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自分は加害者かもしれない、の恐れ【さとゆみの今日もコレカラ/第544回】

昨日のコレカラ(病むことと病まないことの差、1ミリくらいかもしれないこの世の中で)に関して、多くの人から感想や連絡をもらった(リンク置いておきます)。

自分も心を病みかけた経験がある、病んだ経験があるという感想がほとんどだった中、自分が誰かを病ませたかもしれないというコメントもちらほら見た。

そう、私がこの本(『強いビジネスパーソンを目指して鬱になった僕の弱さ考』)を読んで良かったと心から思ったのは、自分自身がこの先病む可能性を減らせるかもと思った以上に、自分がこの先誰かを追い込む可能性が減るかもと思ったからだ。

この本はビジネス書でもない。いや、ビジネス書だけれど、武器ではなく防具である。自分を守るための防具であり、武器を振り回して誰かを傷つけないための本だ。

かつて井上さんの側にいたかもしれない私は、今、井上さんを追い込む側の人間になっているかもしれない。そう気付かされる本だ。

背筋が寒くなったもうひとつの理由は、これによる。

「今日もコレカラ」 2025年4月26日より

30歳前後の私は、手をつけられないくらい性格が悪かった。仕事相手に対しては頼むから私の足を引っ張らないでくれと思っていたし、自分以外はだいたいバカと思っていた節もある(そんなお前が一番バカだと、今ならわかる)。

たまたま私は部下を持たなかったし、受注側の人間だったから大事に至らなかったけれど、これで部下がいたり発注側の人間だったりしたら、誰かをクラッシュしていたかもしれない。

「自分の言葉が人を追い込む可能性がある」でいうと、ライターゼミを始めてから、ものすごく自覚的になり慎重になった。

添削の赤字は、刃になりうる。その人の原稿を蹂躙していないか、細心の注意を払って書き込みをしているつもりだけれど、それでもやっぱり相手を傷つけたことはあるだろう。

自分が加害者になっていないか。

20代の頃は「生意気な若者め」で済んだ言葉も、年齢を重ねると角度もつくし圧もかかる。猫パンチのつもりが致命傷を負わせる可能性もある。

これが私がいま、一番怖いと思っていることだ。

『弱さ考』を読むことは、「自分を守る防具」を得ることでもあるし、「自分が持っている武器で人を傷つけない方法」を知ることでもあるなと思った。

私にとっては後者の学びが大きかったよ。

【この記事をおすすめ】

この数年、「好き」という言葉がとても苦手になった。というか、「好きってなんだ?」の迷路から抜けられない。

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