シャープさんと山本隆博の間で紡いだ言葉。「スマホを置いて本を読んでほしい」
2023年9月15日に書籍『シャープさんのSNS漫画時評 スマホ片手に、しんどい夜に。』が発売された。「漫画投稿サービスコミチ」で連載されている漫画時評「シャープさんの寸評恐れ入ります」より選び抜かれたコラム20作品を1冊にまとめたものだ。
“もしあなたに、なんだか疲れてしんどい夜や、自分の表現に悩む夜があれば、そっとスマホを置いて、ページをめくってほしい”と前書きで綴った著者こそ、シャープ公式Twitter(現・X)運営者である「シャープさん」こと、山本隆博さん。企業公式アカウントでありながら発信されるゆるいツイートが人気を博しており、総フォロワー数は80万人を超える。
企業アカウントを運営する彼のもとには、生きることへのしんどさや孤独を感じている人たちの声が届くという。どうして企業アカウントに個人の心情が吐露されるのか。取材中「Twitterでは自分の言いたいことよりも、相手が言ってほしい言葉を書く」と語ったシャープさん。一方、初の著作は「シャープさんと山本隆博の中間くらいで書いた」という。彼が今、この時代を生きる人たちに向けて発信したい言葉とは。
聞き手/佐藤 友美(さとゆみ) 構成/のど花
本を読むことは孤独と離れる行為
――普段は140文字のTwitter(X)を主戦場にされているシャープさんですが、書籍を出版されるというのは、どんな感覚なのでしょう。
シャープさん:素直に嬉しかったです。会社と紆余曲折があり、自分の名前で世に出せるかどうかのせめぎ合いもありました。そこで2、3年かかっていますから、その関門をくぐり抜けて出版できたという喜びもあります。昔から本を読んできて、本に助けられてきた人生だったので、自分の作品がそこに仲間入りできたことが、すごく嬉しかった。
――初めて出版する著者さんだと初版部数は多くても1万部ほどだと思います。何十万もの“いいね”がつくTwitterに比べると微々たるものに感じませんか? 紙の書籍という形で世に出すことに対して何か特別な思い入れがあったのでしょうか。
シャープさん:まず、本には質感があります。重さもあるし、質量がある。そして、スマートフォンを強制的に置いてもらうことができる。ディスプレイを通さず読んでもらうには紙の本にするしかないですよね。僕はみんなに「スマホを置いて読んでほしい」と伝えました。この本が、自分と対話をする最初の一歩になったらと思ったんです。
たしかにTwitterのインプレッション数は毎月1億ほどになります。でも、それはあくまでインターネットの中の世界でしかない。どこまでネットの外にはみ出せていけるのかが難しい。じゃあ、どうすればいいのか。僕はその方法のひとつに本があると思っています。
――紙の本にすることでネットの外に出られる。
シャープさん:そう。多分、図書館などにも置かれるようになりますよね。そうやってはみ出せることが、とても嬉しい。
――どんな感想が届いていますか。
シャープさん:ツイートを見ていると、「タイトル通りですね」と言ってくれる人が多くて。やはり、常にスマホと生きていく毎日を、しんどいと感じている人が多いんだなと。
――スマホを見ることでしんどく感じるのはどうしてなのでしょう。
シャープさん:みんながスマホで何を見ているかというと、やっぱりSNSですよね。少し乱暴な言い方をすると、SNSで友達が楽しそうにしている姿を見るわけでしょう? 誰かがどこかへ行った写真、誰かが食べたラーメン、あるいは “僕のいない”バーベキュー。
それ自体はいいことだと思うのですが、でも、時々「私がそこにいない」ということがボディブローとして効いてくる。友達のことを見ているのに、そこに自分が不在だと確認しているわけです。それが孤独やしんどさを加速させている気がするのです。
元々インターネットってひとりで見るものですよね。それはパソコンでもスマホでも同じ。スマホの画面を2、3人で見るということは多分ありえないから、ひとりで世界と対峙せざるを得ない。そう考えると、世界との対峙の方法が「1対世界」と固定されてしまったのかなと。
僕はそのネット世界で仕事をしているからかもしれないですが、Twitterは “孤独のリアリティ”の波打ち際のように思えます。僕はいわば、そこに漂流したお地蔵さんみたいなものです。ざざー、ざざーっと波が打ち寄せるように「さびしい、さびしい」という声を毎日浴びている。
――スマホを置いて本を読むことは、その孤独さを解消する?
