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輪郭のない“空気”を肌で感じた「印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵」

「私はどうしてモネの作品が気になるのだろう」

東京に雪が積もる前日。厳しい冬の日、ダウンコートにマフラーぐるぐる、手袋もしっかりはめて「印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵」に出かけた。私史上、数少ない美術館に出かけた記憶の一つが国立新美術館で2007年に開催された「モネ展」だった。美術に疎いのに、なぜかモネの絵には惹かれるようで、今回の展示にも行ってみることにしたのだ。

印象派の人たちは、描く対象物の輪郭や色ではなく、周りの光や空気感を捉えようとしたという。太陽は刻々と移ろい、時間と共に景色を変えていく。その時間と光の変化を表現することに取り組んだのが、印象派の絵画らしい。

目玉はモネの「睡蓮」。看板作品に皆が立ち止まる。私もしばらく立ち止まって、目を奪われていた。ただ、それ以上に惹かれて「ずっと見ていたい」と離れられなかったのは一枚の冬の絵。アメリカの画家、ジョゼフ・H・グリーンウッドが描いた「雪どけ」という作品だった。

一面真っ白の雪景色。白樺のような真っ直ぐ伸びる木々の間に、雪解け水が小川となり、緩やかなカーブを描く。

雪は音を吸収する。怖いくらいに。四方八方が白く、静かで、空気に触れた肌がちりちりと痛くなる世界。誰も踏み入れていないまっさらな一面の雪に囲まれると、日常から遠い場所にポツンと切り離された気持ちになる。過去に雪山で出会った感覚が目の前の絵から体に溢れてきた。

静止画であるのに、そこに私はいないのに、音や空気を感じるのが不思議でならない。凛とした空気が確かに感じられる。きっと絵の中に飛び込んだら、静まり返った世界にあるのは水の流れる音と自分の息遣いだけのはずだ。

「私はどうして印象派の作品が気になるのだろう」

展示を見ながらぼんやりと、でもずっと考えていた。その時に浮かんできたのが登山中の風景だった。

この数年、私は春になると友人を誘ってハイキングや登山に出かける。駅から徒歩数分の住まい。自転車も車も必要なく、自由に移動ができる。子供の頃から憧れた便利な暮らしの一方で、いつからか次第に自然を求めるようになった。

山の中で「ふう」と息をつくと、細胞に空気が行き渡る気がする。目線を空に向けると緑の隙間から光が降り注ぎ、下に目を移すとキラキラとした丸が地面に踊る。視覚で得られる景色も美しいが、それ以上に耳から得られる自然が好きだ。新緑の葉が揺れて森がサワサワと鳴る。一歩、一歩、ザクザクと土を踏みしめる。鳥のさえずりも水のせせらぎも美しい。

ただ、確かに自らが望んで山に向かっているのだが、おかしなことに山道に差し掛かった5分後くらいには毎度ひどく後悔をしている。息は上がるし、自分の体が重くて恨めしい。「どうして行きたいっていっちゃったかな」「何が楽しくてこんなに辛いことをしているんだろう」と頭の中で盛大にぼやきつつ、仕方がなく前に前に足を進める。

そうすると不思議なもので、歩を進めるうちに気分が晴れていく。空気を吸うのに必死で、程よく頭が空っぽになる。いつもと違う思考が生まれる。体がふっと軽くなり、目からも耳からも自然を堪能する。そして、足を運べば必ず頂上に辿り着くのも魅力だ。行く時は苦しくても、帰る時には程よい疲労感と達成感に満ち溢れている。人工物に囲まれてループする日常から離れた時間が自分のHPを回復させてくれる。

普段は何かを感じる暇もないほどに次から次へと刺激に晒されている。私は進化がある世界が好きだし、新しいものにワクワクする。どこにでもすぐにいける都会に住みたいし、快適なお家がよい。便利なものは積極的に使いたいし、スマホは昨年iPhoneの最新機種が出た瞬間に大枚をはたいて変えた。

便利さは捨てられない。でも、同時に自然の美しさに恋焦がれてもいる。人と自然が共存する場所では、時が穏やかに流れていて、自分の思考が整う。

印象派の人々は産業の目覚ましい発展に恩恵を受けつつも、牧歌的な景色に憧れたのだろうか。実際、この派閥の特徴である戸外制作はチューブ入りの絵の具が発明されなければ生まれていなかったと聞いた。発明なくして、自然の光や空気感の尊さを絵に閉じ込めることは難しかっただろう。

私は、絵の中からふと感じた、発展をありがたく享受しつつも自然に憧れる姿に自分を重ねていたと気づく。そして、印象派が描こうとしたカタチのない、でもその場にいれば五感で確かに捉えられるものに惹かれたのだと思う。

文/岡田 美佳子

「印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵」(https://worcester2024.jp/)
会期:2024年1月27日(土)~4月7日(日)
会場:東京都美術館 〒110-0007 東京都台東区上野公園8-36

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