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無音の音が響くカフェ【会いたいから食べるのだ/第2回】

「なーちゃん」

たしか平日の夜、夕飯の後片付けを終えて、ダイニングテーブルでぼーっとしていたときだった。夫が目の前に立ち、私の名を呼んだ。お腹と拳に力がこもっていて、いつもより少しだけ低い声。「あ、大事な話が始まるんだ」とすぐにピンと来て、私は「はい」と背筋を伸ばす。夫は大事な話をするときに「ちゃんと聞いてほしいし、なーちゃんの思いもちゃんと聞かせてほしい」という姿勢を見せてくれる。私はその姿勢を心から美しいと感じる。

「転職しようと思って」

そうだよね。ずっと予感はあったから驚かないよ。

「うん、よいと思う」

「遠くに引っ越すことになってもいいかな」

「へっ」

「できれば関東を離れたい。ここにいると、辛いことを思い出してしまうから。なーちゃん、大丈夫かな」

結婚5年目となる2018年夏、夫はしばらく会社に行けなくなった。家の最寄り駅で体調が悪くなって引き返す日々が続き、休職することになったのだ。夫が転職したいと打ち明けてくれたのは、本当に元気になったのかあやふやなまま復職し、2か月ほど経った頃だった。

「移住、いいじゃんいいじゃん!」

その夜は「移住いいじゃん」と明るく返し、夫もほっとした顔をしていたけれど、私の心は翌朝から少しずつ沈んでいった。夫となら、どこで暮らしても楽しい。それは間違いない。でも、友だちと離れるのは寂しい。「誰の親友にもなれない」と思い込む呪いが大人になってようやく解けて、信頼し合える友だちと出会えたのに。

子育てメディアを運営する会社に入社し、憧れの「書く仕事」を始めたばかりだったことも、やるせない思いを増幅させた。せっかくライターになれて職場にも馴染んできたのに、またイチから仕事を探さないといけないの? 関東を離れたら、ライターを募集している会社を見つけられないのでは? いっそ別居婚して、私だけここに残る?

夫の稼ぎは私よりもずっと多くて、夫婦二人の生活を支えてくれている。だから、夫にとって働きやすい環境を選ぶのは、二人が健やかに生きていくために賢明な判断だ。頭ではそれを分かっていても、自分の意志で住む場所を決められる夫が少し羨ましかった。

でも、夫は夫で生活を支えるプレッシャーを感じているはずで、彼に申し訳ないとも思う。本当はしばらく無職で休みたかったのかもしれない。脱サラして全く別の道を歩みたかったのかもしれない。私がいなければ、人生の選択肢がもっと増えていたのかもしれない。

結婚して二人で暮らすというのは、お互いの「ままならない悲しみ」が最小限になるように、そして片方に偏らないようにバランスを取る作業の繰り返しだと思う。でも、ままならない悲しみを抱えることは決して不幸ではない。自分一人ではたどり着けなかった道に、思いがけず導かれることがあるから。その道はすごく見晴らしが良くて、色とりどりの花が咲いていたりする。

***

夫の転職話が出た3か月後の2019年1月、私たち夫婦は神奈川から兵庫に移住した。夫は第一志望の会社から内定が出て、私は子育てメディアの会社を辞め、縁もゆかりもない土地でゼロからのスタートとなった。

引越しの片付けがあらかた終わり、夫が新しい職場に通い始めると、私はよく昼間に一人、電車に乗って街に出た。

最寄り駅のホームでは、電車の接近を知らせるためだけに生まれたのであろうメロディが流れる。よそゆきの曲名はついていないだろうけれど、つい口ずさみたくなる、跳ねるようなメロディなのだ。電車が勢いよく連れてきた冷たい風を頬に受けながら、いつかこの音がすっかり「日常」となることを想像する。

新しい土地に馴染んでいく過程は夜明けの空のようで、オセロみたいに「非日常」が「日常」にパチンとひっくり返るものではないのだろう。移住当時の私はいつも異国の旅人のように五感を全開にしながら、過去と未来を繋ぐグラデーションの時間をうろうろと歩いていた気がする。

一人で街に出たのは、自分にとって心地良い場所に出会いたかったからだ。たとえ「夫さえいれば生きていける」と思えても、私は私の世界をここでつくっていかなきゃならない。友だちもいないし仕事も決まっていなかったけれど、居場所を探すことならすぐに始められる気がした。そうでもしないと、平日の白昼の孤独に耐えられなかったのもある。