シャープさん:ひとつは、知人の動向を見なくなりますよね。スマホを置いたら、残っているのは多分自分だけ。本当は自分と対話できればよいと思うんですが、自分との対話は訓練が必要です。おそらく、そのきっかけを担ってきたものが小説だと僕は思っているんです。「どうしてこんなことを書いているんだろう」と、考える機会は、自分との対話につながります。だからスマホを置いて、本を読むといいと思う。
社会って過酷ですよね。会社も。本を読むことでその過酷さを1回隔絶できる。「タイトル通りだった」という感想が嬉しいのは、少しの間、その孤独から離れられたのかもしれないと思うからです。
――以前対談させていただいた時にも思ったのですが、私はシャープさんをとても繊細な人だと思っています。これは悪口ではなく、本当にナイーブだし、人が鈍感力でスルーできることができない方。そんなシャープさんのそばに集まってきた読者さんなので、とても柔らかい感性の持ち主なのだと感じます。
シャープさん:僕、しんどがりですよね。
――だからこそ、フォロワーさんの心情を慮った行動ができるのだと思います。先日お会いした時に、企業公式アカウントの中の人たちとTwitter上で交流することをやめたと聞きました。内輪話のようなやりとりをすることが、フォロワーさんを置き去りにしていると思ったから、と。その話を聞いたときも、シャープさんはそこまで細やかにフォロワーさんの気持ちを考えるんだと驚いたんです。
シャープさん:とくにツイートでは、自分が言いたいことよりも、相手が言ってほしい言葉を優先して書くようにしているんです。ツイートひとつに、たくさんのリアクションをもらいます。それは、指摘であったり共感であったり様々です。その声を受け止めて次のツイートに繋げる。だから、フォロワーさんを想定して、内容を考えることが多くなります。
少なくとも、僕のフォロワーさんに「しんどい」、「優しい言葉に触れたい」と、心の奥底で感じている人がいるだろうと。その人たちが言ってほしいと思う言葉を発したいです。
一方でSNSにおける表現の限界も感じます。SNSにおける他者って、ある一面だけを見せられますよね。でも、その人もSNSに投稿しているような側面で生きているわけではない。多面性があってこその人間だし、多面性があるからこそしんどかったりするんですけれど。SNSがその多面性を表現することは多分不可能だと思うのです。そのような多面性を伝えることができるのは、おそらくもっと時間をかけさせる表現手段なのかなと。小説とか、映画とか、マンガとか。
――「時間をかけさせる」ことが、むしろ良いわけですね。書籍のあとがきに “伝える・伝わるが困難な時代に、マンガという表現手段は最後の希望では”と書かれていました。
シャープさん:今の時代は、みんな時間がないからと、どんどん直線的な発信になります。動画もどんどん短くなっている。でも、マンガは違います。マンガの素晴らしさは読み手にわざわざ迂回させるところだと思います。その「わざわざ」を、僕は尊敬しているんです。
――迂回とは?
シャープさん:もしもその人に何か言いたいことがあるなら、それをそのまま言えば済む話です。例えば「人は殺してはいけない」なら、1行で終わります。でも、そうじゃなくて。ずっと迂回して、もう気が遠くなるぐらい迂回した後に、ようやく「人を殺してはいけない」が伝わる表現方法です。
でも、僕は絵が描けない。そして、できるならマンガ以上に迂回したい気持ちもある。だから僕が何か表現をするなら文章がいいなと考えています。
――シャープさんの文章は、言葉ひとつにもこだわりを持って書かれていると感じました。例えば、書籍では「企業と世間を漸近(ぜんきん)させたかった」という表現が出てきます。漸近って、最近あまり聞かないなあと思って。意識して使ったり避けたりする表現はありますか。
シャープさん:読む人を小馬鹿にしない言葉選びを心がけています。広告の仕事をしている時には、子どもが読んでも分かるような言葉を使うなど、平易な表現にすることを求められたこともありました。けれど、分かりやすい言葉を選ぶという作り手の姿勢は、受け手を小馬鹿にしていると思うんです。
たとえば、僕は“(笑)”を1度も使ったことがない。あと“草”も。使えたら楽ですよね。文字数も少なくて済みます。でも、「ここは笑うところですよ」とこちらが読み手に補助線を引くような姿勢でいたくないんです。広告も文章も、作り手の態度は必ず受け手に伝わりますから。
エッセイに必要なものは、2つの発見
――もう少し、書籍について聞かせてください。漫画時評の連載は今も続いていますが、どのように今回の20作品を選んだのですか。
シャープさん:220本を超えるコラムからどれを選ぶか決めかねて、掲載時にTwitterで反響の大きかった作品を選ぶことにしました。
これだけ連載を続けられているのは、マンガの書評だったからだと思っています。普通のエッセイだとしたら、自分の生活に依存しないと書けない。けれども、今回の場合はマンガから書くきっかけを与えてもらえた。
これは、実は誰しも経験のあることだと思います。友達の話を聞いたことを機に、自分の記憶や心象風景が引き出されることもあるでしょうし、本を読んだとか、ツイートを見たとか。案外、自分の考えていたことや感じていたことがスルスルと出てくるときのトリガーって、自分以外のものが多いと思うんです。
今回、「自分の文章+マンガ+再び自分の文章」という構造をつくれたことが、連載を続けられた理由だと思っています。マンガをトリガーにできていなければ、もっともっと難しかったはずです。
――以前、私の書籍の出版イベントに来てくださった時、「エッセイを書くには2つの発見が必要だ」という話で盛り上がりましたよね。
シャープさん:書きながら気づいた発見と、書くことで分かる発見ですね。喩えるなら、誰かに話すときに近いです。人に何かを話すとき、「これが言いたい」と思って話している人は少ないと僕は思うんです。話した後に、「あ、僕はこういうことが言いたかったんだ」と気づく。自分という存在は事後的に気づくものの集積やと思っているんです。僕はそれも文章も一緒だと思って。
――というと?
