
プロ野球球団公式ライターから小説家へ。「自由に書ける小説で野球を書く面白さがあった」長谷川未帆さん【リレー連載・あの人の話が聞きたい/第18回】
2026年6月。長谷川未帆さんのデビュー小説『泥む』が書店に並んだ。
社会人になってから小説の魅力に気づき、人生で初めて書き上げた小説で、第56回埼玉文芸賞準賞を受賞。出版社主催の文芸賞とは異なり、自治体が主催の文芸賞は、出版デビューに直接はつながらない。だが、長谷川さんは単行本化の道を目指し、刊行にこぎつけた。
なぜ小説を書き始め、どうやって小説を書き上げたのか。出版に至るまでの道のりを聞いた。
聞き手/福田 れみ
10年越しで書き上げた小説
野球小説を書こう。そう思って1文字目を書いてから、完成させるまでに約10年かかったという。仕事を辞めて小説に専念した時期もあった。
「本屋で自分の本が並んでいるのを見て、最初は感動しました。読んだことがある作家さんたちの本の隣に並んでいてすごい! と。だけど、実はまだ、自分の本が並んでいる光景を不思議に感じる気持ちが強いです。現実味があまりない」
「本屋で見つけたよ」「本を読んだよ」と友人知人が知らせてくれることが嬉しいという。しばらく連絡を取っていなかった人からも「買ったよ」と連絡がきて、復活した縁もあった。
「本を出そうと挑戦したから出会えた人や、経験できた出来事がたくさんあります。出版社の編集者さんとか、刊行記念トークイベントを行ったこととか。出版して、世界が広がりました」
小説を読み始めたと同時に、小説を書き始めた
野球が好きだった長谷川さんは、都内に本拠地を置くプロ野球球団のファンクラブ事務局で働いていた。事務や電話対応が主な仕事だったが、あるときファンクラブの会報誌でインタビュー記事を書く機会が訪れた。好きな野球について書く仕事の楽しさを知り、千葉県を本拠地とする球団の公式ライターに転身。球場に出向いて選手に取材を行い、公式媒体でインタビュー記事や広報記事を書くようになった。
小説を書き始めたのは、長谷川さんがプロ野球球団公式ライターになって3年目のときだ。きっかけは、お笑いコンビ・ピースの又吉直樹さんのデビュー小説『火花』だった。2015年に第153回芥川賞を受賞し、本を読まない層も巻き込んで社会的なブームとなった作品だ。長谷川さんもそのブームに乗った一人。小説を読む習慣はなかったが、ものすごく話題になっていたので手に取った。
「小説は創作の世界。作り物の話で感動するってどういうことなんだろうと思いながら読み始めたんです。野球の試合のように、現実に起きたことこそが面白いと思っていたので。それなのに、読んでぼろぼろと泣いてしまって。初めて小説を最後まで読み切りました」
『火花』は、売れない芸人の主人公が、同じく売れない先輩を師と仰ぎながら交流を重ねて成功を目指す話。「お笑い」に対するそれぞれの哲学が、日常のシーンとともに描かれている。
「架空の話なのに、“現実に起こっているような本当のこと”を突き付けられた感覚でした。小説という表現方法があるのか。私も書いてみたい。そう思ったんです」
いつも書いている文章は、選手が話してくれた思いや試合の結果などが主だ。大好きな野球について記事を書く仕事は楽しかったが、なんでも書けるわけではない。例えば、選手同士の何気ない会話や、2軍球場の通路の景色。球場で目にしているけれど、記事には書かれない出来事や景色の方が圧倒的に多い。
記事では書けなかった情景を書ける小説という表現方法に出会い、さまざまなジャンルの小説を読み漁りながら、見よう見まねで野球小説を書き始めた。特定の球団や選手をモデルにしないということだけを決めて、球団公式ライターとしての仕事の合間に、思いついたシーンを少しずつ書き溜めていった。
「同じように野球のことを書いていても、選手の声をファンに届けるノンフィクションである記事に比べ、フィクションの小説には制限がない。選手のインタビューには出てこない話を、選手目線で書ける。なんでもありの小説で野球を書く面白さを知りました」
野球界にいながら野球小説は書けない
小説を書き始めて分かったことがある。野球界に属しながら、野球についての小説を書くことは難しい。現実にいる選手やファンへの敬意があるからこそ、これを書いたら球団に迷惑をかけるんじゃないかと、書く内容に自らブレーキをかけてしまうからだ。どんな内容でも書ける自由さが面白くて小説を書いているのに、これでは書きたい話が書けない。
それから、独学で小説を完成させる難しさも知った。
「何回書き直しても終わらないんです。小説になっているのかどうかが、自分では分からなくて」
