ヒヨコの「まぐれ」と取材における「問い」【連載・欲深くてすみません。/第3回】
元編集者、独立して丸7年のライターちえみが、書くたびに生まれる迷いや惑い、日々のライター仕事で直面している課題を取り上げ、しつこく考える連載。今日は原稿を書くために欠かせない、取材での「問い」について悩んでいます。
いきなりで恐縮ですが、想像してください。
あなたは新人ライターです。昨日、殻から出てきたばかりのヒヨコライター。取材の経験はほとんどない。
そんなヒヨコに、取材をして原稿を書くお仕事が舞い込んだ。仮に、中高生が読むウェブメディアからの依頼としよう。企画書を読むと、その競技では日本を代表する選手であられる、有名アスリートA氏に「モチベーションが下がったときの回復方法」を聞く、とある。部活に受験勉強にと忙しく追われる中高生に、有名アスリートの実体験から、大事な瞬間に向けてやる気を回復するヒントを届けるわけです。
通常、取材現場には数名、人がいる。媒体からは編集者やカメラマン。お話してくださる方のマネージャーさんや広報の方。しかし、その現場は紆余曲折あって、なんとヒヨコはA氏と二人きりで話を聞くことになった。
ヒヨコは生まれたての柔らかい羽をぷるぷる震わせながら、A氏と対面する。A氏はとても優しそうなお方で、取材場所である体育館を案内しながら「こんなふうに練習しているんですよ」「この器具はこのように使うんですよ」と、親切に教えてくれる。ヒヨコはよちよち歩きで、あとをついていく。
体育館の隅にある打ち合わせスペースに入り、いよいよ取材開始だ。ヒヨコは鼻からふんっと息を吐いて、話し出す。
「本日はAさんに、『モチベーションが下がったときの回復方法』をお伺いしたく、まいりました! つきましては、まずAさんのモチベーションが下がるときというのは、どういう……」
親切なA氏の顔がさっと曇る。
「中高生の役に立つことなら何でも話したいんだけど、その話は俺、できないかも。だって俺、これまでモチベーションが下がったことがないから。……どうしよう」
はひ?
ヒヨコは仰天する。なんで。どうして。企画書は編集者さんやマネージャーさんを通じてA氏にも渡っているはずだ。何か行き違いがあったのか? 確認しようにも、その場には困った顔の親切なA氏と、ヒヨコしかいない。
さて、あなたがこのヒヨコライターなら、どうしますか。
*
これはライターになりたての私の身に起きた実話である。取材について考えるとき、よく思い出す話だ。
もしこんな状況に直面したとして、どう対処すべきか。方法はいくらでもあるだろう。違う角度から、テーマにつながりそうな質問を投げかけることもできるはず。それよりもこのヒヨコ、話の切り出し方からしてイマイチじゃないかって? うん、私もそう思う。何も考えずに、企画概要の1行目を読みあげたのです。ごめんなさい。
では、そこにいたヒヨコは実際どうしたのか。角度を変えて企画につながる質問を繰り出す技術も度胸もない、ライター1年目の私は。
固まった。
そして、原稿用紙を想像した。タイトルに「Aさんのモチベーション回復方法」とあり、本文に「モチベーションが下がったことはない」とだけ書かれている。文字より余白のほうが格段に多い原稿用紙。
「あ、終わった」。
その瞬間、ヒヨコのライター生命は尽きた(と思った)。
だから、ヒヨコは開き直った。というかやけくそになった。これが最初で最後の取材だ。ええい、どうにでもなれ。有名アスリートと一対一で話を聞ける機会など、金輪際あるまい。あとで編集者さんには土下座しよう。私が個人的に聞きたいことを聞いてしまえ。
「Aさんって、朝、何時に起きるんですか?」
タイムマシンでこの瞬間に戻ったら、大きなハリセンでヒヨコ、もとい1年目の私をバッシーンと叩き飛ばしてやりたい。聞きたいことを聞くとして、もうちょいマシな質問はないのか。
あとで原稿を書かなければいけない現実を棚に上げれば、知りたいことはいくらでも湧いてきた。そして、ただ自分の思いのままに質問を重ねて、A氏がはじめて国際試合に臨んだときの話に及んだ。するとA氏は何気なく言った。
「自分よりも明らかに力のある選手を前にしたら、俺、練習場に行けなくなっちゃってさあ〜」
ん?
