼の瞳を見つめていると、胸の奥を覗かれている気になってきた。すると「大丈夫、大丈夫、そのまま進めば大丈夫」と声をかけられた、ようにも感じたのだ。抱えていた悩みが、丸っこい何かで包まれ、胸の奥が温かくなった。「諦めずに描き続ければ大丈夫だ」そう思えた瞬間、目を瞑り、祈った。

参拝後、円空さんは江戸時代の僧であり仏師でもあること、全国を旅し人々の悩みを聴き、12万体の仏像を彫ることを誓ったといわれていること、彫られた仏様を総称し“円空仏”と呼ばれていることを僧侶さんから教えてもらった。そして、「西ノ覗は体験されるのですか」と聞かれた。崖の上から身を投げ出す修行があることは知ってはいたけれど、「私には絶対無理だ」と決めこんで御山を登ってきた。しかし、円空仏を拝めたことは何かのご縁だと思い、荒行をする覚悟を決めた。

西ノ覗へ向かう時、僧侶さんが白いホラ貝を天に向け、頬をこれでもかと丸くし、力いっぱい吹き鳴らしてくださった。遠くの山々までホラ貝の音が颯爽と走った。まるで、次の人生がはじまるファンファーレが鳴らされたようだった。

以来、毎年5月に大峰山に登拝し、円空仏に1年の活動報告をするようになった。そして、西ノ覗で身を投げ出し、先達さんから「世のため人のために生きるか!」と、毎年声をかけられている。しかし、世のため人のために生きるとは、いったいどんな生き方なのだろうか……答えはわからないままだ。

今年も大峰山にやってきた。今回は、西ノ覗から10分ほど歩いた場所にある頂上の広場でチェアリングをしようと思い、バックパックに折りたたみ椅子を詰め込んできた。3時間かけて山道を歩き、ようやく大峰山寺に到着した。内陣で靴紐をほどき、冷たい板間を進む。円空仏に手を合わせ1年の活動報告をすると、「その調子、その調子」と言わんばかりの笑みを浮かべておられた。足元には「修験道修行のために大峰山へ入峯した頃の造仏と見られる」とも記されていた。円空さんがこの大峰山で修行をしていたことをはじめて知った。

5回目となる荒行を終え、私は誰もいない頂上の広場に向かった。バックパックから折りたたみ椅子を取り出す。アルミポールの脚をカチャカチャと組み立て、腰をおろした。眼下に見える山は堂々と鎮座し、深く切り落ちた山肌は緑のコントラストで飾られている。遠くまで重なり続ける山々の頭は次第にかすみ、晴天の空へと馴染んでいく。駆け抜ける風音のすき間で、ウグイスのさえずりが聞こえてきた。

息をすーっと吸い、ふーーーっとはき出していく。光に包まれながら、ゆったりと呼吸でリズムを刻む。心地良い疲れと安堵感が、ドク、ドク、と脈にのり、体をめぐる。「今」をじっくりと味わった。すると、だんだん体が椅子ごと沈むような感覚になっていく。体と意識が御山と同化し、フワフワと思考が漂いだした。ポカンと口があき、天をあおぐ。

空が近い。

ゆっくりと目を閉じると、駆け抜ける風音が鼓膜を覆う。
攪拌されながら、思考が深くなる。
世のため人のためって、どんな生き方なのだろうか……。

円空さんは仏様を彫り続け、今でも多くの人々を救っている。
まさに、世のため人のためといえる生き方だ。
円空さんも西ノ覗の荒行をしたのだろうか。
円空仏の柔和な笑顔は、どうして生まれたのだろうか。
下半身に荒々しく残るノミの跡は、まるで崖のようだった。

……そうだ。

毎年、荒行で崖の上から身を投げ出す時、祈るように手を合わせ、生と死の狭間に身を投げ出している。修行を終え、息をしていることに気づいた時になまなましい「生」に触れることができる。生きている喜びが腹の底から湧き上がってくる。

……そうか。

円空仏の笑顔は円空さんが修行をし、生きている喜びに満ちた手でノミを握る、ご自身のお姿だ。誰よりも笑い、自分の技術を磨き続け、仏様を彫り続けたんだ。笑顔の人を見ると笑顔になるように、円空さんの生きる活力が伝播してくるんだ。そして、多くの人々を救い笑顔をつくってきたんだ。そこに、世のため人のためをみた……。

……あ、あれ、もしかして。

円空さんは、彫りたくて、彫りたくてたまらない衝動で手を動かし、技を磨き続け、円空仏をつくり続けたんじゃないかな。でないと、生涯で12万体も仏様を彫ろうと思わないよな。そして、円空仏に救われた人々の笑顔をみて、さらに円空さん自身が誰よりも笑顔になっていたんじゃないかな。円空さんの成し得てきたことは、世のため人のために見えていたけれど、もしかして……。

自分のために生きた結果が、世のため人のためになっているということなのかもしれない。

あっ……そういえば。

昨年、『Dr.Bala』というドキュメンタリー映画を観た時にも同じように思った。東南アジアを中心に12年間にわたり医療ボランティア活動を続ける大村和弘医師の物語だった。大村医師も手術の技を磨き続けていた。その手に救われた多くの患者さん達は、生きている喜びに満ちた笑みを浮かべていた。

そこに、「世のため人のため」をみた。

でも、一番の笑みを浮かべていたのは他の誰でもない大村医師だった。医療ボランティア活動ができることを、「自分へのご褒美なんです」とも話していた。ボランティアをしたくてたまらない衝動が12年間も続いているんだ。はたからは、世のため人のために生きているように見えたとしても、本人はそう思っていないのかもしれないな。だって、自分がやりたいことをして、一番笑顔で生きているんだから。

そこに、「自分のため」をみた。

……そうか。

世のため人のために生きるとは、抑えきれない衝動で体や頭や手を動かし、自分の技術や知識を磨き続け、目の前の物事に一生懸命に取り組み続ける生き方なんだ。すると、自分が一番笑顔で生きることができる。それが、世のため人のためになっているんだ。

そうだ。

世のため人のために生きるとは、自分のために生きるということなんだ。
よし! 決めた。
描きたい衝動を筆にのせ、円空さんのように、大村医師のように、技を磨き続け、圧倒的にやり続けよう。

自分のために生きよう。

文/島袋 匠矢

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