その音はテレビか、ペットボトルから鳴る音か。文章のピントを合わせるために【連載・欲深くてすみません。/第9回】
元編集者、独立して丸7年のライターちえみが、書くたびに生まれる迷いや惑い、日々のライター仕事で直面している課題を取り上げ、しつこく考える連載。今日は、書く対象のことをボンヤリ曖昧にしか捉えられていない自分に悩んでいます。
カフェで仕事をしていると、ときどき、とんでもない会話が耳に入ってくる。ある日、二度見ならぬ二度聞きしたくなるようなやりとりを聞いた。
女1「実は最近、爬虫類を飼い始めてさ」
女2「へー。かわいい?」
――いま、なんて!??
思わず振り返って、声の主を探す。……いた。ねえねえ、そこのあなた。ここはまず、飼い始めた爬虫類とは具体的に何かを聞くものじゃない? トカゲか、ヘビか、ヤモリか、イグアナか。ひょっとしたらカメレオンかもしれないですよ。それすらわからないのに「かわいい?」って聞く??
と、問いたいのを堪えて、ひとりアイスコーヒーを飲み干す。人間は、それが一体何なのか、ボンヤリ実体のない状態でも会話をすることができる生き物なのだ。それはとても、すごいことだ。
すでに空になったグラスの中で、ストローを吸うときの音がズッズッと鳴る。目の前に置かれたパソコンはスリープ状態になっていて、暗い画面に自分の顔がうつる。
その自分に問われる。
ところで、あなた。今から書こうとしている“それ”が一体何なのか、本当に知っているの?
ボンヤリ実体のないものも書けてしまうのが人間なんですよ。
*
さほどわかっていなくても、書けてしまう。このことを実感した仕事がある。数年前、高校生に、数回にわけてインタビューをする企画があった。ある回の取材テーマは「高校受験を振り返る」。受験勉強で大変だったことや、葛藤したことを聞く。
男子高校生の一人が「入試本番が近づくにつれてストレスが溜まり、いろんなことに敏感になった」と話した。たとえば? と聞くと、「親がたてる音にいちいちイライラした」と言う。
なるほどね。私は、彼の話を理解した。理解した、と思った。高校生に取材していて、この手の話を聞くのは初めてではない。受験のストレスで、一緒に住んでいる親に矛先が向くことはよくある話だ。
「入試本番が近づくにつれてストレスが溜まり、親がたてる音にもいちいちイライラしてしまいました」
このように原稿を書いて提出した。編集者からも特に指摘は入らなかった。
公開後、読者から届いた感想にこんなものがあった。
「受験でイライラして、親がテレビを見る音も気になっちゃうの、わかります」
あれ? 「テレビを見る音」って書いたっけ? 記事を読み直したが「親がたてる音」としか書かれていない。読者が読みながら頭の中で想像し、変換したのだろう。
このときになって、はじめて私は「あの『親がたてる音』とは何だったのだろう」と疑問を持った。
数週間後、別のテーマの取材で彼に会ったとき、私はこのことについて聞いてみた。私の想像では、椅子を引く音や、扉を閉める音など、何気ない生活音なのではないかと思っていた。
ところが彼は、こう言った。
「自分の部屋で勉強しているとき、リビングで親がペットボトルの炭酸飲料を開けるときの『プシュッ』という音が聞こえた気がした。なに炭酸、飲んでんねん! とめちゃくちゃイライラした」
別の部屋にいながら、炭酸が抜けるときのプシュッという音が聞こえる。
ぞぞぞ、と鳥肌がたった。
そして、後悔した。
「入試本番が近づくにつれてストレスが溜まり、親がたてる音にもいちいちイライラしてしまいました」
この文章は、間違ってはいない。しかし、何も語っていない。彼の精神がどれほど追い詰められていたのか。無音の部屋で、学習机を前にして、もはや幻聴を疑いたくなるほどのわずかな音も聞き取ってしまうほどの苛立ちとはどんなものか。
わかっていなくても、それっぽいことは書けてしまうのだ。
この経験から、私は取材の課題だけではなく、書くことの課題を得た。すなわち、「入試本番が近づくにつれてストレスが溜まり、親がたてる音にもいちいちイライラしてしまいました」という文の程度で「書けた」と思っているから、その音が何なのかというところまで気が回らないのだと。
できればピンボケした写真のような文章を書きたくない。
どうすれば文章のピントは合うのだろう。
*
絶賛、模索中なので、良い方法があったら私に教えてほしいのだが、私が最近意識しているピントの合わせ方は、文章であっても「絵」で構成を考えることだ。
映像をつくる人たちは絵コンテなるものを用意する。多分それに近いイメージだと思う。
たとえば起業家のインタビューで、「独立後、一番つらかったのは、事業の失敗で1000万の負債を抱えたこと」という話を書きたいとする。この「事業の失敗で1000万の負債を抱えた」は説明の文章だ。
これを絵にするとどうなるか。
業務の合間、パソコンで毎月の売り上げ表を開きながらため息をつく起業家の姿かもしれない。会社の郵便受けをチェックし、赤い字で「督促状」と書かれた封筒を回収しているかもしれない。
このように、絵によって、だいぶ受け取る側の印象が変わる。説明ではなく絵で表現できるほどの文章を書こうとすると、おのずと必要な情報の質は変わってくる。情報の集め方、つまり取材の仕方も変わるはずだ。
カフェにいた彼女が飼い始めたのはトカゲか、ヘビか、ヤモリか、イグアナか。カメも爬虫類にあたるらしい。部屋にあるのがケージなのか水槽なのか、せめてそれくらいの情景は絵で描けるようになってから、筆を進めたい。
ちなみに、絵で書けるほどの解像度でわかってから書くのは大事だが、すべての情報を解像度高く書けば良い文章になるのかというと、そうでもないと思う話は別の機会に。
文/塚田 智恵美