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鼻息で抹茶が舞ったから【新連載:会いたいから食べるのだ】

鈍色の鉄のテーブルを挟み、私の正面に女性が座っていた。色白の肌にそばかすが散っていて可愛い。艶のある黒髪のボブから、寄木細工のピアスがちらりと覗く。

店主さんがすべすべとしたお皿を2枚、鉄のテーブルに静かに置いた。乳白色のお皿に映える、鮮やかな緑色のお菓子。手のひらに収まる丸いタルト生地には、抹茶とホワイトチョコを合わせたガナッシュが詰められている。タルト表面の半分だけ抹茶の粉でお化粧しているのが、新緑の木陰のようで美しい。

メニューに「手でお召し上がりください」と書かれていた抹茶のタルトを、彼女はそっと掴み、口に運んだ。私はその様子をこっそり見届け、ひと呼吸置いてからタルトをかじる。

ホワイトチョコのまろやかな甘みが、抹茶の濃い苦味をやさしく際立たせる。歯形がつくくらい固めのガナッシュだが、舌ざわりがとてもなめらかで、苦味の余韻を残して儚く溶ける。やっぱり何度食べても美味しい。感動のあまり足をバタバタと動かしたくなったが、ぐっとこらえた。

すぐさま我に返り、彼女の顔を上目遣いで見た。彼女は頬をほんのり紅くして、大きな目を輝かせていた。私の視線に気づくと、ひそひそ声で話す。

「なにこれ、超美味しいんだけど!!」

「だよね、すごいよね!!」

彼女の反応を見たら緊張が一気にゆるみ、私はタルトをかじりながら早口でしゃべり始めた。自ずと鼻息まで荒くなり、次の瞬間、タルト表面の抹茶の粉を鼻息で「ふわっ」と飛ばしてしまった。私たちの目の前で舞い、ゆっくりと鉄のテーブルに降る抹茶。

「……」

「……」

一瞬の沈黙のあと、私と彼女は「くっくっく」と声を殺しながらひとしきり笑った。静かなカフェだったので、大声で笑うわけにはいかない。

「舞ったね」

「ごめん、舞った」

あのときの私は、恥ずかしさと嬉しさで顔が真っ赤だっただろう。もう8年前、東京・つくし野の「sens et sens(サンス エ サンス)」での大切な思い出。

***

大学を卒業するまで、友だちと呼べる人がほとんどいなかった。たとえ私が「仲良し」だと思っていても、その子たちには私よりもっと仲良しの友だちがいた。私は四番手とか五番手とか、さらに後の方の補欠メンバーだった。誰の一番にもなれない。

高校の昼休みは特に苦痛の時間だった。お弁当を一緒に食べる子がいなかったので、中休みに早弁しておき、昼休み中は単語帳を読むふり。ふりだから、もちろん単語は頭に入らない。

大学生の頃もずっと「ぼっち飯」で、誰かとお昼ご飯を食べたのは年に10回くらいしかなかった。女子たちの島があちこちにできている高校の教室でお弁当を食べるよりも、ガランとした大学の大教室でコンビニの菓子パンを食べるほうが、孤独度は幾分マシだったけれど。

このままずっと誰の「大切な友だち」にもなれず、独りぼっちなのかな。大学卒業後、諦めと焦りがないまぜだった私を変えてくれたのは「大切なこと」との出会いだった。

私には、仲良しの友だちがいないだけでなく「大切なこと」もずっとなかった。「大切なこと」は「趣味」と言い換えてもいい。私にとって趣味は「それをするのがとにかく好きで、人に言われなくても熱中して続けてしまう」というイメージだ。

趣味をつくる努力はしてきた。特に大学生になって以降、周りの人間関係が趣味を軸に築かれるようになると、とにかく様々なことに手をつけた。本を読んだり、美術館や映画館に通ったり、合気道教室やダンス教室に入会したり。でも、どれも全く長続きしない。洋裁教室を一度きりでやめ、授業料の10万円を捨てた苦い記憶もある。

そんな私がたったひとつ、挫折せずに長く続けられるものを見つけた。それは、美味しいものを探し、食べることだった。学生時代は食べることが苦痛で仕方なかったのに、人生はわからない。

