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書けない&書かないことのほう【さとゆみの今日もコレカラ/第553回】

帰国しました。

大学時代の先輩たちに誘われてプライベート気分で行ったアメリカ、NY.とシリコンバレー、バークレー。蓋をあけてみると、先輩6人に加えて、その方々の同僚や仕事仲間のみなさまと会食→飲み会→ビジネスランチ→飲み会→会食……エンドレスの日々。お酒の強い方々ばかりだったので、多分、ビールとワインと日本酒合わせて70杯くらい飲んだような。

くだらない話もたくさんしたけれど、それぞれの分野の世界的第一人者の方達、海外で活躍する著者の方々に、ビジネスの先端の話、独特な人生観の話もたくさん聞いて、脳がぱつぱつになっている。

昨日の「AIに書けない文章などもうない、から始める」に加えて、今回強く思ったのは「本当に面白い話は世の中に公開されない」である。つまり、文章にはならないということである。

5泊7日で聞いたいろんな話は、衝撃的なことも多かった。そうか、世の中ってそんなふうにできているのかと驚くことも多かった。こんなふうに考えるといいのか、私は真逆に考えていたとびっくりすることも多かった。

よく、目から鱗が落ちるというけれど、目を開きすぎて、2回コンタクトレンズが落ちた。

こんな話、文章になったら面白いに決まっている。みんな知りたいことばかりだとわかっている。書籍の企画が何本も立つ。けれど、書けないし書かない。表に出ないことがわかっているからこそのリアルトークなのだ。

これは、ライターとしてもエッセイストとしても、非常に面白い経験である。この旅行中に聞いた話のうち、人生観が変わるほど面白かった話はすべて、本人も周りも書かない話なのである。

本にならないし、webで書かれたりしないし、ましてやSNSで書かれたりもしない(チャーミングな野村先輩は例外)。

歯痒いようだし、だけどこれを歯痒く思うのは、人として「書くこと」に毒されているような気もする。

書くって、何だ?

昨日に引き続き、書くことの限界と可能性についていろいろ考えているさとゆみでした。

書くことと生きることの兼ね合いについて考えているのかもしれない。

例外の野村先輩

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