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そうだ、遺書を書こう。【さとゆみの今日もコレカラ/第388回】

スリランカでアーユルベーダの施設にこもったとき、いわゆる未病の存在にとても自覚的になった。

日本ではすぐに薬を飲んで痛みを取ってしまうし、症状を和らげてしまうから気づいていなかったけれど、11日間薬をやめてみたら、私、不調の玉手箱やん! となったからだ。

ドクターから「過去に、こんな症状なかった?」と聞かれたことのこたえが、ことごとく、「YES」だった。

日本に帰ったら、いろんな場所を検査して、ちゃんと自分をメンテナンスしようと決めた。

スリランカ行きのフライトに乗る直前、お世話になった美容師さんの訃報を聞いた。突然ステージⅣと言われたのが今年の夏のことだったらしい。私と同世代の方だ。ホームページを開くとまだ彼の予約がとれるようになっていた。まだ、全然生きる予定の方だったのだ。

このことが、滞在中、命について深く考える、もうひとつの理由になった。

東京に帰る直前、「そうだ、遺書を書こう」と思った。

まだまだ長く生きるつもりだけど、毎年、一年の始まりに遺書を書くのはどうだろうと思いついた。これはとても良い考えのように思える。

以前このコレカラに書いたけれど、私はもともと「あと、2年で死ぬとしたら」と考えながら、毎年いろんなスケジュールをたてている。

でも実際に死ぬときは、自分以外の人にも影響がある。周りの人たちに対して、伝えておきたいことは何だろうかと考えたのだ。

そしてなんか逆説的だけれど、そんなふうに準備をしておくと、なんとなく健康に過ごせるような気もする。お守りみたいなものか。

元旦に、遺書を書く。

一年経ったら、元気に生き延びたことに感謝しながら、その遺書を更新する。毎年更新する。たぶんその遺書は、私の成長記録になるだろうし、交友記録にもなるだろう。

素敵なアイデアのように思える。

読まれることなく新しい年に更新される遺書であればラッキー。

いつか実際に読まれることになったとしても、遺書が用意できているのはラッキー。

日本に戻ってから、順番に病院まわりをしている。いろんな検査をしてもらい、この先のメンテナンスの相談をしている。

それと同時に、部屋を片付け、もう何年も使っていないものたちを捨てた。本屋に行き、エンディングノートを立ち読みする。来年元旦に書く遺書のイメージを膨らませる。

とてもわくわくしている。

スリランカに行って良かった。

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