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クレムリンで勲章を受け取った手が奏でる音。デニス・マツーエフ来日公演

実家の愛猫が、他界した。17歳だった。

17年前、ひとり暮らしをしていた私に、ふだんLINEなどしてこない父から珍しくメッセージが届いた。新しい家族が増えたという。生後3ヶ月ほどの、やんちゃなオスの子猫だった。名前は、私がつけた。

それから家族と長い時間を過ごした彼は、2026年5月31日にこの世を去った。その知らせも、父からのLINEだった。いわゆる猫の平均寿命を超えた大往生とはいえ、彼がいなくなる日なんて、考えたくもなかった。それでも最期は、容赦なくやってきた。

亡くなる直前、帰省して久々に会った彼はずいぶん痩せていて、残された時間がそう長くないことは、見ればわかった。膝に乗る彼の背中を撫でると、痛々しいほどに骨張っていて、呼吸も浅い。それでも食欲はあり、実家の1階と2階を自力で上り下りしていた。まだ、体力があると信じたかった。だからこそ、次の帰省まで実家を離れる日は「またすぐ会いに帰ってくるから、待っていてね」と声をかけて、実家を後にしたのだ。それからは、あっという間だった。

これを、やり遂げたら。
目の前のことが、落ち着いたら。
そしたら、また会える。

限りなく最期に近い瞬間まで、たっぷり愛でて、ゆっくり一緒に過ごせると思っていた。けれど、それは実現しなかった。訃報は、通知音も無く、静かに届いた。デニス・マツーエフの来日コンサートへ足を運んだのは、その2日後だった。

ロシアによるウクライナへの全面侵攻から1年余りが過ぎた2023年、私は当時住んでいたウラジオストクで、オーケストラと共演する彼を聴いていた。

マツーエフは、2014年にクリミアをめぐるプーチン政権の立場を支持する公開書簡に署名した。2025年には、クレムリンでプーチン大統領から国家勲章を授与された。ただ、2022年に始まった全面侵攻については、彼自身が明確に支持あるいは非難した言葉は、私が調べた限りでは見つけられなかった。侵攻後、彼の出演予定だった公演は欧米各地で相次いで中止された。この来日公演の実現も、決して容易ではなかったはずだ。そんな背景を持つ彼が、どんな演奏をするのか。それを自分の耳で確かめたくて、公演日の5ヶ月前にチケットを買っていた。

それにしても、なぜこのタイミングなのか。愛猫の死に対してか、来日公演に対してか。八つ当たりでしかない気持ちを抱いて、重い足取りで会場へ向かった。

【第一部】
演奏プログラム
■ J.S.バッハ=ブゾーニ
 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第2番ニ短調より 「シャコンヌ」
■ ベートーヴェン
 ピアノソナタ 第23番ヘ短調 「熱情」 作品57

マツーエフの演奏は、冒頭から重厚だった。これでもかというほどに熱を帯びていく鍵盤のタッチ。地団駄のように踏みしめるペダル。1曲目から会場内を占領するfff。全身の重量をピアノにゆだねるかのような演奏は、圧倒的だった。ピアノが壊れるんじゃないかと心配になるくらい力強い打鍵。それでも、スタインウェイから響き渡る旋律は、短調特有の鬱屈とした雰囲気をまとっている。

その音に身を任せていると、大切な家族がいなくなった事実が、ふたたび胸の中へ押し寄せてきた。そして、命をいとも簡単に奪う戦争のことにまで考えが及ぶ。私は、17年という寿命を全うした愛猫の死にすら耐えられないほど悲しいのに、戦禍に巻き込まれた人たちは、どれだけ心が引き裂かれる思いをしただろうか。戦地にいる人は、何を思っているのだろうか。

これを、乗り切ったら。
目の前の戦火が、消え去ったら。
そしたら、日常に戻れる。

そんなふうに、先にある「日常」を思いながら、今日を耐えている人もいるのだろうか。

2023年、旧ソ連圏のモルドバを旅行したとき、現地のタクシー運転手とウクライナ侵攻の話になった。ウクライナと国境を接するこの国で、戦線は遠くない。見たところ20代くらいの運転手は、生まれも育ちもモルドバだという。「情勢が変わったいま、この土地を離れる考えはないのか」とロシア語で尋ねると、彼はきっぱりと否定した。「兵役には行きたくないけど、呼ばれたら行くつもりでいる。だけど、それは国のためじゃなくて、両親を守るためだ」と、迷いなく放たれた言葉が印象的だった。後部座席に座る私から、運転席で話す彼の表情までは窺えなかった。旅のあいだに訪れたワイナリーでは、夜、遠くで閃光が見えたという。

マツーエフのピアノからは、勇猛なメロディが疾走していた。

ベートーヴェン「熱情」に移り、主旋律がさまざまな表情で響き渡る。第三楽章では、追い立てられるようなメロディに思わず逃げ出したくなるが、最後はリズムの激流から息継ぎの間もなく、叩きつけられるように終わる。闘争から脱出する猶予は、与えられない。

直に戦場を見たことのない私は、想像でしかない場面を頭に浮かべながら迷っていた。マツーエフの素晴らしい演奏へ送るこの拍手は、誰かを傷つけてはいないだろうか。私の両手は、何を称賛しようとしているのか。少なくとも、戦争や暴力に対してではない。けれど、この拍手が自分の意思に反した結果につながらないか、強い不安を覚えた。重たく沈んだ気持ちは、さらに深くなり、力を奪っていく。幕間になっても、私は席を立てなかった。

