
「AIに書けない文章などない」からはじめてみる【さとゆみの今日もコレカラ/第552回】
「私はライターをしている」
「ライターに文章を教えることもしている」
そう話すと、LAと、シリコンバレーと、バークレーにいる間に4回「AIに書けない文章って何ですか?」と聞かれた。
その都度、まだインタビューは難しいですかねえとか、対談原稿には価値があると思いますとか、やっぱり動機のある文章はそれなりの力がありますなどとごにょごにょ答えてきたけれど、いま、みんなと別れてサンフランシスコ空港で一人パソコンを立ち上げた私は、いま、心底、思っている。
いや、もう、AIに書けない文章などない。
ごにょごにょ言っている時点で、私はもうわかっているのだ。
もう、AIに書けない文章などない。
たとえどこかに「人間らしさ」や「人間優位」の文章があったとしても、おそらくその差異は、読者の99%にとってどうでも良いと思える差異になっていくだろう。多分、この数年以内に。
ポジショントークをやめて、そこから話をスタートしなきゃいけないんじゃないか。
「もう、AIに書けない文章などない」から、話を始めてみるとする。
いやもうAIに書けない文章はほとんどないんだけれどさ、どうしようもなく書きたいから書いているんだよね。仕方ないよね。
という立ち位置からスタートするとどうなるだろう。
この論理は圧倒的に書き手(売り手)の勝手だ。だから買い手がいなくなったら商売としては成立しない。
買われる文章にするためにはどうする? の議論はいろんな人がしている。
じゃあ、文章が買われなくても成立させるにはどうすればいい? も考えてみたい。
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5年くらい前、コロナ禍で思った「ねえ、こんな時代にまだ新製品作る必要ある? 私たちの仕事、意味ある?」と似たような問いを、今、再び自分に向かって立てている。
全国の書店がクローズしたとき、それでも数合わせの書籍(拙著『本を出したい』参照)を発送しなくてはならないのだろうかと考えたのと似ている。
当時、いろんな人にこの疑問を投げかけたけれど、「いやでも、ほら、会社を存続させなきゃいけないから」「雇用を守らなきゃいけないから」以外の、明確な答えを聞いた記憶はなかった。
その感じに似ている。
真面目に、大真面目に、「AIに書けない文章などない」からはじめてみよう。そのほうがむしろ、文章の、ライターの、いろんな可能性に気づくのではないだろうか。
と、思ったのが、今回の旅の一番大きな収穫でした。