シャープさん:書き始めるときに「きっとゴールはここだろう」という予感のようなものがあります。それは、はっきりと形として分かっているわけではない。でも、書けるという自分に対する信頼があります。だから、書き進めてみる。
そして、中盤ぐらいで、やっとゴールが像になって見えてくるんです。「あ、僕はこういうことが言いたかったんだ」と。これが1つめの発見。そうかそうかと思うのだけれど、さらに良い流れの時は、終盤に入る頃に「なぜ自分がそう考えていたのか」という自分の背景にも気づくことです。
だから、僕が「これが言いたかった」と思っていたことと、僕がなぜそう思うようになったかという要因、2回発見する。2回発見して書きあがった時は、本当に心から書けたという感じがするんです。
――なるほど。私の“2回”とは、意味が違った。私の場合は書く前に既に1つめの発見があるんです。というか、何か1つ発見をしたから、書き始める。
シャープさん:1つめの発見とは具体的にどんなことですか。
――例えば、あるマンガをこう読むことが面白いとか、このマンガのテーマは自分の経験でいうとこのエピソードに近いなど、作品との接点ですね。それが1つめの発見。それを基に書きながら思考を進めて、改めて何か別の視点を発見したら2つめの発見です。
シャープさん:書いている間に、最初に考えていたことが違ったと感じる発見もありますよね。その瞬間の発見は、まるで書いている自分を俯瞰して見ているような、他者を見ているような感覚じゃないですか。
――メタ認知をしているような?
シャープさん:そうです。自分の中に第三者のような視点があって。そのときの発見が、自分が社会と接点を持つことなのだと思っています。だから、自分の発見の後にもう1つ発見があるとよく書けたなと感じるんです。その2度目の発見がないと、人に読んでもらう文章としての基準を満たしていないのではという気持ちもある。
――わかります、とても。自分の話と世界の間に共通項を見出せるかどうかですよね。
シャープさん:発見がなく直線的にスッと終わる話も良いとは思うんです。でも、自分で自分のハードルを上げてしまいますが、それは人に読ませる文章としては、何か足りていない気がする。この連載も、人からよく読まれた原稿は、発見がしっかりできたものであることが多いので。
会社と外のちょうど真ん中。でも外側を気にかけたい
――そもそもシャープさんはどうしてTwitterの担当者になられたのですか。
シャープさん:企業がアカウントを作ることが流行っていたからですね。東日本大震災の後、Twitterがインフラとして機能すると注目されました。企業もオウンドメディアや自分のホームページ以外にアカウントを持たなければという風潮になり、自社でも取り組もうという話になったんです。
社外の人に頼むほど予算の確保もしていなかったので社内の誰かが担う流れになりました。そこで「ちょっとやってほしい」という話が会社から僕のところにきたんです。「しめた!」と思ったんですけど。
――というのは?
シャープさん:チャンスだと思って。「やりますけど、ハンコ無しでやりますよ」というのを条件に引き受けました。合法的にハンコ無しで外に発信ができることを確信犯的に約束しましたから。
――「ハンコ無し」でというのは?
