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27年間に650台のアップルパイを焼いた母の「続けるリズム」【会いたいから食べるのだ/第5回】

ちょうど1年前、世界的に有名なパティシエが作った「タルトタタン」を食べたとき、「お袋の味を見つけた」と歓喜した。母のアップルパイと同じくらい美味しいりんごのお菓子に出会ったのは、生まれて初めてだったからだ。母以外の味を「お袋の味」認定することに少し罪悪感を抱きつつ、この冬もタルトタタンの登場を心待ちにしていた。

「Philo & Co.(フィロアンドカンパニー)」は、国際的な受賞歴をもち、伊勢志摩サミットのデザート最高責任者にも選ばれた赤崎シェフのパティスリーだ。大阪の中之島という、都心でありながら大きな川や公園のある落ち着いたエリアに店を構える。曇りの全くないガラスのショーケースには、見た目にも華やかなスイーツたちが整列していて、店の外にまでキラキラとしたオーラが漏れ出ている。

晩秋から冬にかけて登場するタルトタタンは、焼いたりんごの深い赤茶色が特徴的で、他のスイーツと比べると一見地味だ。でも、見れば見るほどりんごの艶が色っぽく、上にのっている純白の生クリームとのコントラストが美しい。

断面がスパッとまっすぐなタルトタタンにフォークを入れると、くったりと柔らかいりんごが、顔をほころばせるように崩れる。ひと口食べれば、スモーキーでほろ苦い、大人の香りがする甘酸っぱさに「くぅぅ」と唸ってしまう。なんとりんごは、ソテーした後に石窯の放射熱で5時間もかけて焼き上げているという。りんごの旨味をほどよく吸いつつも、ザクッとした食感をしっかり残したパイ生地も素晴らしい。シェフ自身がおすすめするお菓子だというのも頷ける。

世界に誇れるパティシエが「時間をかけた美味しさ」を追求したタルトタタン。母が焼くアップルパイは、恐れ多くもこのお菓子と似ていると感じる。お菓子作りのプロではない母が27年かけて650台焼いたアップルパイも、多くの人を虜にしているからだ。もちろん私もその1人だが、5年前に関西に移住して実家が遠くなり、母のアップルパイを食べる機会も減ってしまった。

先日、フィロアンドカンパニーのイートインスペースで今シーズン初めてのタルトタタンをちびちびと食べていたら、ふと「お母さんがアップルパイを焼き続ける理由をちゃんと聞いておきたい」と思った。私自身がちょうど「書き続ける」ことに自信を失いかけていたのが大きな理由だが、いま母に話を聞かなければ、母のゆたかな創作の泉を一生見そびれて後悔する気もしたのだ。

母がアップルパイを焼き始めたのは、アメリカ大使館で作られていたという秘伝のレシピを知人に教わったのがきっかけだった。実はその知人は新興宗教の信者で、母に入信を勧めた人だった。だから母がアップルパイを焼く年数は、そのまま新興宗教を信仰した年数でもある。

母のアップルパイは、煮りんごに網目模様のパイ生地を被せた、よく見かけるタイプではない。シナモンと砂糖をまとわせた生のりんごをパイ生地に山ほど積み上げ、たっぷりのクランブルをのせてオーブンで90分かけて焼くものだ。

生の状態から熱を通す分、りんごの甘酸っぱさがこれでもかと凝縮される。土台のパイ生地はりんごが引き立つよう、バターではなくショートニングを使って主張を控えめに。そこにカリッと香ばしく、ところどころ果汁の飴が絡まったクランブルが甘さと食感のアクセントになっている。世界で一番美味しいアップルパイだと思うし、母本人もそう信じて疑わない。それでも母は完成形だと思っておらず、未だにレシピを見直してブラッシュアップし続けている。

初めの数年こそ作るコツを掴むのに四苦八苦したらしいが、母がアップルパイを焼く台数は年々増え、今では毎冬40台ものアップルパイを作る。そんなに焼いて誰が食べるのかといえば、ご近所さんや信者仲間に1台丸ごとお裾分けするのだ。

材料費も作る手間も相当かかるのに、なぜ人にお裾分けするのか。神奈川で暮らす母に電話で聞くと、すぐさま答えが返ってきた。

「なんといっても喜んでもらえるからねぇ。お裾分けする人の喜ぶ顔を想像しながら作ってるわねぇ」

あぁ、やはり母は自分自身ではなく贈る相手を一番に考えながら作っているのか。そういえば10年ほど前にも「いっそ販売したら?」と冗談めかして言ったら「みんなが喜んでくれるのが嬉しいだけで、お金が欲しいだなんて思ったことは一度もないねぇ」と、似た返事をされたのだった。私にとって母のアップルパイは「他者への無償の愛」や「奉仕精神」の象徴だったけれど、今でも全く変わらないことに素直に感嘆した。

