NHK_PRさんと本当に同一人物? 疑いからの幸せな邂逅『ぼくらは嘘でつながっている。』(リレー連載4日目)
日々言葉と向き合っている書き手の4人が、浅生鴨氏の最新作『ぼくらは嘘でつながっている。』(ダイヤモンド社)を読みました。言葉を大切にしたい「書き手」だからこそ、この本を読んで、モヤったこと、疑問に思ったこと、発見したことを、4日連続でお届けします。(本日は4日目です)
「あなたは嘘つきですね!」と面と向かって言われたら、いい気持ちはしないだろう。が、それがマイナスの意味にならない世界線がここにあった。「僕は嘘のプロである」と宣言する著者が、「嘘」の全貌を解き明かし、「嘘」を許すまでを、ハラハラしながら読み進めた。これは本当に私が信頼する「あの人」が書いた本なのだろうか?
稀代の迷作になった原因は
2022年9月末、NHK朝ドラ『ちむどんどん』が最終回を迎えた。放送開始早々から、SNSで「#ちむどんどん反省会」というタグ付きの批判的なコメントが溢れ、その状況を煽るようなメディア記事も頻出。登場人物の言動に共感できない、突拍子のない展開の数々についていけない、という声が多数だった。平均視聴率も、2010年以降の25作品中、最低という結果に終わっている。
私は20年来のNHK朝ドラのウォッチャーである。2000年以降の作品はほぼ観ている。生活に染み付いている視聴習慣をこよなく愛し、好みの作品ではなくとも、最後まで観届けることを当たり前のように繰り返してきた。しかし、この『ちむどんどん』には苦戦を強いられた。なんとか完走できたのは、沖縄と沖縄料理が好きだから、なのと、ラストの締めには一縷の望みを抱いていたからだ。見事に砕け散ったが。
なぜ私は、多くの視聴者は、『ちむどんどん』を楽しめなかったのだろう。その答えが浅生鴨・著『ぼくらは嘘でつながっている』(以下、『ぼく嘘』)にあった。『ちむどんどん』は「嘘」をつくのが極端に下手な作品だったから、なのではないだろうか。
もと「NHK_PR」中の人1号
浅生鴨氏は元・NHK局員の作家、プランナー。本書のプロフィール欄によると、さまざまな業界を渡り歩いたのち、大きな事故で生死をさまよい、リハビリ期間を経てNHKに入局。「NHK_PR」中の人1号。元ラグビー選手で、油田を保有していた過去や、スパイ容疑でキューバで拘束された経験あり、ともある。「あ・そうかも」が口癖。文末の膨大な参考文献とあわせて、そこかしこに嘘が紛れていそうだ。
私は「NHK_PR」中の人1号のファンだった。60万人以上のフォロワーを誇るNHK公式のtwitterアカウントらしからぬ、ユルさとユーモア抜群のツイート。一方で、東日本大震災という非常時における迅速で的確なアナウンスが冴え渡り、最も信頼できる「中の人」だった。2012年に発売された『中の人などいない@NHK広報のツイートはなぜユルい?』(新潮社)という書籍も、当時予約して購入した。読みやすくわかりやすく、くすくす笑えて、ちょっと泣ける。twitterを介したユーザーコミュニケーションの手法について語りながら、市井の人に真摯に向き合う姿勢により好感度が上がる本だった。それだけに、「中の人」が1号から2号に変わると、しばらくして「NHK_PR」のフォローを解除してしまった。
そんな「信頼できる中の人」は、10年後には「嘘のプロ」へクラスチェンジしていた。みなさまのNHKの広報を務めていた人が、嘘つきへ。
もしもこの世に嘘がなければ
『ぼく嘘』は全く読みやすくない。「中の人」のユルいノリを想定して読みだすと辛くなる。
人間がつく「嘘」を重層的に分析し、「嘘は人類が獲得した生き延びるための能力」だと定義する。「嘘」という漢字が頭の中でゲシュタルト崩壊を起こしかけるが、「嘘との付き合い方が人生を決める」と言われれば、最後まで読まないわけにはいかない。第3章まではなかなかハードな読み応えだが、章ごとに挿入される「コラム 俺の嘘体験」が頭を緩めてくれる。実体験のように読めるノスタルジックなエピソードにも、もちろん嘘が紛れているのだろう。が、事実だろうが嘘だろうが、自分が「真実」だと思えばそれでいい。真実は人の数ほどあるし、人間関係とは嘘を共有することなのだ。ここまでの過程でそう繰り返し叩き込まれるから、フェイクなエピソードに抵抗はなくなっている。
第4章に挿話されている「小説・ぼくたちは本当のことしか言えなかった」もまた、象徴的で面白い仕掛けだ。「嘘が言えない」男女の会話は絶望的にすれ違い続け、嘘をつく必然性が炙り出されてくる。「いまいちあの人とはコミュニケーションが取りづらいな」と思うとき、やさしい嘘を混ぜるとスムーズにコトが進むことを教えてくれる。嘘は潤滑油なのだ。
浅生鴨氏が目指すもの
自分だけが知っている「本当のこと」を伝えるために、物語という嘘を紡ぐ作業をしている、と浅生鴨氏は書く。そして、伝えたい「本当のこと」を、「嘘を使ってより伝わりやすくする」のがフィクションだと。
先述の『ちむどんどん』が視聴者の心を動かさなかったのは、脚本家や演出家の伝えたいメッセージが間違っていたからではないだろう。夢を持って突き進むヒロインの生き方は清々しく、エネルギーに溢れていた。ご都合主義な展開はドラマならではの見せ方だし、15分の尺で緩急を付ける手法の一つだったのだろう。
ただ、その「フィクション=嘘のつき方」が乱暴で、下手だったのではないだろうか。沖縄出身のヒロイン暢子の半生は、上京する(一家の貧しい暮らしを楽にしたい)・と思ったけどしない(家族一緒に暮らしたい)・やっぱり上京する(料理人になりたい)・イタリアンレストランで修行する(人間的な成長はあまり見られない)・沖縄料理の店を開く(結婚出産もする)・数年で店を閉じて帰郷する(ちむどんどん=胸がわくわくするのはやっぱり沖縄!)、と目まぐるしかった。理解が追いつかない展開やセリフが繰り出されるたびに「う、嘘でしょー」と何度も呻き声を上げることになった。
その行動の裏にある心情に、もう少し言葉を尽くしてくれていたら。ドタバタな展開のオチを、わかりやすく腹落ちさせてくれていたら。潤滑油が足されてさえいれば、私たちはもっとフィクション(=嘘)の世界を楽しめたのだろう。
『ちむどんどん』にモヤモヤされ続けた半年間は返ってこないが、『ぼく嘘』のおかげでだいぶん浄化された。
「中の人」から小説家となり、嘘のプロを宣言するに至った浅生鴨氏。ときに理不尽でどうしようもない現実を、嘘の力で変えていくために小説を書き続ける、と結んでいる。私が好きだった「中の人」は変わっていなかった。ユニークな視点で人間の弱さやズルさ、優しさを肯定し、読者が生きやすい道をこれからも指南してくれるだろう。それが私には嬉しい。
文/佐々木 みちえ