「もう練習なんかしたくない、やる気ないわって言って、数日家に引きこもってゲームしてたんだ」
ん?
んん?
それ…それって…モ…チベ…モ…モチベ…モチベーションが………下がっていませんか!!!!!!!!
「わ、ほんとだ。俺、モチベーション下がったこと、あったわ。びっくり。自分でも気づかなかったよ」
こちらがびっくり。諦めて関係ない質問ばかり投げかけていたら、ご本人も自覚のなかった「モチベーションが下がった瞬間」の話が聞けちゃったのである。
その後、どのようにその瞬間を乗り越えたのか、など伺って、取材は終了。まとめた原稿を読んだAさんは、とても喜んでくださったそうだ。後に編集者さんが教えてくれた。修正は一箇所も入らなかった。
「モチベーションが下がった瞬間」を聞いても出てこなかった話が「朝、何時に起きるんですか?」から始めて、企画に関係ない話をしていて、出てきた。
このとき何が起きたのか。
*
ライターの多くは、取材現場に行く前に下調べをして質問項目をつくる。中には具体的な質問や、別の話題から企画趣旨に切り込むような質問など、山ほど問いを用意して、取材現場に持ち込むライターさんもいらっしゃる。
その意味が、あの日起きたことを考えると、ぼんやりとわかる気がする。
刑事の取り調べでは「犯人はあなたですか?」「犯人を見ましたか?」とは聞かない。取り調べを受けたことがないので想像でしかないが、少なくとも古畑任三郎なら聞かない。
銀行にお勤めなんですか? おかえりは何時くらいで? 夜7時。最寄りは上野駅でしたね。あそこのJRのホームからは、たしか第一ビルが見えたと思うんですが、見えましたっけ?
具体的な質問を繰り返して、その人の行動が浮かび上がる。話し手のほうも、至極具体的な行動や事実を一つひとつ思い返しているうちにいろんな記憶がつながり「そういえばあのとき、こんなことが」「私はこう思うのですが」と積極的に話しはじめる。
漠然とした抽象的なテーマを投げかけられて、すぐに関連する具体的な事実やエピソードに結びつくことは普通あまりない。「そんな話、私にはない」と思うのが当然だ。もしあの日、私が「モチベーションが下がったときの回復方法を教えてください」と乱暴な問いをぶつけて、すらすらと取材相手が喋り出していたとしたら、聞けるのはおそらく取材相手が過去のインタビューで百回聞かれて百回話して、整理し尽くされた話だろう。
ヒヨコの私はあの日、ただ自分の興味の赴くままに質問をした。もう原稿のことはどうでもいい、ライター生命は終わったと諦めていたから、純粋に相手を「知りたい」と思う気持ちだけが残っていた。おのずと具体的な問いばかりが口をついて、問われた側からすると具体的な記憶と記憶がつながり意外な線を描いた、ということなのかもしれない。
企画書に書いてあるテーマをそのまま乱暴に投げつけて、お話を聞けるのであれば、たぶんライターは要らない。
どう問うか。できれば、せっかく時間を割いて取材に応じてくださる方が「はじめてそんなことを考えた」「気づかなかったことが言語化できた」と思ってくださるような問いを立てたいものだ。きっとそれは技術よりもむしろ、相手のことを純粋に「知りたい」と思う気持ちから生まれるんじゃないかと思う。
ただ「知りたい」。ライター生命も原稿も諦めず、ただ知りたいという心で取材をすることの難しさは、あの日の私より、最近たまにコケッと鳴くようになった私のほうが知っている。
文/塚田 智恵美
【この記事もおすすめ】