実際、母のアップルパイを初めて食べた人は「こんなに美味しいアップルパイがあるだなんて」と大喜びするそうだ。ある家では、最後の1切れを巡って激しい争奪戦まで起きるらしい。ただ美味しいだけではなく、人間味溢れるドラマまで生むアップルパイなのだ。

特定の誰かに贈るアップルパイと、不特定多数の人に伝える文章を比較するのはナンセンスかもしれないが、私自身は誰かに喜んでほしいと願ってエッセイを書いた記憶がない。強いて言えば、人生に希望を見出せなかった「過去の自分」を勇気づけようとして書くことはあった。かつての私と同じように苦しんでいる人がきっといるはずで、あわよくばその人にも届けばいいなと都合よく考えていた。

ただ、過去の自分に向けて書いても、エネルギーの大きなエッセイにはなりにくいと最近思うようになった。一番距離が近い相手だから「あなたなら、私の気持ちを分かってくれるよね」という無意識の甘えが文章に表れてしまう。たとえば、前提条件が説明できていなかったり、自己憐憫に浸っていたり。だから、最近は意識して特定の誰かを思い浮かべながら書いている。

自分とは異なる誰かに向けて書こうとすると「この書き方で伝わるだろうか」「もっと響く表現があるのではないか」などと試行錯誤する。相手の共感を得られないかもしれないし、それどころか読んですらもらえないかもしれないという覚悟をもちながら、自分の伝えたいことを幾度も磨き、えいやと差し出す。

そのときに生まれるエネルギーは、過去の自分に向けて書くときの10倍は大きい実感がある。自分の文章を読み返したときに涙が出たり、胸がざわめいたり、お腹が温かくなったりと、体の反応が大きくなるのだ。

ただ、他者と真正面から向き合うエネルギーを生み出し続けるには、太陽光のようなエネルギー源が必要になるだろう。たぶんそれは、自分の心を削らず、健やかに創作し続けるための泉でもある。

27年間に650台ものアップルパイを焼き続けることができた理由を聞くと、母は少し間をおいてから答えた。

「私のアップルパイは、他では食べられない味だからだね。どこにでもある普通のアップルパイなら、とっくに作るのをやめていたなぁ」

「あっ、それと、みんなに美味しい美味しいって褒められて、調子に乗っちゃったんだろうねぇ。ふふ」

母が照れくさそうに笑ったのが電話越しに伝わる。

そうか。母には、自分が唯一無二のアップルパイを生み出しているという大きな自信があるのだ。自分のアップルパイには間違いなく価値があるという自信も。神様を信じるのと同じくらい、ゆるぎない自信。それが母のエネルギー源なのかもしれないと、電話から数日間考え続けた。

普段は物静かな母が、アップルパイのこととなるとニコニコしながら、なんなら少し前のめりでグイグイと、ご近所さんにお裾分けしていた姿を思い出す。

母が自分のアップルパイに自信をもつことと、人に褒められること。どちらが先だったのかは分からない。なんにせよ、相手からの褒め言葉を一切疑わずに「美味しいでしょう。分かっていますとも」と自信たっぷりに受け入れることで、母は作り続けるための心地よいリズムにうまく乗れたのではないか。

作って、贈って、反応をもらう。味の改良にも余念がないから、同じことをぐるぐる繰り返しているのではなく、螺旋階段のように上昇していく。

そして一度リズムに乗れたら、たとえひと言も感想をもらえなくても「ま、そういうこともあるわね」と軽やかにスルーできるそうだ。お調子者の母を尊敬してやまない。

あの電話の日に「まだまだ焼き続けるの?」と尋ねたら「少なくともあと5年は」と言うものだから、スマホ片手にのけぞってしまった。母のアップルパイは時を重ねて艶を増しながら、まだまだ進化するだろう。

私も「書き続けられるだろうか」なんて弱音を吐いていないでリズムに乗りたい。まずは「あなたに読んでほしくて書きました」と目を見てまっすぐ言える文章をコツコツ書いていこう。

三角巾をキュッと巻き、体に染みついたアップルパイの工程をリズミカルにこなす母を思い浮かべながら。

文/さなみ 七恵

Philo & Co.(フィロアンドカンパニー)
大阪市福島区福島4-1-77

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