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ファンキーな介護施設に迷い込んで体感できる「自分らしい最期」。舞台『脳天ハイマー』

今から数十年後を想像してみよう。年老いた「あなた」は認知症になり、介護施設に入っているとする。ごく一般的な介護施設だ。最期はここで迎えるのだろう。

あなたは子どものころからずっとおしゃれが大好きなのだが、この施設の入居者は全員同じ白いTシャツを着なければならない。髪型もみんな同じにしなければならない。学校のように時間割が決められていて、好きな食べ物もお酒ももちろん禁止。施設が決めた映画の時間や運動の時間など色々あるけれど、だいたいの時間、目の前にはいくら眺めても変わらない間仕切りのカーテンが見える。正直寂しい。

でも、わがままは言っていられない。超超超高齢化社会。大きな病気や事故もなくここまで生きることができて、施設に入れただけでもラッキーなんだから。

しかし、ある日、お見舞いに来てくれた知人にこう言われた。「ちょっと変わった介護施設があるんだけど移らない?」

今の施設は、医療体制もバツグンで安心安全。ここにいたら、1日でも長く生きられるかもしれない。でも、そのちょっと変わった施設は、入居者の「こうしたい!」を実現してくれるらしい。たいして「こうしたい!」もないけれど、もう先が長くないなら、ちょっと変わった施設の方が面白そうだ。冒険をしてみようかな。人生の最期に。そう思って、海の近くにあるその施設に入ることにした。

そこは“ちょっと変”どころではなかった。確かに老人が集団で生活する介護施設だ。でも、目の前に見えるのは、無機質なカーテンではなく、入居者の色とりどりの洗濯物。そのなかに、なぜか真っ赤な勝負下着が混じっている。同い年のおばあさんの私物だった。介護士は金髪だし、髪型は自由。夜、おばあちゃんの顔はパックされ、楽しそうに晩酌する人も。聞こえてくるのは、お見舞いに来た赤ちゃんの泣き声、おじいさんの歌声、介護士の雑談……と、とにかくうるさい!

先日、死にそうな人がいた。家族や介護士総出で大声で喋りかけ、伊勢海老を食べさせていた。なんでも、その死にそうな人が最後に食べたいと言っていたらしい。そうしたら、前より元気になって復活していた。

ここには時間割なんてないし、いつ何をやっても自由。そういえばこの前、フランスのルーヴル美術館に、めいっぱいのおしゃれをして車椅子で行っていたおじいさんがいた。ずっと夢だったらしい。おしゃれや旅行にずいぶん遠ざかっていた自分にも……できるかな……。

ここまで書いた話はフィクションだけれど、ちょっと変わった施設の話――勝負下着以降は概ね実話だ。鹿児島にある「いろ葉」という介護施設で起こった出来事で、その日常をストーリーにした舞台『脳天ハイマー』を観た。この施設にいたおばあちゃんが「アルツハイマー」を「脳天ハイマー」と呼んでいたため、劇のタイトルになったそうだ。

「いろ葉」で起こった日常が実話である一方、入居するお年寄りが全員同じ服を着て同じヘアースタイルにしなければならない施設も現実に多く存在する。介護施設「いろ葉」をつくった中迎聡子さん(金髪)は、介護施設で働き始めたとき、お年寄りがベルトコンベアーで運ばれるように食事の時間、お風呂の時間、寝る時間と、きっちり決められている日常にショックを受けたという。大人数での共同生活。病気が重い人もいるし、性格も人それぞれ。管理した方が安全で効率的に決まっている。でも、何かをしたいと思うタイミングも内容も人それぞれで、みんな違って当たり前だろう。

人生の最期はおまけのご褒美タイムだと思っていた中迎さん。お年寄り一人ひとりのこうしたいを実現できる場所を自分で作ることにした。「いろ葉」にいるお年寄りは、あれを食べたいこれがしたいとわがままを言っても人の悪口も言ってもよし。施設のスタッフも、「アルツハイマーの人はこういう人」と病気でその人を見るのではない。港町で生きてきた人なのか、どんな仕事をしてきたのかなど、その人の人生に沿った対応で歩幅を合わせて生活していく。

話は変わるが、私は高校生の進路に携わる仕事を18年ほどしてきた。そのなかで、一番大切だと思うのは、進路を「自分で選ぶ」ことだ。親や周囲の意向で進学先を決めると、進学後に何をしたいのかがわからなくなりつらくなる人が多い。人の意見も参考にしつつ、自分で考え抜いて選んでいれば、自分の責任。「親のせいだ」など、他責の感情も生まれない。「自分で選ぶ」や「自分で決める」のは面倒で辛いことも多いけれど、自分で自分の船の舵をきるほうが大変さ以上の面白さがきっと見えてくる。自分で決めた気概があれば、やり直しだって何度でもできる。最近では進路選択や介護現場に限らず、幼児のころから危ないからダメ・汚ないからダメと多くの制限をかけられている場面も多い。社会人でも、よほど注意をしないと会社や国などの大きな力がくだした決断に流される。この舞台を観て、選択という行為や自分の意思は、ぼんやりしていると全世代で失われる可能性があるかもしれない……とゾッとした。

介護に話を戻すと、オランダに、「ホグウェイ」という名の「認知症村」がある。レストランやバー、映画館などがあり、都会的な暮らしをしてきた人はアーバンスタイル、芸術が好きな人はアートが楽しめるなど、美しい戸建ての居住スペースを選ぶことができるという。認知症の人が自由を奪われず、生き方を変えずに過ごしている。「その人らしさ」を尊重する「いろ葉」と近い施設だと感じた。

諸外国では日本ほど延命治療をしないため、寝たきりの人が少ないと聞く。「いろ葉」も、お年寄りを寝かせない。どんどん起こしてどんどん歩かせる。延命治療はいったい誰のためなのか、苦しいけれど考えさせられる。

日本でも、人生の最期まで個人の決断や好みに寄り添う重要性が広がってきているようだが、人手不足や資金面、社会の理解など、実現するのは薔薇(いばら)の道だ。もちろん、管理が行き届いた施設で、毎日決まったことをするのが好きな人や、一人が好きな人も多くいるだろう。でも、もっと選択肢を持てるといい。「自分で選択できる」環境を作れるかどうかは現役世代の私たちにかかっている。

この舞台は、暗くなりがちな死や介護についてのテーマに、ユーモアの力も借りてしっかり向き合わせてくれる。「いろ葉」についてよく知らずに、ひょんなことから働くことになってしまった男性の視点から物語が進んでいくのもわかりやすい。再演のたびに満員御礼が出るという。

誰にでも必ず訪れる最期。私は向き合うことが辛くて少し遠ざけてしまいがちだ。そんなときは、この舞台に出てきた年寄りの年季の入ったギャグやロックな強さを思い出して勇気をもらおうと思う。そして、誰かに選択肢が奪われていないか、もっとたくさんの選択肢を作り出せるのではないかと、日々注意していきたいと思う。

/阿川 奈緒子

2025年10月3〜5日 札幌公演開催
2025年10月10日20:59まで オンライン配信チケット販売

▼舞台『脳天ハイマー』公式HPはこちら

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