
読みやすい本、わかりやすい本。それで?【今日もコレカラ/第853回】
私は書籍ライターだから、そこで書く文章はできるだけ読みやすくありたいと思うし、わかりやすくありたいと思う。
だけど、書籍の価値は「読みやすさ」にあるわけではない。
当たり前だけれど、内容がなければ、どんなに読みやすくても、その書籍に価値はない。
わかりやすくてスラスラ読める本は、もちろん「文章が読みやすい」からという場合もある。
けれども、往々にして「知っていることしか書かれていなかった」から読みやすいということもある。
注意しなくてはいけないのは、「この本、読みにくい」と思ったときの理由が
・文章が悪文だから
ではなく
・内容が自分にとって難解だから(基礎知識がないから)
の場合があるということだ。
こんな経験をしたことがある。
初読のときに、
「うっわーーー。読みにくい。難しい」
と思った本を、私の知り合いのほとんどが、「久しぶりに好みの文体だった。読みやすい論理的な日本語だった」とか、「内容が斬新で最高に面白かった」「この角度からの作家評があったのか」などと評したのだ。
びっくらたまげた。
そうか、これが読めないのは、作者の日本語や主張が稚拙なのではなく、私に読む体力が備わっていないからなのかと反省した。
その後、2回、3回と読み、関連書籍も読み、どんどん理解できる部分がふえてきた。
まだ全部を理解できるわけではないけれど、「なぜこの文章を読みにくいと思ったのだろうか」と不思議になるくらいだった。
読みやすい本は、良い。
でも、読みやすい本ばかり読んでいたら、自分の理解の範囲は広がらない。
いま、NHKカルチャーさんの青山教室と梅田教室で、「書くことについて書かれた本を読む」読書会をしている。
そこでみんなと話をしていて気づいたこと。
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