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あれ? 意外とライティング力?【今日もコレカラ/第598回】

Chat GPTに月額3万円払っている。
数ヶ月使い倒してわかってきたことは、使い始めた時と真逆のことだ。

まだ思考途中なのだけれど、いったん吐き出してみる。

いろいろ使った挙句、いったんPro4に絞った時は、
あ、これ、ライターいらなくなるなと思った。
これだけナチュラルな日本語が論理破綻なく書けるなら、ライターはいらなくなると思った。
「わかりやすい文章を書く」的なところは、全部AIに任せちゃえばいいのではないかと思った。
逆に言うと、原稿は下手でも、企画力があるとか、質問力があるライターであれば、生き残っていけるのではないかと思った。
もしくは、ライターではなく作家であれば、書き手として生き残るのではないかと思っていた。

今は、ちょっと逆のことを考えている。逆でもないか。ねじれの位置にあることを考えている。
どちらかというと、一周回って「AI時代には、ライティング力、めちゃくちゃ大事では?」と思うようになってきたのだ。

AIが吐き出してきた文章に、何か引っ掛かりを覚えるときがある。ほんのりとした違和感だ。
チェックしてみると、やっぱりファクトが違う。
論理がずれている。因果が逆になっている。ソースが甘い……etc.

私が尊敬する超絶敏腕編集者さんに、ここ数年で「『ファクトチェッカー』という仕事が定着すると思う。校閲とはまた別の、相当高度なスキルになると思う。さとゆみさん、ファクトチェッカーを育ててくれない?」と言われた。
それはだいぶ前のことで、その時は、ピンとこなかった。「ファクトをチェックするのはそれこそAIでいいんじゃない?」と思ったからだ。だけど、今になって「ああ、そういうことか」とわかるようになってきた。これは確かに、だいぶ高度な技術だ。

9割の本当の中に、1割の嘘が混ざるのだ。それも、非常にもっともらしく混ざる。
それに気づくのに必要なのは、実は「知識」とか「常識」とかではなくて、ライティング力のような気がしている。
うまくいえないのだけれど、吐き出された数字や文章や論理を見て、ここ、なんか変、のセンサーが働くのって、ライティング力と直結している気がするのだ。いや、編集力かな。編集力かもしれない。編集力だな。
私の知り合いの編集者さんには「原稿の誤字は光って見えるから必ず気づく」とか「論理がおかしいところは浮き上がって見える」とか「点滅して見える」と言う人が少なからずいる。

しかも、原稿を書くことに対して(ライティング力や)編集力が必要なのではなく、AIをクリエイティブに使いこなすこと全般に、だいぶ高度な(ライティング力や)編集力が必要だと感じる。

いったん、ここまで。
どうしてそれが(「ライティング力」や)「編集力」だと思うのかという話は、もう少し煮詰まってから書きたい。

※「今日もコレカラ」は朝7時に更新です。バックナンバーが読めるようになりました。

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