『虎のたましい人魚の涙』が、立ち止まるべき大切な風景を見せてくれた
20代なかばで令和3年第165回芥川賞の候補になった、くどう れいんさんの最新エッセイ集。発売直後に重版がかかった話題作だ。
『虎のたましい人魚の涙』は、タイトルからして短歌の作り手らしいリズムが心地よい。ありふれた日常をこれでもかと掘り下げ、自らの心情を浮き上がらせる。等身大の視点は、となりの女の子の生活をのぞき込んでいるような錯覚すら感じてしまう。
ところで、わが家では朝は慌ただしいものと決まっている。
せわしない原因は、中学校1年生の娘と小学校4年生の息子。
毎朝、目覚まし時計で起きず私にたたき起こされ階段を降りてくると、テーブルには妻が作った焼きおにぎりが用意されている。
子どもたちはスマホやタブレットを手に、食べながら目を覚ます。朝の体温チェックは何度か計り直して、許容範囲に持っていく。このくらいは平熱だよな。出かける時間が来ると、私たちは大急ぎで身支度をして駆け出していく。
通学バスに乗せてしまえば、ひと安心。
家に帰って一息。落ち着いて仕事に取り掛かろうとしたら、学校から「風邪なので迎えに来てください」と連絡があることも。朝の体温チェックが甘かったか。いかんいかん、誰が基準なのだ。親の都合で無理して学校に行かせてはいけない。
毎朝こんなにドタバタしながらも、家族は精一杯生きていると感じる。
我が家の変わらない日常に、もし新しい家族が増えたらどうだろう。
この本では日常生活の中に、蠅という新しい家族が増える。いつのまにか作者とその母にとって、蠅は欠かせない家族になる。今日も元気かな、最近姿を見ないな。心配していたら服の後ろについてきていて安堵する瞬間。
「蠅(ハエ)を飼う」はそんな情景からはじまる。
しかし、新しい生活にも、別れはやってくる。
冬の気配がすぐそこまで近づいている11月。作中では、いつものように蠅を叩かずに共生し続ける食卓が描かれる。
こんなに蠅に愛情を注ぐ親子はいないだろう。
作者親子にとっては、夏にうっとうしいと感じられていた蠅も、冬の間近には愛おしくすら感じられているから不思議だ。
人間からウイルスまでが精一杯生きる現代。はやり病では小さなウイルスでも生存競争をしていることを思い知らされる。いまの地球の覇者は人間だけど、千年後はそうではないかもしれない。
そう思うと、人間であろうと蠅であろうと生きていることには変わりないのだ。
作中では、夕食をともにする蠅のいのちの儚さが描かれているが、亡くなっても一緒に過ごしたその存在はなくならない。
作者が蝿に対して感じたいのちの尊さは、私が90歳を越えた母や60歳でこの世からいなくなった父に対する想いと変わらないものだろう。冬を越せない蠅と風変わりな同居生活を過ごすことで、小さないのちに対する畏怖も感じたのではないか。
蠅は作者の生活に、確実に変化を与え作者親子の心をとらえたのだ。
作中では、蠅の好物を模索して、親子がはちみつを与えるシーンがある。
母と娘が最後の晩餐として蠅にふさわしいものを選ぶのだが、うっかり溺れてしまわない与え方をあれこれ考える姿はユーモラスだ。私の目には、人間にお膳立てされたそれを蠅が実際に食する様子が生き生きと浮かぶ。これって本当にあの蠅だよね。人間が普段から忌み嫌っているやつ。
作者も以前は前髪に止まる蠅を無意識に追い払おうとしていたのに、話の最後では髪から振り払うこともなく一緒に降りしきる雪をみるくらい、関係性が変化している。
エッセイや小説に夢中になって主人公になりきることはあるが、実際に主人公のとなりを歩いているような感覚はなかなか無い。登場人物に感情移入することはあっても、すぐ近くからその風景を眺めるバーチャル体験は珍しい。テレビカメラが被写体を追いかけて撮影するかのようだ。特別なイベントではなく、日常の営みを切り取っている本だからだろう。
それだけではない。私のように何かに追いかけられるように、せかせかした生活を送っている者を立ち止まらせてくれる、細かいことも捉えて書き残す感性へのあこがれ。
作者の本はデビュー作から読んでいる。どの作品も、決して絵空事ではない普段の暮らしを無駄のないことばでクリアに切り取っているのが魅力だ。作者の感じる悲しみや焦り、喜びや楽しみがシンプル故にかえって胸に迫ってくる。たとえ大きな感情の起伏がなくても大事に取っておきたい、忘れてはいけない感情だと思わせる。今回の作品の、どこにでもいる小さな蠅への感情移入に、違和感すら忘れて私も一緒に取り込まれてしまった。
「蠅を飼う」の最後で、作者はいまわの際の蠅に「雪」を見せる。
何百もある蠅の眼には、何が見えるだろう。
季節の移り変わりか、自らに残されたいのちか、はたまた……。
「冬の蠅」は、いのちの終わりに向かってけなげに生きていく様を表す季語。
冬の訪れとともに、同居してきた蠅との別れを暗示して作品は終わる。
文/二角 貴博