【第二部】
演奏プログラム
■ チャイコフスキー
 瞑想曲 ニ長調 作品72-5
■ プロコフィエフ
 ピアノソナタ第8番 変ロ長調 作品84

第二部の演目は、いずれもロシアの作曲家による作品だ。先ほどの激しい曲調とは対照的に、穏やかな瞑想曲から始まった。長調でありながら、どこか憂愁を帯びた旋律がゆっくりと時間を進めていく。チャイコフスキーの晩年に書かれた音楽を身にまとって、ふたたび記憶の中へ戻っていった。

そういえば、ウラジオストクで一緒に働いていたロシア人の同僚とも、ウクライナ侵攻についての話をしたんだった。彼の実家はウラジオストクから165km離れた郊外にあり、住民登録はそこに残しているという。海岸を散歩しながら、彼は話す。「母親が郵便局で働いているから、『自分宛の召集状が届いたら捨てておいてくれ』ってお願いしてあるんだ」「戦争は、いやだ。行きたくなんかない」。普段は冗談ばかり飛ばしていた同僚からこぼれたその言葉には、本音が詰まっていた。「ロシア」という国名だけで、そこに暮らす人々まで一括りに語るような言葉をたびたび目にした。その言葉が、どれだけ的外れなことか。話を聞いた当時、私はそう思った。

同僚の記憶からピアノの旋律へ意識が戻ったときには、すでにプログラム最後の曲が始まっていた。戦時下に書かれた経緯から、「戦争ソナタ」と呼ばれる三部作の最後の一曲だ。静かに始まり、激しく揺さぶられた後、深い暗闇へ潜っていく。そんなメロディの先には、不協和音と転調に翻弄される不安定さが待っていた。中盤で辿り着いた平穏は束の間に、最終楽章が動き出す。マツーエフの打鍵が、ふたたび圧倒的な重さを取り戻していく。終盤に向かって昂った勢いは衰えることなく、最後は畳みかけるように演奏が終わった。

90分にわたって巡らせた思考は、結局まとまらないままだった。鳴り止まない拍手の中で、いまだに私自身の拍手に自信を持てない。この両手が、何かの暴力に加担しているのではないか。そんな疑念を拭えずにいた。

【アンコール】

目を伏せたままでいると、鳴り続ける拍手に応えて、マツーエフが舞台に戻ってきた。演目があらかじめ決められている本公演とは違って、アンコールでは何が演奏されるのか、わからない。彼は客席へお辞儀をすると、何も言わず、鍵盤へ指を乗せた。

また重く暗い音色に気圧されるのではないか。そう身構えていた私の予想を裏切って、会場へ飛び込んできたのは、澄んだ音色だった。ロシアの作曲家・リャードフによる『音楽の玉手箱』。鍵盤の右半分のみを使って紡がれる旋律は、低音をほとんど持たない。本公演の重圧を、すべて舞台の外に置いてきたかのようなメロディだ。初めて耳にする曲だったが、光の結晶のように連なる和音に、愛猫が元気だったころの軽やかな足取りのイメージが重なった。

甘えん坊の茶トラ猫、マイケル。まだ幼かったころは、おぼつかない足取りで私の肩や腕に乗り、そのまま離れなかった。成長してからは、マイペースさが増した。それでも帰省すれば、膝の上で喉を鳴らす。お風呂にも一緒に入り、私の腕枕でいびきをかくほど熟睡していた。

私が失恋したり将来が不安になったりして、実家で一人泣く夜には、別室にいた彼が必ずそばに来た。里帰り出産中、深夜の前駆陣痛に耐えていた時だって、片時も離れず頬を寄せてくれた。何も言わなくても、マイケルが隣にいるだけで、気持ちが落ち着く。そんな夜が何度もあった。この17年間、彼の存在に救われていたことを思い出す。

気づけば、強張った肩の力が抜けていた。音楽に合わせて浮かんでくるマイケルとの記憶に、人目もはばからず涙が溢れてくる。2分にも満たない演奏で、ここまで揺さぶられていることに自分で戸惑った。きらきらとしたメロディに引き上げられるように、沈んでいた心が少しずつ浮かんでいく。

同じ旋律を繰り返しながら、やがて曲は終わりを迎える。テンポが落ち、ゆっくりと止まっていくその音は、まるでゼンマイがほどけて止まっていくオルゴールのようだ。マイケルもきっと同じように、静かに目を閉じて、息を引き取った。きらめく宝石のような音に包まれ、彼が天に昇っていく光景を思い浮かべた。

クレムリンで勲章を受け取ったマツーエフの手が、いま、この音色を奏でている。彼の指先にあるものは、武器ではなく、ピアノの鍵盤だ。だからといって、彼が何を望んでいるのかは、この音からはわからない。優しい音を奏でられるから戦争を望んでいないはずだ、とも言えない。それでも、私自身がマツーエフの音楽に心を動かされたことは、誰にも取り消せない事実だ。葛藤を抱えたまま、私の両手は心からの拍手を送っていた。

その後もマツーエフはアンコールを続け、さらに3曲を披露した。会場を満たす拍手の勢いは変わらない。けれど、私にとって拍手の意味だけは、少なからず変わっていた。答えが出たからではない。答えの出ないまま、拍手を送れるようになった、というだけだ。先に旅立ったマイケルが、私をここまで連れてきてくれた。このタイミングでなければ、きっとマツーエフの演奏を同じようには聴けなかった。

戦争がいつ終わるのかも、マツーエフがまた欧米の舞台に立つ日が来るのかも、わからない。それでも、私は芸術の世界で起きることを、これから先も見届けたい。もしも心細くなることがあったら、あの『音楽の玉手箱』を聴くんだろう。オルゴールのゼンマイを巻き直して、マイケルに会いに行くために。

デニス・マツーエフ ピアノ・リサイタル
2026年6月1日(月)〜6月5日(金)

文/ウサミ

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