行き先は、Instagramが教えてくれた。ほぼ見る専門だったアカウントで関西カフェのハッシュタグをたどり、気になる店があればGoogle マップにピンを留めていく。

大阪・松屋町の「coffee HUT(コーヒーハット)」は、関西に移住して初めてピン留めし、一番目に訪れたカフェだった。

人形店やおもちゃ問屋が並び、まばゆい懐かしさが閉じ込められたような商店街で、コーヒーハットは少し浮いている気がした。ガラス扉の前には、パリの蚤の市にありそうな古い木の椅子。その背もたれに立てかけられた看板に、端が破れて丸まった張り紙があった。

「満席時にお席にご案内できない際、お店の前や周辺でお待ちいただかないようお願いしております。

お店の中にいる方に少しでもゆっくりした気持ちで過ごして頂きたくそのような方法を取らせて頂いております」

席が空いているか不安になったけれど、ガラス扉からこっそり中を覗くと大丈夫そうだった。扉は重いうえに建て付けが悪く、開けようとしてもびくともしない。焦って一層力を込めて引くと、思ったよりも勢いよく開いてしまった。「ばふっ」と風が吹き、その瞬間、コーヒーのやわらかな香りが鼻孔をくすぐる。お客さんが私にちらっとまなざしを向ける。

時の止まった商店街よりも、店内はさらに静かに感じられた。でも、決して無音ではない。ケトルのお湯が沸く音や、お客さんがカップをそっと置く音、そうしたさりげない音たちが、静けさを際立たせている気がする。音のある静寂なのだ。

奥の狭い厨房で背を向けていた店主さんは、店内に冬の風が混ざったことに気付いたのか、おもむろに振り向いた。私を見て口を少し動かしたが、何と言ったのかよく聞き取れない。「空いている席にどうぞ」だと勝手に信じ、私はぺこぺことおじぎをしながら座る。

しばらくすると、店主さんがメニューを黙って置いていった。良かった、座って大丈夫だったみたい。茶色の紙のメニューには、自家焙煎のコーヒーが何種類も載っていて、あとはコーヒー以外のドリンクやトースト、スイーツが少しずつ。

店主さんに声をかけようとしたタイミングで、彼は厨房から出てきて私の斜め後ろに立つ。でも、何も言わない。

「あっ、えっと」

私はInstagramで目星をつけていたチーズトーストを慌てて注文した。ドリンクはルイボスティー。コーヒーが苦手なので頼めなくてごめんなさい、と心の中で言い訳する。

やはり店主さんは何も言わず、メニューを素早く回収して引き返した。乾いた紙の音だけが取り残されて、私の左耳あたりをしばらく漂う。

やがて、山型食パンの分厚いチーズトーストがテーブルに置かれた。やっぱり無言で。トーストの表面は数種類のチーズがとろけていて、その下に濃い緑色の何かが見える。食べやすいサイズにカットされた一切れをかじると、異なるチーズの複雑な旨味が一気に口の中を満たす。その後すぐ、爽やかな青々しい香りが追いかけてくる。「あっ、大葉かぁ」と気づき、私は思わず目をつぶって香りに全集中する。チーズのしょっぱさに練乳のようなやさしい甘さも掛け合わさり、甘じょっぱさが癖になる。外はカリッと、中はふわんとしたパンもとても美味しい。食べ終わるのがもったいないのに、食べる手が止まらない。  

ふと、隣で苺タルトを食べている女性客の心の震えと共鳴したような気がした。「本当に美味しいなぁ」と、ほうっとため息をつくような満ち足りた震えが伝わってくる。後ろの席からは「チーズトースト最高ですよね」と微笑みかけてくれるような気配も感じられた。

お一人さまも、二人連れのお客さんも、それぞれが穏やかにコーヒーやスイーツを味わいながら、ここにいる喜びをテレパシーみたいに交感している。知らない誰かと声にならない声で繋がっている。不思議だけれど、そうとしか思えなかった。小さな店で、お客さん同士の距離が近いからだろうか 。美味しいものを食べたとき、やっぱり人は誰かと語り合わずにはいられないのだろうか。