「食」と出会えたのは、職場の人のおかげだ。大学卒業後、いくつかの会社を転々とした。不思議なもので、どの職場にもグルメな人が必ず一人はいる。美味しいもの好きは概しておせっかいらしく、ぼんやりして何の面白みもない私にも、入手しにくいおやつをお裾分けしてくれたり、人気店に連れて行ってくれたりした。「一扇」のゆりね饅頭、「すや」の栗きんとん、「ふーみん」の納豆チャーハン……熱烈に推されて食べてみたら「あぁ、本当に美味しい」と衝撃を受けた思い出がたくさんある。

そんな風に、最初は人に教わりながら、美味しいものに対する「好き」の気持ちを育てていった。急にどハマりしたわけではなく、少しずつ、少しずつ。次第に、自分でもカフェやおやつ屋を探し、休日に一人で巡るようになった。

食べても食べても追いつかないほど、この世は美味しいもので溢れている。だから「好き」を追い求めているあいだに「私には友だちがいない」と落ち込む気持ちは薄まっていった。美味しいものに出会える喜びが、独りぼっちの恐怖を超えたのだ。

すると、どうだろう。独りぼっちでも大丈夫だと思えるようになった途端、本当に友だちと呼べる大切な人が一人、また一人と増えていった。

色々な店を巡っていると、ごく稀に人生観を根底から覆すような料理やおやつに出会うことがある。そんなとき、一人で味わうのもいいが「誰かに伝えたい︎」と強く思う。何かを大好きで大切だと思う気持ちは、人間関係のストッパーをあっけなく外してくれる。「私は誰の一番にもなれない」「嫌われたらどうしよう」と恐れる気持ちは吹き飛び、気づいたら「今度カフェに行かない?」と誰かに声をかけているのだ。

***

8年前に「sens et sens」で抹茶タルトを一緒に食べたYちゃんは、実は高校時代の同級生だ。思い切って参加した小さな同窓会にYちゃんもいて、美味しいもの好きだと聞いたので勇気を出して誘った。「抹茶タルトがほんっとうに絶品なの」と熱弁した覚えがある。絶対に喜んでもらえる自信があったのだ。とはいえ、高校時代は挨拶する程度の仲。突然前のめりで誘われたYちゃんは相当驚き、警戒したらしい。

でも、鼻息で抹茶が舞ったあの日から、私たちはお互いに特別な存在になった。美味しいものを一緒に食べるのはもちろん、仕事、恋愛、結婚……私たちにとって大切なあらゆることを語り合い、相手の考え方を心から「素敵だな」と思い合える仲になった。

「ななちんが選んで決めたことなら絶対に大丈夫。応援してる」

私が仕事で失敗して落ち込んだとき、休職の末に退職したとき、いつでも私の目をまっすぐ見て伝えてくれるその言葉に、私は支えられている。

誰の一番とか二番とか、そんなことはどうでもいい。Yちゃんのおかげで素直にそう思えるようになった。

4年半前に私は夫と兵庫に移住した。神奈川に住むYちゃんとは片道3時間の距離ができてしまった。コロナ禍だったこともあり、移住後はまだ4回しか会えていない。

この先、私とYちゃんの関係はまた変わっていくだろう。コロナが収束して会える頻度が増えるかもしれないし、お互いに自分の道を進むことで、ますます会えなくなるかもしれない。でも、関係が変わっても大丈夫だと根拠もなく思う。もしいつか一生会えなくなるときがきても、二人とも「鼻息の抹茶タルト」を絶対に忘れない自信だけはある。それで十分なんじゃないだろうか。

***

実は私の移住後に「sens et sens」は閉店してしまい、同じ店主さんが同じ場所で「CREIL(クレイユ)」というカフェを始めた。昨年末、急に「CREILに行かなきゃ」と思い立ち、一人で予約して兵庫からはるばる訪れた。でも、行く前も行った後も、Yちゃんには伝えなかった。独りぼっちで通い始め、独りぼっちの私を変えてくれたカフェ。その再スタートを、まずは一人で味わいたかったのかもしれない。

鉄のテーブルはなくなっていたが、抹茶タルトはあった。私はおめでたい人なので、神様が店主さんに抹茶タルトを残すように仕向けてくれたのだと思っている。

文/さなみ 七恵

CREIL(クレイユ)
東京都町田市つくし野1-28-6

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