球団公式ライターとして働きながら小説に取り組むうちに、小説を書くなら文学的評価を得たいと思うようになっていった。きちんと評価を得てから、作品を世に発表したい。いつの間にか、小説を書くことが、最もやりたいことになっていた。
「プロ野球界の仕事は天職で、手放すなんて考えたこともありませんでした。ただ、年数を重ねるうちに、野球の記事しか書いたことがない自分に迷いを感じるようになってきて。野球以外のことに目を向けることもせず、私にはこの道しかないんだと思い込んでいました。最初に書いた小説の題材が野球だった背景には、それしか書けなかったからという理由もあるんです」
小説を書き上げるために、環境を変える
本格的に小説と向き合おうと決めた長谷川さんは、2023年4月に京都芸術大学大学院の文芸領域に入学。小説に特化して学べること、書きたいテーマがある人を対象にしていること、書いた作品をプロが講評してくれることが決め手で選んだ。
入学した年の12月には12年続けた球団公式ライターの仕事を辞めた。仕事を辞めてまで取り組む小説だ。在学中の2年間で何か結果を残せなければ、小説の執筆を諦めようと思っていたという。
「大学院に行く決断をして、本当に良かったと思っています。小説は、何万字にも及ぶ特殊な文章。プロに見てもらわなければ、私は書き上げられなかった。同期に、すでにデビューをして映画化やドラマ化を経験している人がいて、親身になってアドバイスをくれたこともありましたね。一緒に学ぶ仲間がいる状態で書けたから、作品が出来上がったと思っています」
独学で8年かけても完成させられなかった小説が、大学院で学んで1年半で形になった。こうして初めて書き上げた小説で、在学中に第56回埼玉文芸賞準賞を受賞。授賞式は、大学院の学位記授与式と同じ日だった。
この小説は、まだ書き終わっていないかもしれない
埼玉文芸賞に応募した理由は、地元の賞であり、書き上げた小説に規定文字数が近く、締め切りのタイミングが合ったから。準賞受賞の知らせは電話で受けた。嬉しかった。同時に、自分の作品には明らかに何かが足りなかったのだと感じた。その年の小説部門では、正賞である埼玉文芸賞の該当者がいなかったからだ。
喜びの中に悔しい気持ちもあったが、思いがけない副産物があった。授賞式後の懇親会で、選考委員から講評を1時間以上にわたって聞かせてもらえたのだ。
「準賞だったからこそ、前向きな助言を聞かせてもらえたと感じています。この小説はまだ書き終わっていないかもしれないと思い、もっと精度を上げようという気持ちになりました」
受賞を経て、県が発行する『文芸埼玉』に作品が掲載された。文芸誌に載るという一つの目標が達成できたし、自分の書いた小説が紙に印刷されて世に出た喜びがあった。
ただ、『文芸埼玉』は県内の限られた場所でしか販売されない。もっと多くの人に読んでもらいたい。懇親会で講評を聞けた経験から、作品を改稿して完成度を上げたい気持ちもある。自分の作品として、人に手渡せる形にしたい。全国の書店で取り扱ってもらえるように、単行本化を目指そうと決めた。
受賞の実績を引っ提げて、出版社に原稿の持ち込みをすることにした。持ち込みを受け付けている出版社を探し、Word原稿を添付してメールを送り、出版を引き受けてくれる版元に出会えた。

自分のための小説を、誰かに読んでもらえる作品に
単行本には、受賞した野球小説と、大学院の修士制作で書いた話の2作を収めた。どちらも全文を改稿し、タイトルを変えた。
長谷川さんは、自分の感情が動いた出来事を基にしたシーンから小説を書き始めるという。
「どうしてこんな行動をしたのだろう、あの感情って何なのだろうと、思ったことを書くんです。例えば怒りの感情が湧いたときは、登場人物を怒らせます。書いているうちにだんだん全体像が見えて、怒りの正体が分かってくる。書きながら解明していく感じです」
初稿は自分の思うままに書き、2稿以降は小説として正しい選択ができているかどうかを考えながら書いてきた。出版が決まってからは、人に読んでもらう作品にすることをより意識したという。何年も書き続けて、何度も書き直してきた作品だ。「これで最後だ。ようやく終わる」という思いを抱えながら、細かい表現一つ一つにこだわって修正を加えていった。
「改稿を重ねていくうちに、救いのあるシーンが増えました。長く書き続けたから、私自身の中身も変わっていったのかもしれません。自分の全てを出し切りました」
1冊目の出版を終え、今は新たな話を書き始めている。(了)
文/福田 れみ
長谷川 未帆(はせがわ みほ)
2025年に小説「てのひらをかえす」で第56回埼玉文芸賞準賞を受賞。2026年に同作を改題改稿した「犬と猫」を収録した『泥む』(ポエムピース)を刊行。プロ野球球団公式ライターを務めるなどノンフィクションも執筆。京都芸術大学大学院 文芸領域 修了。