店主さんだけが一人、その無音のやりとりから外れて、コーヒー豆を挽いたり、トーストを焼いたり、テーブルを拭いたりと、淡々と仕事をしていた。お客さんの静かな感動をはねのけるわけでもなく、真正面からぎゅっと抱きとめるわけでもなく、そこにあるがままにしているように見える。それがとても心地良かった。

こんなカフェがあるなら、関西での暮らしは絶対に大丈夫。知らぬ土地で強張っていた体に「ゆたかな無音」がゆっくり流れ込むのを、チーズトーストをかじりながら感じた。

***

私に流れ込んだ「ゆたかな無音」は、体中を巡るうちに「語らずにはいられない言葉」となり、再び世界へと放たれた。コーヒーハットのこととなると、ついおしゃべりになってしまう。私に限らず、多くのお客さんがそうだと思う。

初訪問ですっかり店のファンになった私は、Instagramでコーヒーハットの写真を投稿している人を少しずつフォローし、勇気を出してコメントしていった。私自身も、この店の魅力を少しでも多くの人に伝えたくて、心を込めて投稿した。すると、気持ちが通じ合ったと思えるような温かいやりとりが、私のInstagramの世界でいくつも生まれたのだ。移住してすぐにとはいかなかったけれど、一緒にカフェ巡りをする大切な友だちも数人できた。

コーヒーハットのおかげで多くの出会いがあったけれど、今思えば店にはいつも一人で行っていたな。

初めて店を訪れてすぐ、ありがたいことに「書く仕事」ができる会社への就職が決まった。以前勤めていた会社よりも、書くことに対していっそう真剣な職場で、私は日々ついていくので精いっぱい。「もっと良い文章を書けるようにならねば」と焦る心をほぐし、静けさを取り戻すために、コーヒーハットでの一人の時間が必要だったのだと思う。

特に印象深い出来事がある。関西に移住してちょうど4年経った2023年1月。建て付けの悪いガラス扉をいつものように思いっきり引くと、ほんのわずかだけれど、扉が軽くなっている気がした。

「ありがとうございました」

えっ、と耳を疑った。私と入れ替わりで出ていくお客さんに、あの無口な店主さんが挨拶していたのだ。しかも、明るい笑顔で。戸惑いながらも席につくと、他のお客さんとも楽しそうにコーヒー豆の話をしている。丸4年通ってきたけれど、こんな光景は初めて見た。キュンと甘酸っぱいレモンカードのトーストをちびちびとかじりながら、店主さんに一体何が起こったのか想像してしまう。もしかして私が居合わせなかっただけで、しょっちゅう笑っていたのかもしれないけれど。でも、この日私が彼から受け取った「ありがとうございました」は、それまでで一番、澄んだ大きな声だった。しっかりと声を聞き取れた。

この日の3か月後、コーヒーハットは閉店してしまった。

ほとんど更新されていなかったInstagramのアカウントに突如として、閉店予定日とお客さんへの感謝の気持ち、そして「現在の店舗で別の業態を立ち上げる予定です」という言葉だけが掲載された。

もちろんファンの間には大きな衝撃が走った。でも、多くの人がただ閉店を嘆き悲しむのではなく、コーヒーハットで味わった心の底からの喜びを振り返り、店主さんの新たな挑戦を応援する言葉をInstagramで綴った。閉店日の夜のタイムラインには、無口な店に向けて贈られたやさしい声が流れ続けていた。

店主さんはこの夏、ナチュラルワインとアテを出すwine stand hut(ワインスタンド ハット)をオープンした。店のスタイルは変われども、見知らぬ人同士が思わず共鳴し合うほど美味しいのは変わらないみたい。私はまだ行くことができていないのだけれど、みんなの投稿から満ち足りた良い空気を感じる。

店主さんが笑顔を見せてくれたあの日、カフェを閉めてワインスタンドを始めることをもう決めていたんだろうか。今度ワインスタンドに行ったら、「またお店を始めてくださってありがとうございます」とお話ししてみたい。「語らずにはいられない言葉」を、店主さんにもまっすぐに伝えられるようになりたいと思う。

写真は、笑顔の日のキュンと甘酸っぱいレモンカードトースト。

文/さなみ 七恵

wine stand hut(ワインスタンド ハット)
大阪府大阪市中央区松屋町5-2
※coffee HUT(コーヒーハット)は2023年4月に閉店

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