シャープさん:もともと僕はシャープの宣伝広告を作る仕事をしていました。広告代理店からプレゼンを受け、採用された案を社内外と折衝して作り上げていく仕事です。
宣伝広告案は、最終的に広告となって世に出るまでの間に、社内で20個、30個とハンコをもらって制作されます。そのハンコを集めていたのが僕でした。ハンコをもらう過程でダメ出しが出れば修正を行います。それを何度も何度も経ていくと、元の広告案とはかけ離れたものが出来上がるのです。
ダメ出しの中には「嫁が『何これ』と言ったから」など、会社の都合でもない、くだらないと思うものもありました。コピーライターの方が身を削って作った言葉をザクザクと刈るような仕事を何年も続けることに、僕は耐えられなくなったのです。
――Twitterであれば、ハンコをもらわずに発信できる、と。具体的にはどんなことから始めていったのですか。
シャープさん:企業には日々の発信が様々あります。ニュースリリースや「PR TIMES」に配信する文章などですね。あの文面を全部リライトして、主語を“私は”と変えるんです。そしてツイートする。企業が発信する文章によく見られる「我々」や「我が社」が消えて、全部主語が小さくなります。
広告を作っていたころから、大きな声で呼んで振り向いてもらおうとする企業の声の大きさに、僕は違和感がありました。だから、小さくつぶやいていくことを半年ぐらい続けたのです。すると、だんだんとTwitter上で話しかけられる機会が増えていきました。嬉しい驚きだったのは、買い物や商品の相談、報告だけでなく雑談や愚痴、悩み相談などが届くようになったことです。企業とお客さんの距離を近づけたかった僕にとって、思いがけない変化でした。
“私”を主語にして、お客さんに会社と製品について話しているうちに、僕は会社と外の真ん中に位置するような存在になっていったのだと思います。
――発信の影響力が大きくなると、「その言い方はいかがなものか」と疑問を呈する声もあったのでは。
シャープさん:世間の反応は気にはならないと言えば噓になりますね。半分くらい気にします。なぜなら僕は仕事として発信をしているから。自分の言葉として発信しつつも、企業アカウントなので良い意味でも悪い意味でも、会社の言葉として解釈されやすいです。反対に、社内の反応に関してはなんとも思いませんでした。
――それはなぜでしょうか。シャープさんは社内の人に対しては厳しい言葉を使われますよね。
シャープさん:会社は、時に“組織の論理”を守るために行動をすることがあると思います。僕はその姿を見てきました。会社を全面的に信用できない気持ちもあります。それに、広告の仕事にしてもアカウント運用にしても、僕の仕事は社内だけで完結するものではありません。だから、社内と社外のどちらを重視すべきか考えるなら、僕は外の方を大事にするべきだと思っているんです。
特に、大事なのはお客さんですよね。お客さんのことを優先して考えたい。僕が身内に厳しい根本の理由は優先順位があるからだと思います。会社で働いている一人ひとりのことが嫌いだからなどでは、決してありません。また、僕は会社から完全に離れてはいない立ち位置ですから、“組織の論理”と“世間の論理”の板挟みになることもあります。そのときは、世間側に立っていなければと心がけています。
――外に向けて発信するうえで、気をつけていることはありますか。
シャープさん:自分が好きなことは言いますが、嫌いなものは一切言わないようにしています。僕が嫌いだとしても、それを好きな人が必ずいます。誰かを傷つける可能性があることは発言したくないですし、仮に傷つける可能性が少しでもある言葉は選ばないようにしています。
――「これは、やってしまった!」と反省したことは。
シャープさん:あまりないですね。常に下書きを作ってから、ツイートをしているからだと思います。僕はTwitterに直接書き込みはしないんです。別の場所に書いて、確認してからコピーしてつぶやくようにしています。Twitterはハンコ無しで発信していますが、「自分を疑うこと」だけが唯一使うハンコのようになっていますね。先ほどお話した“読み手を小馬鹿にしていないか”や“誰かを傷つけはしないか”など、自分のハンコチェックを終えてからツイートする。それが大きな失敗無く発信ができている理由になっているように思います。
――シャープさんのツイートは全て、シャープさんによってハンコが押されたものなのですね。アカウントの運用において難しさを感じたことなどはありますか。
シャープさん:Twitterの担当になって5年ぐらい経った頃でしょうか。お客さんからのリアクションは増えているし、このコミュニケーションが会社の価値向上にもつながっているような手応えもありました。でも、それが会社からは「それはなんやねん」と言われるわけです。
