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父が愛した醍醐の桜【今日もコレカラ/第879回】

醍醐寺の桜を見に行った。
亡くなった父が大好きだった醍醐深雪桜を、母と一緒にみようと思ったのだ。

ここにくるのは、記憶がはっきりしているだけでも、4度目。
2回目は12年前だろうか。
桜の前で、ベビーカーに乗っていた息子を抱き上げ、一緒に写真を撮った父のことを覚えている。

昨夜、母と一緒に向かったときも、「ああ、この木よね」と、すぐにわかった。

金堂がある伽藍のほうはライトアップのおかげで人がいっぱいだったけれど、
霊宝館のあるほうは、ぐっと人が減り、ゆっくりと周ることができた。

霊宝館の中には、信長、秀吉、家康が書いた書が国宝として展示されている。
文字を見ると、ほんとうに生きていたんだなあと感じるから不思議だ。
信長のサインは「信」の字を「イ言」のように横長に書き、その間に「長」という文字を入れている。芸能人のサインみたいでオシャレである。

秀吉は700本の桜を醍醐寺に植樹させた。「醍醐の花見」として催された宴で、みなが披露した和歌も「醍醐花見短冊帖」として残っている。

秀吉をはじめとして、北政所(ねね)、淀殿(茶々)、秀頼、諸大名の和歌が131首も詠まれている。
ねねも茶々も、一緒にいたのだなあと思う。こういうときってどんな気持ちなのだろう。
一番多いのは女房の和歌。そうかこういう場所でおつとめするには、文学の素養も必要であったのだなと思わされる。

ひとつひとつ見ていくと、桜を雪に見立てた歌が多い。
醍醐寺の山号である「深雪山(みゆきやま)」に掛けて、「雪」や「御幸(みゆき=お出まし)」を詠み込んだ歌が多数を占める。

ライターとしては、いや、まず、みんなが詠みそうな話題は避けるところがスタート地点だろうなどと思ってしまうのだが、「みゆき」だらけの歌の差分を味わうのも楽しい。

栄華を極めた醍醐の花見の半年後、秀吉は亡くなる。
没後400年以上の月日を経て、同じ場所で桜を見ている私たちよ。
私たちも、もうすぐ亡くなる。

醍醐深雪桜も太閤しだれ桜も樹齢は180年ほどになるという。
桜のほうが長生きだね。

※「今日もコレカラ」は朝7時に更新です。バックナンバーが読めるようになりました。

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