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やたらと「クリエイト」と言う人の話を「つくる」に置き換えていいのか問題【連載・欲深くてすみません。/第10回】

元編集者、独立して丸7年のライターちえみが、書くたびに生まれる迷いや惑い、日々のライター仕事で直面している課題を取り上げ、しつこく考える連載。今日は、インタビューした相手から頻繁に出てくるワードをどう原稿に書くか、悩んでいます。

「最近、新商品をクリエイトしまして」

新商品をつくったんですね。

「コンセプトのクリエイトから私が担当して」

へえ、コンセプトをつくるところから。

「新しい時代をクリエイトしていくクリエイターが、クリエイティビティを発揮できるためのクリエイティブを……」

……すみません、もう1回いいですか?

その日、南青山のカフェかと思うほど過剰におしゃれなオフィスで、私はある会社の新商品について開発秘話を取材していた。

始まってすぐに違和感を覚えた。開発部長、もといクリエイティブなんちゃらディレクターの方に話を聞いたのだが、短い会話に何度も「クリエイト」の語が出てくる。クリエイト。クリエイティブ。クリエイティビティ。創造性が溢れて止まらない。

日常会話で「クリエイト」を使う機会はほとんどないが、ビジネスシーンならままある。しかし、いくらなんでも過剰である。1時間で何回クリエイトが出てくるか、正の字を書いて数えようかと思ったが、性格が悪いのがばれるのでやめた。

さて、原稿を書く段になって、私は悩み始めた。この過剰な「クリエイト」を片っ端から「つくる」に置き換えていいのか。

業界に精通していない一般の人にも伝わりやすい文章を書いてほしいというのが、私へのオーダーだった。その狙いなら、当然「新商品をクリエイトする」はナシだ。

では「新商品をつくる」?

それではきっと足りないな。「新商品を創り出す」「まだ世にない商品を生み出す」などと、より話者の感覚に沿うような表現を考える。

横文字のビジネス用語をわかりやすい日本語にするというだけなら、「新商品をつくる」でも十分だ。でも、私が「この人が伝えたいことにきっと足りない」と感じたのは、過剰で不自然な言い回しに、その人の大事な価値観が表れていると思ったからである。

会社を辞めてフリーの立場になり、常に“外の人間”として話を聞くようになってから、人との会話で違和感を覚えることが増えた。

ある人は、やたらと「ビジョン」と言う。

別の人は、語尾に「〜的な」が何度も付く。

そして、やたらと「ビジョン」と言う人の周りには、同じく「ビジョン」を過剰に使う人が多い。

業界用語や社内用語のような、そのチーム内ですぐ通じる用語、親しい人との間でよく出てくる言葉。本人たちは自然のうちに使っているのだが、外から見ると、その特異さにすぐ気づく。仕事で頻出する用語の略称であれば、素早く効率的にやりとりするためだと理解できるが、一般にも使う言葉が過剰に用いられていると、一体なぜだろうとつい考えてしまう。

あるチームの人たちは「伝える」の代わりに「下ろす」という言葉を頻繁に使う。

「その件は、Aさんに下ろしておきましたので」

「この情報は、すみやかにBチームにも下ろしておきます」

上下関係を大事にする組織なのかなと思ったが、そうでもないらしい。ここにいる人たちは、上から下に何かを下ろすような感覚で情報を伝え合っているのだなと思うと、知らない文化を持つ国にきたような気持ちになった。

それをきっかけに、自分の周りにいる人たちが「伝える」をどんな言葉で表現しているのか、意識して聞き取ってみた。

「その件は、Aさんに展開しておきましたので」

「その件は、Aさんに共有しておきましたので」

「その件は、Aさんに接続しておきましたので」

こんなにいろんなパターンがあった。それぞれの表現で「伝える」のニュアンスがまったく違う。

このとき、ふと「人は、言葉を分かち合うことで、ものの見方や、大事な価値観を“みんなのもの”にしているんだ」と思った。そうして個は群れになっていく。一匹狼の私は、なんだかものすごく尊いものに触れたような、不気味なような、不思議な感覚になった。

ああ、そうか。

言い換えれば“外の人”として、私が言葉に違和感を持つということは、そこにいる人たちだけで共有している価値観や、大事にしている考え方の端緒に触れた証拠なのではないか。

やたらと「ビジョン」と言う人たちは、実現したい未来を持つこと、未来を描くことそのものを大事にしている(あるいは「大事にしたい」と意識している)。だから会話にビジョンという言葉が頻出する。

「つくる」ではなく、わざわざ「クリエイトする」と言う。それは、ただ何かをつくるのではなく、それまでになかったものを創り出すことにこだわりがあるからだ。

そうした話者の大事な価値観をふまえた上で、あえて「ビジョン」や「クリエイト」の語を使わずに文章を書く。そこに“外の人”がわざわざ取材をして書く意味がある。

このことに気づいてから、私は書く仕事がいっそう楽しくなった。そして他人の話の細かなところにいちいち違和感を覚える、自分の性格の悪さ、ではなく繊細さも、悪くないと思えるようになった。

ああ、ここの人たちは「新しい」という言葉をよく使うんだな。発想の新しさ、新しい価値観との出会い、生まれて間もない生き生きとした感覚を大事にしているのかな。

そんなふうに分かち合われた言葉を聞くとき、自分とその人たちとの間にひかれた境界線がくっきり見えて、寂しく思うこともあるのだけど。

ちょっと寂しいくらいのほうが書くのにはちょうどいいと、ときどき自分に言い聞かせている。

文/塚田 智恵美

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