お客さんの役に立ったであろうというエピソードはどんどん貯まります。でも、それを広告価値として説明できるだけの根拠が僕に無かった。そんな時に、さとなおさん(佐藤尚之さん)の「ファンベース」という考え方を知ったことが大きな転機となりました。さとなおさんが主宰するラボに参加することで、自分が日々行っているコミュニケーションが「ファンベース」という概念で説明できることが分かりました。
フォロワーのお客さんたちを大事にすることで、結果的に企業や商品に興味を持ってもらう。僕がやっていることは、何ひとつねじ曲げる必要がないんだと思えました。さとなおさんのラボに参加していなければ、僕は会社に論理的な説明ができなくて、何かを諦めざるを得なかったかもしれない。
――一方的な広告を発信するのではなく、企業が一人ひとりの生活者とやりとりをしていくやり方は、これからより重要になりそうですね。
シャープさん:先ほど、伝えたいことがあるときほど「迂回する」という話をしましたが、仮にこれが広告だとしたら「発売した、だから買ってほしい」を、どうやって迂回してもらうかを考えていく必要があると感じています。
広告の作り手も、本質的には迂回させようとしているんです。だから企業ではなくタレントに「いい商品ですね」と言わせる。でも、その手法はもう受け手にバレバレです。契約タレントさんがいい商品だと言っていても、今ではもう全然迂回になっていないですよね。これからは迂回の距離をもっと遠くに取らなければいけない。
どのように迂回すれば、「よし買おう」という思いに至ってもらえるか。僕はそういう思考錯誤に手を染めたいのだと思います。
「シャープさん」の言葉から、山本隆博の言葉へ
――シャープさんは60歳くらいになった時、どこにいるのでしょう。
シャープさん:そうですね……。60歳ぐらいの時に“しんどい”の波打ち際にいるのはきついなあ。もうちょっと丘に上がっていたいです。
――「世の中、しんどいよね」と表現していない発信者だからといって、鈍感なわけではないと私は思うんですよね。しんどい人たちを救う言葉は、ひょっとしたら共感だけではないかもしれない。
シャープさん:あああ、それは、たしかにそうだ。「しんどいよね」と寄り添ってくれる存在も大事だけれど、ずっと「しんどいよね」だけだと、這い上がれないかもしれない。
――企業広告やTwitterの中の人を離れて、もう少し長い文章や大きい物語を書いてみたいという気持ちはありますか。
シャープさん:憧れはあります。でも、やっぱり僕は歪な鍛錬の仕方をしてきているんです。広告制作のコピーライターのクライアント側の下っ端からキャリアが始まり、自分で原稿を書くわけでもなかった。その結果、「世間が言ってほしい言葉は何か」を考えることに長けてしまった。
――シャープさんの歩んだ経歴が、シャープさん自身の言葉で書くことを難しくさせてしまった。ですが、企業公式アカウントにも関わらず多くの人がフォローしているのは、シャープさんの考えていることやその言葉が好きだからなのだと思います。
シャープさん:フォロワーさんと関係を築けたのは、“行儀の良い僕”として発信してきたからだと思います。普段のツイートはギリギリ社員の位置で、その中でも“行儀の良い僕”の部分で行っています。しかし、文章量が増えていくとその位置を保つことが難しい。
――今回の書籍は、シャープさんではなく、山本隆博さん自身の言葉もにじみ出ていった?
シャープさん:連載を書き続けていくうちに、自分の言葉で、書いているという感覚が生まれてきました。でも一方で、山本隆博という人間が割と空疎だという感覚もある。それは、僕の内部に心象風景があまりないからだと思います。
先ほど、連載を続けられたのはマンガから書くきっかけをもらっていたからだとお話しました。僕の仕事はインターネットの中で完結することも多いです。そのため、部屋の中でパソコンと向き合って過ごす時間も多い。もちろん、その間にも心象風景はありますが、それだけでは文章を書き出すきっかけが生まれないのです。
ここまで来たならもっと書きたいという欲望はあります。100%自分の言葉で伝えることの可能性も考えます。が、自分の物語を書くときには、何かリハビリのようなものが必要かなと思います。例えるなら、左腕だけ筋肉が発達した人みたいな感じですかね。今は、左腕だけが筋骨隆々になっている。左を痩せさせるか、右を鍛えさせるか。それができたら、書けるようになるんでしょうかね。(了)
山本隆博(やまもと・たかひろ)さん
シャープマーケティングジャパン株式会社。シャープTwitter(X)公式アカウントの“中の人”、通称シャープさん(@SHARP_JP)。テレビCMなどマス広告を担当後、流れ流れてSNSへ。フォロワー数は83万を超えTwitter(X)内の企業公式アカウントの中でも絶大な人気を誇る。ときにゆるいと称されるツイートで、企業コミュニケーションと広告の新しいあり方を模索。2018年東京コピーライターズクラブ新人賞、2021ACCブロンズ。2019年には『フォーブスジャパン』によるトップインフルエンサー50人に選ばれたことも。
『シャープさんのSNS漫画時評 スマホ片手に、しんどい夜に。』
【この記事もおすすめ】